ヘラクレイトスの言葉
「古代哲学史」 <付>ヘラクレイトスの言葉
田中美知太郎 1985/09 筑摩書房 全集/叢書p233
Vol.2 No.1015★★★★★(残り9冊)
さて、当ブログの第2期も次第にフェードアウトしようとしている。いままで記録されずに残っていたものを順序よくメモしていくだけのスケジュールになりつつある。予定されていた道筋のようでもあり、まったく予想外の展開のようでもある。
この本は、ネット上にほとんど情報がない。1985年発行だから、まだまだ新しい本なのだが、派手さはまったくない。だけれども、このような本こそ、人知れず、じっくりと読まれる価値がある。
同じ河に二度入ることはできない。散らしたり、集めたりする。・・・・・出来上がり、またくずれ去る。加わり来たって、また離れ去る。p215
これら哲人や賢人たちの森に入ってしまえば、凡の凡たる当ブログなどは、何の言葉も挟むことはできない。ひたすら、沈黙を保ち、自らの内を静かにして、先哲たちの言葉に耳を傾けるしかできない。
Oshoもヘラクレイトスについて語っている。
一番目、ヘラクレイトスの「断片」。私はこの男を愛している。ついでだが、欄外の注として言わせてもらいたい。私はこれらの本をすべて愛してはいるが、全部が好きではない。好きなものもあるが、好きでないものもある。だがすべてを愛している。それについては、まったく疑問はない。私はヘラクレイトスを愛しているのと同じように、ジャヤ・デヴァを愛している。だがヘラクレイトスの方は好きでもある。私がヘラクレイトスと同じ範疇に入れることができる者は、ほんのわずかしかいない。
実際はそう言うことでさえ真実ではない。同じ範疇に入れられる者はひとりもいない。今私が言っていることは、いつも本当に言いたいと思っていたことだ。くり返そう、ヘラクレイトスと同じ範疇に入れられる者はひとりもいないと。彼こそはまさに過激(ファーラウト)だ。危険なまでに目覚めていて、自分が言っていることのもたらす結果を恐れない。
彼はこれらの「断片」の中で---これもまたデヴァギートの、つまり弟子の記録だ。ヘラクレイトスは書かなかった。何か理由があるに違いない。こういう人たちがなぜ書かないのかの理由が。だが、それについてはもう少し後だ。ヘラクレイトスはその「断片」の中で、「同じ川に二度と足を入れることはできない」と言う。そうしてから彼は、「いや、一度ですら同じ川に足を入れることはできない・・・・・」と言う。これは途方もなくすばらしい、そして真実でもある。
あらゆるものは変化している。しかもその変化があまり速くて、同じ川に二度足を入れることができないほどだ。同じ川に一度足を入れることすらできない。川は絶えず流れている。流れて、流れて、海に向かって、無限なるものに向かって流れて行く。未知なるものの中に消えて行く。
これが私の今夜のリストの一番目だ、ヘラクレイトスだ。OSHO「私が愛した本」p42
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