永久の哲学(2)ピュタゴラスの黄金詩
「永久の哲学」(2) ピュタゴラスの黄金詩
OSHO/Oshoサクシン瞑想センター 2006/12 市民出版社 単行本 438p
Vol.3 No.0016★★★★★
この本の(1)を読んでいて、久しぶりにプネ1の雰囲気になった。そう言えば、あの当時はこのような雰囲気だったんだな、と思う。この講話シリーズが始まる前の一年間プネに滞在していたので、当時の雰囲気がなんだか懐かしい。
それに世界中から来訪者が急激に増加していた。つまりサニヤシンになる来訪者が激増していた時代ということになる。だから、1日のテキスト講話に対して、4日の質疑応答集の日が続いたに違いない。質問も半端じゃない数が押し寄せていたはずだ。
吉福伸逸は、当時のOshoを評して、永遠の哲学という宗教の超越的一体性を基盤に、伝統的な形態を背景にして、セラピーという新しい修行的要素を加えた、と記しているが、まぁ、そう見えたとしても、まぁ、当たらずとも遠からずか。
精神療法士、精神分析医、また他の種類の流派のセラピスト、--実存主義セラピスト、精神統合、グループセラピーに従う人々--いろいろな方法で、患者と関わる全ての人々は、多くのことを学ばなければならない。精神分析はまだとても初期の、幼年時代にある。それは多くのことを学ばなければならない。p302
吉福のいう「セラピーという新しい修行的要素」という表現はいただけないが、セラピーというものをOshoが強く意識していたのは確かだろう。
あなたは尋ねる。「私は精神分析医ですが、毎日毎日患者の話を聞いていると、気が狂いそうです」 あなたは泳ぎ方を知っているかね? さもないと、一人が厄介なことになる代わりに、二人が厄介なことになる。あなたは完全に静か、まったく動かず、あなたの沈黙が周囲にそういう環境を造るほどになることを、学ばねばならないだろう。その瞬間、患者はあなたの沈黙に入り、彼自身の沈黙に落ち始める。p303
二冊組のこの本、一冊目より、二冊目になると、やたらとリアリティが増してくるように思う。Oshoの「永久の哲学」は、ハクスレーの「永遠の哲学」とはちょっと違う。ハクスレーの本は、あちこちの歴史的な文献やあれやこれやが紹介されていて、なんだかすこしは物知りになったような気もする。
だけれど、Oshoの「永久の哲学」は、決して上品じゃない冗句やあれやこれやが挟まっていて、必ずしも何かの智識を見につけた、という感じにはならない。だが、ちゃんと大地に立っている感じになる。自分が根付いていることがわかる。そして、それと同じくらい、自分の肩から二つの羽が生えて、羽ばたこうとしているのがわかる。
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