禅宣言 <11>
<10>からつづく
「禅宣言」<11> OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03 市民出版社 単行本 541p
一カ月ほどの小休止の間に、私がまずしたことは、この「禅宣言」の読みなおしであった。なにはともあれ、最初から最後まで通読してみた。いままであちこち引っかかっていた人名など、例えばアラン・ワッツやポール・レップス、フィリップ・カプローの「禅の三本柱」など、かならずしも、話題の中心ではないのだが、周辺知識として必要なものは、「私が愛した本」のリストなどを活用しながら、この数年一回りしてきたので、だいぶ読みやすくなったと言える。
今期、この再スタート地点において、まずは三冊をピックアップしてみたが、その中でももっともウェイトを置くべきものとしては、この「禅宣言」がダントツであると言えよう。そして、その次に行ったのは、Osho最後の講話録・ZENシリーズの中の、日本語訳されている本を、過去へとさかのぼる順番での読みなおしであった。
一冊一冊、通読してみると、全体がより明確になって来て、いままで自分が引っかかっていた部分が全体のどの位置にあるのかが分かってきた。また、このZENシリーズというものの、Osho講話全体の中における意味も、じんわりと分かり始めた。
本来であれば、邦訳がない英語本も交えて読むべきだが、英語に関しては、速読するほどの力はない。いずれ、時間をかけてゆっくり読みたい。それにはまず、シリーズとしては欠本がいくつもあるので、それらをまず揃えるところから始めなくてはならない。
そしてさらに、この最後のZENシリーズ以前にOshoが語ったZENにまつわる本たち、「ボーディダルマ」、「信心銘」、「坐禅和讃」、「無水無月」、「一休道歌」などを、いわゆる禅の伝統の順番に並べ替えて、読みなおしてみることが始まった。実際にはその途上にあるわけだが、これが、一気に通読することはなかなか難しい。あちらでひっかかり、こちらでひっかかりする。通読だけでも読了となるのは、いつのことになるか分からない。
読めば読むほど、ああ、こんなに分からないことがいっぱいある、という感慨が湧いてくるが、でも、割と絶望感は以前よりは薄らいだ。ああ、まだこれだけ楽しめる余裕がある、というような、何か「読まなくてはならない」という義務感が、いつの間にか、「まだこれだけ読める」という権利意識のようなものに変化してきたから不思議である。
実際には、Osho関連においても、文字化されたものの、わずか数パーセントしか読みこんでいないのではないか、と思う。もちろん日本語化されて単行本として出版されているものでも、まだ、読んでいないものが結構ある。なぜ読まなかったのかはいくつか理由があるのだが、とにかく、まだまだある。
それを負担と考えるか、それをこれからのお楽しみと考えるかは、微妙なところだが、すくなくともOshoとともにあっては、なんらかの義務感を持つ必要はない。読むべき時に、読めるようになるだろう。楽しめる時に、楽しむことになるだろう。
ということで、なにはともあれ、今後の当ブログの嗜好性は、この本を中心とした一連の広がりが中心となる。あるいは、いつも的外れで、あちこち野次馬根性で出かけていっては迷子になる習癖がある当ブログとしては、道に迷ったら、まずは、この本に戻ってこようと思う。
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