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2010/05/31

Books I Have Loved<74>

<73>よりつづく

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Books I Have Loved <74> 
Osho 1985/07 Rajneesh Foundation Intional  247p ペーパーバック 言語 英語

Books I Have Loved session1 (BIHL1)再読感想

 再読としてはまだ完読していない段階だが、いつ完読となるかわからないので、BIHL1をひととおり手にしたところで、とりあえず、現在のところの印象をまとめておく。

Bihl1

1)ごく有りそうな定番でありながら、第一番目のセッションとしては、ZENとグルジェフ、神智学関連が入っていないのが印象的。

2)この10冊に共通して言えることは、Osho用語でいえば、「マスター」、「弟子」、「空(エンライテンド)」、「愛」、「瞑想」あたりのエレメントから、それぞれを眺めることができるのではないか、ということ。

3)あえて言うなら、それぞれを、「マスター度」、「表現度」、「空(エンライトメント)度」の三つの尺度で比較することができるのではないか。

4)ほとんどが、マスターが弟子に「空」を「表現」する、という形になっており、「ギタンジャリ」においては、マスターは「空」そのものであるが、「弟子」の応答(表現)によって、その在り方が推測できる。

5)小説という形を借りているものが前半にきているが、そもそも「本」という形をとっている以上、表現されたもの、という限界がある。あるいは、その表現を限界値まで高めている「本」が高く評価されている、ということであろう。

6)いわゆる3C論をここで当てはめてみるとすると、コンテナとしての「マスター度」、コンテンツとしての「表現度」、コンシャスネスとしての「空度」、という対応がありそう。

7)「ツラトゥストラ」は表現度としては★5としても、その「空度」は下がるだろう。「ミラレパ」は3のスケールにおいてほぼ満点だが、1000年前のチベット、という空間における限定性を考えると、「マスター度」にやや難点があるか。

8)そういう意味では、老子、荘子も似たようなことになる。

9)「カラマゾフ」、「ジョナサン」、「ミルダッド」は、小説という限界から、実存的な「空度」に問題があるが、結局は、それを読んだ読者がどれほどまでに純化されるかにかかっており、作品至上主義に陥らないで、つまりエンターテイメントになりさがならければ、なにごとかあらん、ということになるか。

10)「バガヴァッドギータ」や「山上の垂訓」は、すでに完成の域に達している「本」なのであるが、それをどう読むかは「読者」にかかっている。あるいは、それを読む者までに届ける役目としての「マスター」がどのように関わるかで、その価値は大きく変わる。

 そんなことを感じた。そんな印象をBIHL2以下の「本」たちを読み進める上での尺度にすることも可能であろう。

<75>につづく

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