老子・荘子 人類の知的遺産5
「老子・荘子」 「人類の知的遺産5」
森 三樹三郎 (著) 1978/07講談社 単行本: 415p
Vol.3 No.0030 ★★★★☆
「Books I Have Loved」ss1の5冊目と6冊目は、老子と荘子だ。一般に老荘思想と言われて、ひとまとまりになっている。ところが英語になると、老子は「Tao Te Ching by Lao Tzu」となり、荘子は「The Parables of Chuang Tzu」となる。「老子の道徳経」と、「荘子の寓話」ということになる。後にでてくる列子は、老荘思想の後継であり、より純化された完成度の高いものとされるが、こちらは「The Books of Lieh Tzu」となる。
道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無名は天地の始めにして、有名は万物の母なり。故に常に無欲にして以て其の妙を観、常に有欲にして以て其の徼を観る。
此の両者は同出にして名を異にするも、同じく之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。p124
有名な「道徳経」の第一章だ。Oshoが語った老子は「TAO永遠の大河」が有名。いまここで、あらためて頁をめくるつもりはないが、そう言わず、もう一度めくってみたら、新たなる発見があるかもしれない。
舟をならべて川を渡ろうとするとき、人が乗っていない空舟が向うからやってきて、こちらの舟に接触したとする。この場合には、いかに怒りっぽい心の持ち主でも、腹を立てることはないだろう。p211
こちらは「荘子」から。Oshoが荘子について語った「虚空の舟」の出典はここにある。なるほど、あらためて老子と荘子を並べてみると、老子の観念的抽象概念に比べ、荘子を「寓話」と言いたくなるほど、実に巧みに例え話を活用する。
これに「列子」を含め、いわゆる悠久の自然に遊びたいところではあるが、日本に生れ育つと、どこかにこのいわゆる老荘という奴が沁み込んでいるものである。沁み込みすぎて、意識しなくなってしまうのだが、これが西洋あたりから見れば、また独特の味わいとなるに違いない。「TAO」と言われると、なんだか、新しい感じがする。
TAOのTAOとすべきは常のTAOにあらず。ははは、なんだか新しい・・・?
| 固定リンク
「42)One Earth One Humanity」カテゴリの記事
- Books I Have Loved<78>(2010.06.20)
- ミラレパの十万歌<3>(2010.06.19)
- バガヴァッド・ギーター<8>(2010.06.18)
- ミルダッドの書―灯台にして港<3>(2010.06.18)
- 『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する<5>(2010.06.17)
コメント