かもめのジョナサン<4>
「かもめのジョナサン」 <4>
リチャード・バック /五木寛之 1977/05 新潮社 文庫 140p
Osho「Books I Have Loved」第一日目の10冊をまずは読みなおそうと思った。気づいてみれば、この10冊のほとんどが手元にある。「タゴール詩集」だけはどこかに隠れてしまった。「ツラトゥストラかく語りき」は、なんと同じ文庫本上下セットがふたつでてきた。今回は、すこし読むスピードを落として、のんびり読んでみよう。
ということで「ツラトゥストラ」をはじめ、同時進行でいくつか手にかけてしまったが、いちど読み始めるとなかなか味わい深く、一気に物事は進まない。「カラマーゾフ」だって、今回は解説書でごまかそうと思ったが、別の文庫本シリーズがでてきたので、今回も「よし三巻読み切ってやろう」などという無謀な挑戦を決意してしまった。
登場順で読んでいこうと思ったが、そうはいかない。結局、一番最初に行き着いてしまったのは、こちらの「ジョナサン」だった。こちらはビディオと英語版にも挑戦する予定である。何度も読んでいる本なのだが、なんど読んでも別な印象が湧きあがる。
私のようなそそっかしい読書では、つねに読み残しがあるのだろうが、どうもまだら模様の私の脳では、つねにすり抜けていくものがあるらしい。今回も、あれ、こんなことが描いてある、と思ったところもあれば、たしかこんなシーンがあったはず、と期待していると、それが見当たらなかったりした。
この本、三部構成になっている。うまい具合に、パート1は探求者、パート2は弟子、パート3は帰依者、という枠組みで読むことができる。
思えば、あとで順序が変化しているが、この10冊のうち1~4冊目まで小説である。「ツラトゥストラ」、「カラマーゾフ」あたりは、まぁ順当だとしても、三冊目の「ミルダッド」には意表を突かれる。もっとも、この「ジョナサン」も異例の出世ということになろう。
あとで2日目に、ジブランの「預言者」などもでてくるが、Oshoにおける「本」の原型は、「ツラトゥストラ」なのかもしれない。その反響である「預言者」は大きく評価されているし、そのさらに同志の一にある「ミルダッド」はむしろ先に評価されて3番目に登場したということか。
さらに言えば、「老子」や「荘子」、あるいは「山上の教訓」だって、マスターが弟子に語る、という構造は同じと言える。「カラマーゾフ」は大冊なので、必ずしもこの構図にはなっていないが、部分を考えれば、明らかに類似性がある。「ミラレパ」もまた、成立過程に違いはあれど、おなじ構造だ。
「バガヴァッドギータ」もまた神話という形をとっているが、ひとつの寓話であるし、マスターと弟子という構造がある。タゴールは詩であり、もともとベンガル語で書かれたものであって、英訳されたり、重訳された日本語では十分に味わえないものとされているが、インドの民にとっては、マスター的存在であるに違いはないだろう。
これらの10冊をじっと眺めていると、自然にその構造が次第に見えてくる。
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