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2010年5月の44件の記事

2010/05/31

Books I Have Loved<75>

<74>よりつづく 

Books_i_have_loved_2
Books I Have Loved <75> 
Osho 1985/07 Rajneesh Foundation Intional  247p ペーパーバック 言語 英語

Books I Have Loved session2 (BIHL2)

1)The Book of the Sufis

2)Prophet by Kahlil Gibran

3)The Book of Lieh Tzu

4)Plato's Dialogue on Socrates

5)The Notes of the Disciples of Bodhidarma

6)The Rubaiyat

7)Masnavi of Jalauddin Rumi

8)The Isa Upanishad

9)All and Everything by Gurjieff

10)In Search of the Miraculous by Ouspensky

11)Leaves of Grass by Walt Whitman

Bihl02

1)スーフィーの「本」は、「Osho Nothing Book」で代用しよう。追っかければ、イドリース・シャーによる「The Book of the book」も見つかるかもしれない。

2)ジブランの「預言者」の邦訳は二桁に達する。どの本を読むか、というより、この広がりを感じることが大切だ。ジブランの他の本にも手を伸ばそう。

3)「列子」これもまたいろいろなバージョンがある。しかし、これは老子や荘子とのつながりのなかでの一体感を味わえれば、それでいいとしよう。

「ソクラテスの弁明とその死」。こちらも定番。定番であるがゆえに、読み落としていることもあるはず。初心に帰ろう。

5)「菩提達磨の弟子たちの記録」菩提達磨)。いよいよZENの登場だ。ここからは、最後のZENシリーズとかぶってくるので、追うのはほどほどにしよう。

6)「ルバイヤット」。いつも飲みながら良い気分になるとこの本を出してくる。でも、それって、本当? オマール・ハイヤーム。飲み仲間?

7)「マスナヴィ」ジェラルーディン・ルーミー。イスラム文化圏についての全体的な理解の中で、もっともっとこまかくデリケートに読まれるべきだろう。

8)「イーシア・ウパニシャッド」インド哲学は深い。かつ、どこまでも幅広い。ひとつひとつ、目の前に提示された道を歩み続けるしかない。

9)「森羅万象」。「べルゼバブの孫への話-- 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判」。グルジェフ。う~ん、これを一気に読むのは、今回もむりだろう。

10)「奇蹟を求めて」ウスペンスキー+グルジェフ。この組み合わせ、あまり本気に読んではこなかった。この辺でチューイング・インしたい。

11)「草の葉」ウォルト・ホイットマン。小説どころか、詩だって、まともに読んできていない当ブログである。この辺で、本を読むスピードを変えよう。

 BHIL<1>を究めるべきか、軽く流して、BHIL<2>から<16>まで、一気に下るべきか。なかなか難しい分水嶺。3、4、5、あたりまで流れては、また遡り、という、行きつ戻りつしながら、下っていくことになるのだろうか。

<76>につづく     

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Books I Have Loved<74>

<73>よりつづく

Books_i_have_loved_2
Books I Have Loved <74> 
Osho 1985/07 Rajneesh Foundation Intional  247p ペーパーバック 言語 英語

Books I Have Loved session1 (BIHL1)再読感想

 再読としてはまだ完読していない段階だが、いつ完読となるかわからないので、BIHL1をひととおり手にしたところで、とりあえず、現在のところの印象をまとめておく。

Bihl1

1)ごく有りそうな定番でありながら、第一番目のセッションとしては、ZENとグルジェフ、神智学関連が入っていないのが印象的。

2)この10冊に共通して言えることは、Osho用語でいえば、「マスター」、「弟子」、「空(エンライテンド)」、「愛」、「瞑想」あたりのエレメントから、それぞれを眺めることができるのではないか、ということ。

3)あえて言うなら、それぞれを、「マスター度」、「表現度」、「空(エンライトメント)度」の三つの尺度で比較することができるのではないか。

4)ほとんどが、マスターが弟子に「空」を「表現」する、という形になっており、「ギタンジャリ」においては、マスターは「空」そのものであるが、「弟子」の応答(表現)によって、その在り方が推測できる。

5)小説という形を借りているものが前半にきているが、そもそも「本」という形をとっている以上、表現されたもの、という限界がある。あるいは、その表現を限界値まで高めている「本」が高く評価されている、ということであろう。

6)いわゆる3C論をここで当てはめてみるとすると、コンテナとしての「マスター度」、コンテンツとしての「表現度」、コンシャスネスとしての「空度」、という対応がありそう。

7)「ツラトゥストラ」は表現度としては★5としても、その「空度」は下がるだろう。「ミラレパ」は3のスケールにおいてほぼ満点だが、1000年前のチベット、という空間における限定性を考えると、「マスター度」にやや難点があるか。

8)そういう意味では、老子、荘子も似たようなことになる。

9)「カラマゾフ」、「ジョナサン」、「ミルダッド」は、小説という限界から、実存的な「空度」に問題があるが、結局は、それを読んだ読者がどれほどまでに純化されるかにかかっており、作品至上主義に陥らないで、つまりエンターテイメントになりさがならければ、なにごとかあらん、ということになるか。

10)「バガヴァッドギータ」や「山上の垂訓」は、すでに完成の域に達している「本」なのであるが、それをどう読むかは「読者」にかかっている。あるいは、それを読む者までに届ける役目としての「マスター」がどのように関わるかで、その価値は大きく変わる。

 そんなことを感じた。そんな印象をBIHL2以下の「本」たちを読み進める上での尺度にすることも可能であろう。

<75>につづく

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ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝<2>

<1>よりつづく

Milarepa1
「ミラレパの十万歌」 チベット密教の至宝
ミラレパ おおえまさのり 1983/04 いちえんそう めるくまーる社 特装本 975p
★★★★★

 「Books I Have Loved」セッションに(BIHLss1)おける10冊目。チベット密教の至宝。チベット密教とくれば、この人を欠かすことはできない。みんなの人気者。ただ、当ブログにおいては、チベット密教の「本」については一巡している。

 一般公立図書館にあるチベット関連の書は数百冊以上あるだろうが、とにかく手にとれる本のかなりの部分を当ブログでめくってきた。重なる部分もあれば、ごく最近になってようやく公表された内容もあり、もちろん今後も、全体的な出版状況を注視したい。

 しかし、それでも、チベット密教に関しては一巡した、という想いがつよい。全体像の直径が量れてしまったというか、ツボや勘どころがつかめたというか、少なくとも、すでに当ブログのスタイルである「一般公立図書館で読める本」という意味では、もうなにか新しい地平が開けるとは思えないところまできている。

 それは、チベット密教は「密教」なのであり、文学でも文化でもないのだ。表現されることで完結する美の世界ではない。生活の中の「善」があり、生死を超えた「真」がある。その部分は、もう書籍や博物館では得られない、ということはすでにはっきりしている。

 では、チベット密教とは縁が切れるのか、といえば、それは逆である。むしろ、表現されたり、証明されたりする世界とは、また違ったレベルに深化していく必要があるのである。あるいは、もう一段飛翔する必要がある。そして、ブログ、という表現形態からはすこしづつはみ出して行かざるを得ないのだ。

 そうは言いながら、この「ミラレパの十万歌」は1983年発行の本だが、あまり流通していない本のようである。図書館やネットオークションで入手することは不可能ではないが、難しい部類に入りそうだ。おおえまさのりワークの中の一冊。「チベットの死者の書」や「偉大なヨギー ミラレパ」などと同じヴァイブレーションを漂わせている。

 「ティロパ」、「ナロパ」、「マルパ」、「ミラレパ」の系譜、とはいうものの、ひとりひとりがあまりにも個性的である。マルパなどは、「トランスレータ」という呼び方をされている。現代のチョギャム・トゥルンパなども、その法脈を継ぐ。

 その伝統、その精神性は、この地球上に比類のない至宝のひとつである。そのなかにあって、さらなる高見にミラレパはいる。ヒマラヤの、さらなる霊峰の頂点だ。ひしぶりに読んでいる。3分の1ほどのところまで来た。さすがに凄い。面白い。この本はもっともっと読まれてしかるべき本だな、と思う。

<3>につづく

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2010/05/30

老子・荘子 人類の知的遺産5

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「老子・荘子」 「人類の知的遺産5」
森 三樹三郎 (著) 1978/07講談社 単行本: 415p
Vol.3 No.0030 ★☆

 「Books I Have Loved」ssの5冊目と6冊目は、老子と荘子だ。一般に老荘思想と言われて、ひとまとまりになっている。ところが英語になると、老子は「Tao Te Ching by Lao Tzu」となり、荘子は「The Parables of Chuang Tzuとなる。「老子の道徳経」と、「荘子の寓話」ということになる。後にでてくる列子は、老荘思想の後継であり、より純化された完成度の高いものとされるが、こちらは「The Books of Lieh Tzu」となる。

 道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無名は天地の始めにして、有名は万物の母なり。故に常に無欲にして以て其の妙を観、常に有欲にして以て其の徼を観る。
 此の両者は同出にして名を異にするも、同じく之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。
p124

 有名な「道徳経」の第一章だ。Oshoが語った老子は「TAO永遠の大河」が有名。いまここで、あらためて頁をめくるつもりはないが、そう言わず、もう一度めくってみたら、新たなる発見があるかもしれない。

 舟をならべて川を渡ろうとするとき、人が乗っていない空舟が向うからやってきて、こちらの舟に接触したとする。この場合には、いかに怒りっぽい心の持ち主でも、腹を立てることはないだろう。p211

 こちらは「荘子」から。Oshoが荘子について語った「虚空の舟」の出典はここにある。なるほど、あらためて老子と荘子を並べてみると、老子の観念的抽象概念に比べ、荘子を「寓話」と言いたくなるほど、実に巧みに例え話を活用する。

 これに「列子」を含め、いわゆる悠久の自然に遊びたいところではあるが、日本に生れ育つと、どこかにこのいわゆる老荘という奴が沁み込んでいるものである。沁み込みすぎて、意識しなくなってしまうのだが、これが西洋あたりから見れば、また独特の味わいとなるに違いない。「TAO」と言われると、なんだか、新しい感じがする。

 TAOのTAOとすべきは常のTAOにあらず。ははは、なんだか新しい・・・?

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2010/05/29

KRISHNA:the Man and His Philosophy

Krishna
「KRISHNA : the Man and His Philosophy」 
OSHO Rajneesh Foundation Intl; 1985/07 ペーパーバック: 841p illustrated edition版 言語 英語
Vol.3 No.0029 ★☆

 「Books I Have Loved」ss「バガヴァッドギータ」を読み進めるにあたっては、こちらのOshoの講話録などを併読しながら進めたいと思う。

 正しい機会が到来する時を待ちたい。

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バガヴァッド・ギーター<7>

<6>よりつづく 
バガヴァッド・ギーター
「バガヴァッド・ギーター」 <7>
鎧淳 2008/03 講談社  文庫 275p

 「Books I Have Loved」ssにおける8冊目に登場する「バガヴァッド・ギーター」。インドにおけるヒンディー文化の膨大な伝承を伝える叙事詩であり、その地にあっては最高の聖典のひとつとされる。もともとのネイティブ・インド人ならざる我が身にあっては、10代からその名前を聞き及び、幾冊かの研究書を手にしてきたとは言え、身に着くほどのなにものかを得たとは言えない。

 だが不思議なもので、最近、さてと読んでみたいと思い始めたのがこのお話だったのだから、何事かの風向きが変わってきたのかもしれない。

 常住にして不滅、無量無辺なる霊魂の、これなる肉体は、限りありといわる。されば、戦うがよし、----バラタの獅子よ----。p43

 目前の難事に怯え、いささか勇気を奮い起させる要のある時、バガヴァッドギータは新たなる闘いの道へと読む者を押し出す。とはいいながら、その闘いは、自らへの内側へと進む道行きだ。

 Oshoはヒンディー以外にまとまったバガヴァッドギータを語っているのだろうか。手元には、KRISHNA The man and His Philosophyがあるだけだ。これは、1970年におけるボンベイと、マナイにおけるキャップの時の問答集。Oshoは人々を新たなネオ・サニヤスという、新しい「闘い」へと人々を押し出そうとしていた。

 多くのネイティブ・インド人達を目の前にして、クリシュナを語ったOshoから、古いインド人たちは立ち去り、新たなる探求者たちが世界各地から集まりだした。新たなる「闘い」が始まったのだ。

 意味深い聖典だが、当ブログとしては、これらの講話録をナビゲーションにしながら、いずれ新たなる機会をとらえて、クリシュナの道をたどることにしたい。

<8>につづく

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ミルダッドの書―灯台にして港<2>

<1>よりつづく

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「ミルダッドの書」―灯台にして港 <2>
ミハイル・ナイーミ (著), 小森 健太郎 (翻訳) 1992/12 壮神社 単行本: 347p
★★

 I also remembered Mikhail Naimy's book The Book of Mirdad. That books is just unbelievable. I feel jealous of only one man. Mikhail Naimy. Jealous not in the ordinary sense, because I cannot feel jealous in that sense, jealous in the sense that he has written it already, otherwise I would write it. I would have written it ........it is of the same heights I am flying to. Osho : Notes of a Madman p68  

 わたしはまた、ミハイル・ナイミの「ミルダッドの書」を思い出した。この本は全く信じられないような本だ。私は、一人の人間だけは、ミハイル・ナイミにだけは嫉妬を覚える。ふつうの意味会いでの嫉妬ではない。ふつうの意味合いでの嫉妬は、わたしには感じられないからだ。彼がすでにこれを書いたという意味で、わたしは嫉妬する。さもなければ、わたしが書く。Osho「狂人ノート」p160

 Oshoをして、ここまで言わしめる本。「Books I Have Loved」ssにおいては、「ツァラトゥストラ」「カラマーゾフ」に続く、3冊目に位置する。私の中では、カリール・ジブランの「プロフェット(預言者)」と一体になってしまっていて、渾然としている。ナイミとジブランは友人だった。ほとんど親友という以上のつながりがあった。

 第一次大戦中の1917年召集を受け、アメリカ軍に入隊し、フランスの戦線に参加。従軍の強烈な体験が彼の精神に大きな影響を与えた。p334「人と作品」

 1889年生れのナイーミ28歳の頃から、アメリカ軍に従軍1917~18年(p337)していたようだが、アメリカ軍とは言えフランスの戦線に従軍したのだから、その間に、パリに遊ぶこともあっただろう。

 一方、1883年生れのジブランは、「35歳になってパリへ行き、芸術アカデミーに入学。彫刻家ロダンのもとに3年間学んだ」神谷「ハリール・ジブラーンの詩」p12とあるから、ちょうど、ナイーミがフランス戦線に参加していたころだ。

 永い間、親交を結んだ二人ではあるが、この時代、軍人と芸術学生という二人が、フランスでも会っていただろうことは想像できる。ナイーミは「一時神智学に傾倒したことがある」p345とのことだが、このフランス時代の二人と神智学の流れの関わりはどんなものだったろうと、直感的に気になる。

 すべての物事は中心を持たなければならない。そこから光が放射され、その周りを事物が回る。もし生が---人間の生が---円環であり、神を見つけることがその中心であるなら、あなたがたの仕事はすべてその中心へと収斂されなければならない。それ以外は、血の汗に浸されてはいても、道草である。329p「ミルダッドが方舟を出帆させる」

 この小説もまた、山上の垂訓というか福音書に似た形をとっている。ツラトゥストラも、ゾシマ長老も、チャンもサリバンも、クリシュナも、ラオツもチャンツも、ミラレパも、どこか似たような形式を持っていることが、不思議に思われる。この形式は、なかなか安定したステージを生み出すのだろう。「ミルダッドの書」においても、この形が整えられるまで時間がかかるが、このスタイルが確定すると、あとはミルダッドの独壇場だ。

<3>につづく

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ギタンジャリ<2>

<1>よりつづく

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「ギタンジャリ 」 <2>
ラビンドラナート タゴール (著), Rabindranath Tagore (原著), 森本 達雄 (翻訳) 1994/09 レグルス文庫 新書: 243p
Vol.3 No.0028 ★☆

 Oshoの「Books I Have Loved」ssの9番目はギタンジャリ。タゴールには膨大な詩集があり、すでに一世紀前にノーベル賞を受賞している作家なので、出版されているバージョンもさまざまある。どこにターゲットを絞ればいいか、と躊躇したが、思えば「ギタンジャリ」はきわめてコンパクトな百余りのちいさな詩のあつまりであった。しかも、もともとのベンガル語から、タゴール自身によって英語に翻訳されている。

THOU hast made me endless, such is thy pleasure. This frail vessel thou emptiest again and again, and fillest it ever  with fresh life.

This little flute of a reed thou hast carried over hills and dales, and hast breathed through it melodies eternally new.

At the immortal touch of thy hands my little heart loses its limits in joy and gives birth to utterance ineffable.

Thy infinite gifts comes to me only on these very small hands of mine. Ages pass, and still thou pourest , and still there is room to fill. <1> p3

このレグルス文庫版のすぐれているところは、巻末に英文の103の原詩が60ページ弱に渡って収録されているところ。

 おんみは わたしを限りないものになしたもうた---それが おんみの喜びなのです。この脆(もろ)い器を おんみはいくたびも空(から)にしては、つねに 新たな生命(いのち)でみたしてくれます。

 この小さな葦笛を おんみは 丘を越え 谷を越えて持ちはこび、その笛で 永遠(とこしえ)に新しいメロディーを吹きならしました。

 おんみの御(み)手の不死の感触に、わたしの小さなこころは 歓(よろこ)びのあまり度を失い、言葉では尽くせぬことばを語ります。

 おんみのとめどない贈り物を わたしは この小さな両の手にいただくほかはありません。幾歳月かが過ぎてゆく、それでもなお おんみは注ぐ手をやすめず、そこにはまだ満たされぬゆとりがあります。
<一>p29

 対訳を並べてみると、実に邦訳者もデリケートにものごとを進めているのがわかる。転記しているこちらもまた、小さな句読点にさえ、気を使う。傍点のところは太字にした。もともと縦書き、横書きの違いさえ、イメージの違いを生むだろうが、そこまでは完全を期することはできない。

 Oshoはこの詩を英語で読んだのだろうか、もともとのベンガル語で読んだのだろうか。あるいは、ネイティブ・ベンガル人の詠唱を聴いたかもしれない。現在の日本ではタゴールに関する資料は多くある。「ギタンジャリ」を入り口にすれば、悠久のインドへの旅をタゴールはナビゲートしてくれるだろう。

 Oshoがこのタゴールをセッション1の中に選んだことから考える。かの10冊は殆ど詩ではないだろうか。山上の教訓といい、ミルダッドの書といい、あるはニーチェやドストエフスキーだって、ミラレパやジョナサンにしたところで、そこにあるのは、事実の描写とか、合理的な整合性を誇る論理ではない。ひたすら詩情である。

 科学的な、合理的な、論理ならば、一度読み、一度理解すれば、ほとんどそれは役目を終えたことになる。しかし詩となると、一度で味わい尽くせるものでもなく、一度目をとおしたからと言って、それを理解したともいえない。読むたび、触れるたびに印象がかわる。それは生きているから。生きている読み手側の触れかたによって、どんどん成長していく。

 「Books I Have Loved」ssは10の詩編から成っていると考えることができる。そして、それは、全部で、ひとつの詩とさえ考えても差し支えない。読み返すたび、新たないのちが噴き出す。新しい本もあり、古い本もある。ひとつひとつがまた独立したユニークな存在だ。それにも関わらず、それぞれがそれぞれに共鳴しあっている。

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2010/05/28

グルジェフとクリシュナムルティ<2>

<1>よりつづく

グルジェフとクリシュナムルティ
「グルジェフとクリシュナムルティ」 エソテリック心理学入門
ハリ-・ベンジャミン/大野純一 1998/03 コスモス・ライブラリ-/星雲社 単行本 260p
★☆

 今回この本を再び手にとったのは、20世紀の巨大な精神的うねりの中での震源地とされる二人の神秘家、グルジェフとクリシュナムルティにいかような関係があったのか、ということに関心があったからである。

 この本の英語タイトルはBasic Self-Knowledge An Introduction to Esoteric Psycology Based on the Gurdjieff System of Esoteric Development, with some References to the Writigs of Krishnamurti とある。

 いままでこの両巨頭の関連について深く考えたことがなかったが、ほぼ同時代に起きたムーブメントにどのような関係があっただろうか、と、野次馬根性を持ったからだった。本質的な意味における同質性が発生することは当然のこととしても、人的流れや、教義や思想的な影響関係はあったのだろうか、と、恥ずかしながら、出歯亀根性丸出しである。

 しかるに、例えば、ウスペンスキーの「ターシャム・オルガヌム」における神智学に関する言及がひんぱんに現れるように、神智学(的ながれ)においては、いわゆるグルジェフ関係のシステムやワークが流れ込んでいるのだろうか、という興味本位丸出しのきっかけが本書を読んだ理由である。

 結論から言えば、本書においては、それは明確にはみることはできなかった。著者ハリ-・ベンジャミンは、グルジェフの門弟でその膨大な注釈書「コメンタリー」を著したモーリス・ニコルを元に論を起こしている。Oshoはこのニコルの「コメンタリー」について高く評価しているが、当ブログとしては未確認である。

 モーリス・ニコルの本は未邦訳であるばかりではなく、かなりの大冊である。しかも6巻以上に渡るシリーズものである。一般公立図書館には在庫はなく、一部の大学にはあるものの、決して広く読まれた本ではなさそうだ。ネット上でも求めることはできるようだが、かなりの高値を呼んでいる。同じニコルの著書なら、大学にあるので、そのものではないが、手にとることは可能だ。

 ニコルはグルジェフの弟子だった。しかもウスペンスキーと違って、彼は決して裏切らなかった。彼はユダではなかった。グルジェフが最後の息を引き取るまで、そして息を引き取ってからも真の弟子だった。ニコルの「コメンタリー」は膨大だ。あれを読んだ者など誰もいないと思う。何千ページもある・・・・・しかしその面倒をあえて厭わないなら、大いに益するところがある。私の意見では、ニコルの「コメンタリー」は、この世の最上の本のひとつに数えられるべきものだと思う。Osho「私が愛した本」 p146

 Oshoがこうまで言っているわけだから、読める環境にあるなら幸せなことではあるが、まぁ、そのチャンスはほとんど巡ってこないと思われる。しかし、もしそれならば、ニコルの影響下において書かれたとされるこのハリ-・ベンジャミンの「入門書」によって、その概略でもつかめるものと思う。

 とも思ったが、この本もそうたやすいものではない。なにがどうなっているのか、明確ではないが、少なくとも、現在の私は、「面白く」読めない。「心理学」と銘打っているところに、それが「エソテリック」であろうとなかろうと、最近の当ブログは、しばし「心理学」からは遠ざかっていたい気分が漂っているのである。

 エソテリック心理学、と言われたとたんに、青い赤、黒い白、山のような谷、海のような砂漠、と言われているようで、拒絶反応がでてくる。ちょっと偏見ではあるが、しかし、二つの言葉には懸けるべき橋がすでに失われているのではないだろうか、という思いさえ、最近はある。

 本章でわれわれは、グルジェフの秘教的発達システムにおいて精神と合理的思考のプロセスがどのようにみなされているかを読者に示すべく試みた。クリシュナムルティの研究者は、われわれが言ってきたことが、--たとえ、多分、同じ言葉でではないとしても、--この最も根本的なことがらについてのクリシュナムルティの言い分といかに非常に緊密に結びついているか、容易にわかるであろう。

 たとえ使われる言葉と観念は同一ではなくとも、根底にある原理は両者の教えにおいて同じだとわれわれは感じる。これは必然的にそうでなければならない。なぜなら、両教師とも人間の精神を、その中で人間が---いまそうであるところの彼自身へのへたな模倣(カリカチュア)ではなく---彼自身になりはじめることができる経路(チャンネル)へと向けるべく努めているからである。このきわめて重要な目的を達するには、精神または知性の限界、および---現代世界であまりにもはやりすぎているその濫用とは別個のものとしての---その正当な用途をはっきり理解することが絶対に必要である。ハリ-・ベンジャミン p172

 なにをもってして、G側からのK側への影響とするのか、は、当ブログのいい加減な推論では曖昧すぎるが、しかし、本質に立ち返って、より中核の部分での類似性を見る、ましてや、G→K、という意味では、この本一冊がそうとう面白く読めるのではないだろか、と思い始めた。そもそも、この本自体が、そのような位置にある本なのではないか。この本、いつか、もっとゆっくり読める機会が来るだろう。 

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I Say Unto You

Isuy
「I Say Unto You」 vol.1 Talks on the saying of Jusus
OSHO 1983/07 出版社: Rajneesh Foundation Intl; New edition版ペーパーバック: 336ページ  言語 英語
Vol.3 No.0027 ★☆

 聖書「マタイ伝」の中の「山上の垂訓」についての講話である。1977年11月。私はこの時、Oshoの講話をプネのブッダ・フォールで聞いていたはずなのだが、全然覚えていない。あるいは、私が到着する直前に終了したシリーズだったかもしれない。

 英語は殆どできず、始めての海外旅行で、しかもOsho独特のインド英語ときては、なにがなにやらわからなかったとしてもしょうがないことではある。しかしながら、よくよく考えてみれば、耳で聞いただけでは、それが聖書のついての話なのかどうかさえ、分からなかっただろう。

 「matthew 5」。これはどの様に発音するのだろう。これだけではマシューとしか読めない。マシューとくれば、赤毛のアンがもらわれていったところの兄妹のお兄さんのことしか頭に浮かばない。ところがこれは「マタイ伝 5章」のことであった。なんと、赤毛のアンのマシューは、マタイだったのか。なんともはや、最初の最初からお勉強しなおさないと、聖書の世界は、よくわからない。

 Oshoの講話録「I Say Unto You」はvol.1、vol,2の二巻セットだが、私の手元にはvol.1しかない。最初のほうは「matthew」だが、242pになると「John」となる。これは、ジョン・レノンのジョンですかね。調べてみると、これは 「matthew」がマタイであったように、聖書のどこかに対応しているらしい。

 ここでもったいぶってもしかたないが、実は「John」は「ヨハネによる福音書」の事であった。なるほど、ジョン・レノンは、実は、ヨハネ・レノンだったのか。ひとつひとつ、何だろう、と調べていくと、実に初歩的なところがぜんぜん飲み込めていないことがわかる。

Chirst calls himself many times Son of man, and many times Son of God. He is both : Son of man as far as the body is concerned, Son of man as far as mind  is concerned ; Son of God as far as spirit is concerned, Son of God as far as consciousness is concened. Osho「I Say Unto You」p9

「人の子イエス」を書いたののはカリール・ギブランだ。その邦訳が進んでいるという話しがある。どんな本になるのだろう。楽しみだ。そういえば「神の子(イエス・キリスト)の密室」という推理小説があったな。

 「I Say Unto You」は、そのうち、また再読するチャンスが巡ってきたら、ゆっくり読もうと思う。 

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山上の垂訓 聖書<3>

<2>よりつづく

Photo_3
「聖書」 新改訳 <3>
新改訳聖書刊行会 1970/9 日本聖書刊行会

 「山上の垂訓」

 「Books I Have Loved」セッション1における7番目は「The Sermon on the Mount」、山上の垂訓である。それは新約聖書の一番最初にある「マタイの福音書」の中にあり、ごく短い、数ページの物語である。Oshoには、この「山上の垂訓」について語った講話録「I Say unto You」がある。

 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
 イエスは言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
 彼らはすぐに網を捨てて従った。
「マタイ」4-18

 そう言えば、このシーンは、Oshoタロットカードの一枚にもなっている。

 

Photo_3Let the dead bury the dead

 これは、あなたがひとたび神を見い出す道に踏み込んだら、後戻りはないことを思い出させるためのものです。これには途方もない勇気が必要です。
 
 あるときイエスは、朝早く湖に来た。ひとりの漁師が網を打ったばかりで、太陽はまさに地平線上を昇ろうとしていた。イエスが漁師の肩に手を置くと、漁師は彼を見た。一瞬の間、彼らの間にことばは交わされなかった。イエスはただの彼の目を見入った。その人は恋に落ちた。なにかが起こった。
 イエスは言った。「いつまでお前は魚を捕まえてばかりいて、自分の生涯を無駄にするつもりなのか? 私といっしょに来るいい。お前に神を捕まえる道を見せてあげよう」
 その人には途方もない勇気があったにちがいない。彼は網を湖に捨て、ひとつの問すらたずねることなく、イエスについて行った。
 彼らが町を出たばかりのところで、ある人が走って来た。彼は漁師に言った。「どこに行くんだ? 気でも違ったのか? 家に帰って来い! 病気だったお前の親父さんが死んだんだ。だから俺たちは親父さんの最後の儀式と礼拝の手筈を整えなければならない」
 漁師は初めてイエスに話しかけた。彼は言った。「死んだ父の息子としての義務を果たすために、三日間だけ家に帰るのを許していただけますか?」
 イエスは言った。「心配することはない。町には死んだ人びとが非常にたくさんいる――彼らが面倒をみてくれるだろう。死人が死人を埋めるのだ。お前は私といっしょに来るがいい。そして、もしお前が私といっしょに来たら、そのときには後戻りはない」
 そこで、その人はついて行った。
Osho TAO : THE GOLDEN GATE, Vol.1, pp.236-237
 
 Oshoはたくさんのことをキリストについても話しており、他のキリストに関するタロットカードもある。にも関わらず、聖書の中においては、この部分からつづく「山上の垂訓」だけ(!)をかなり高く評価しているのみである。しかるに、Oshoが語るキリストは生き生きとして生命力に満ち満ちているのは、その源泉を「聖書」にではなく、キリストその人に見ているからであろう。

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ハリール・ジブラーンの詩<3>

<2>よりつづく

ハリール・ジブラーンの詩
「ハリール・ジブラーンの詩」 <3> 
ハリール・ジブラーン 神谷美恵子 2003/09 角川書店 文庫 140p 出典「うつわの歌」みすず書房1989からの抜粋が一冊の文庫になった

 Oshoは「Books I Have Loved」でカリール・ジブランの本のうち9タイトルに触れている。そのうち、5タイトルの抄訳がこの小さな詩集に収められている。そもそもこの本は1975年に神谷が「婦人之友」に連載した紹介記事がひとつになったものであり、いかにジブランを愛した神谷と言えど、ジブランの全体像をこのちいさな本に満載することはできなかった。

 しかしながら、ジブランと言えば「預言者」というほど、極端な読まれ方をされているジブランにとって、全体的にまんべんなく紹介されているこの小さな本は、なかなかバランスがとれている一冊と言えるのではないだろうか。ましてや、体裁は詩集という形をとっているのであり、そこからの広がりを考える時、この本は侮れない魅力と存在感の香りを放っている。

 Oshoの本をランダムに読みながら、自分の中で時代的背景の中で整理してみる。すると、大体3つの本に集約されるのではないか、と思う。ひとつは1981年の早い時期に語られた「Books I Have Loved」である。そして、最後のZenシリーズとなった1989年の「Zen Manifest」。それから新たに加えるとすれば、それは60年代末の初期的講話「In Search of the Miraculous」が適当である。

 この三冊を並べてみれば、自分の中のOshoがかなり整理がつくように思う。もちろん、最後の一冊はより純化されたOshoを見る思いもするし、当ブログでの読み込みは不完全ながら、初期講話の持っているエネルギーは途方もないものが感じられる。敢えていうなら、この二冊でも十分という感じもする。

 しかしながら、動と静、プラスとマイナス、陽と陰、というほどに大きく違いを見せる二つの本に懸ける橋があるとすれば、私は「Books I Have Loved」を選ぶ。70年前後、80年前後、90年前後、という20数年に渡る3つの時代区分にも相応している。さらには、科学者、詩人、神秘家、という3要素のうち、それぞれの3冊が、それぞれの側面を代表しているようにも思える。

 まだ当ブログでは果たせていないが、「In Search of the Miraculous」は、例の神智学的7つの身体論に照らし合わせながら「科学」してみるのも面白かろうと思う。そのためにすこしづつ地ならしをしているところ。最後のZenシリーズは、ある意味、究極のテーマであり、こちらもまた一気には進めないが、ターゲットは定まっている。

 しかしながら、もし、Oshoの中から一冊を取り上げなさいと言われたら、そして、科学者、詩人、神秘家、という要素の全体像を象徴する入り口を見つけなさいといわれたら、私なら、この「Books I Have Loved」を選ぶだろう。たった一冊ではあっても、パワフルだ。Oshoの全体像が見渡せる気がする。

 さらに、その本に含まれる本の168冊の中のセンターはどこにあるか、と問われたら、敢えて、詩人、カリール・ジブランをはずす理由はないだろう。168冊の中で、Oshoはもっともジブランを取り上げている。残念ながら、日本においては、ジブランはまだ十分に紹介されていない。未邦訳なものばかりでなく、アラビヤ語でこそ味わえる詩もあるとのことだ。

 いずれはジブランのシリーズが日本でも広く読まれることになるのだろうが、現在のところ、バランス良く、しかも実にコンパクトにジブランを紹介しているのが、この神谷の「ハリール・ジブラーンの詩」だろう。

 Jonathan Livingston Seagull日本語版における五木寛之の解説がよくも悪くも作品の性格を決定づけてしまっているように、神谷のジブラン理解はやや解釈者に引き寄せてすぎている、と言えなくもない。しかし、それを差し引いたとしても、現在におけるこの紹介のされ方は、とてもバランスがよいように思える。

 絵を書くことと、文をつづくことに従事し、彼の本には自画がいくつもはさまれていますが、みな夢幻的な、独特な画風のものです。35歳になってパリへ行き、芸術アカデミーに入学。彫刻家ロダンのもとに3年間学びました。神谷p12「はじめに」

 1883年生れのジブラン35歳と言えば、1918年頃のパリか。そこにおける3年間ほどにあいだに、ジブランに何があったか、私は、ちょっと気になり始めた。  

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カラマーゾフの兄弟(上巻)<12>

<11>よりつづく 

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「カラマーゾフの兄弟」(上巻) <12>
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフス/原卓也  新潮社 1978/07 15刷を読んだ 文庫 509p
Vol.3 No.0026 ★☆

 いやはや、ここでもう一度この小説を読もうという気になるとは思わなかった。昨年かなり苦労して読み終えたはずなのに、「Books I Have Loved」第一日目の10冊のうちの2冊目でもあり、とりあえず、手元にあった古いヴァージョンを取り出してみた。新しければ新しいほどいい、と思っていたのだが、どうしてどうして、こちらだって、決して「古い」感じはしない。

 一連の168冊の再読にあたって、さまざまなヴァージョンを比べたり、新訳を優先しようかな、とも思ったが、どうもそれはあまり効果的ではなさそうだ。まず手元にあるものは、どんどん手元蔵書優先主義でいこう。

 けさ、Osho「I Say unto you」を読んでいたら、次のような一節があった。

I was reading the other night what Dostoevsky has said : that moralists are always very miserable people. That seems to be an absolutely true observation . Moralists are miserable  people. In fact, only meserabe people become moralists. They are so miserable that they would like to make everybody else miserable also. And the best way to make people feel miserable is to make them feel guilty.Osho「I Say unto you」p12

 この講話が行われたのは1977年11月。私はちょうどそのころはアシュラムでこの講話を聴いていたことになる。「Books I Have Loved」が語られた1981年にはOshoは読書はやめているとほのめかしているが、少なくとも77年当時はドストエフスキーを読んでいたことになる。

 当ブログでも、あまりあせらずに、この小説とは永く付き合っていこうと思う。

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2010/05/27

ツァラトストラかく語りき 上 <4>

<3>からつづく

ツァラトストラかく語りき 上 (新潮文庫 ニ 1-1)
「ツァラトストラかく語りき 上」 <4>
ニーチェ (著), 竹山 道雄 (翻訳) 1953/01新潮社 文庫: 280p
Vol.3 No.0025 ★☆

 Osho「Books I Have Loved」第一日目の10冊を読みなおすにあたって、まずはこの本から手をかけてみたのだけど、思いのほか進まない。中ほどに来て、止まったきりだ。このままでは、このままいつのまにかフェードアウトしてしまう。

 今回の読みなおしにあたって、全部揃えてみようと思い立ち、手元の在庫を調べてみると、全168タイトルのうち、約40タイトルほどしかない。もともと50タイトル位は入手不能だろうし、ひとつのタイトルでも数冊に渡ったり、いくつもヴァージョンがあったりするので、「完本」というわけにはいかない。

 それにしても、手元の在庫を整理して思ったことは、思いのほかニーチェ本があったということ。しかも、この竹山訳の上下本は2セットあった。いつどのタイミングで買いそろえたのかさえ忘れてしまったが、古い方は、10代の高校生の時に読んだものだ。

 Oshoにはニーチェを語った本が、「Zarathustra : A God That Can Dance」や「Zarathustra: The Laughing Prophet」があるし、ごく一部の抄訳ではあるが「Osho、ニーチェを語る」があるので、そちらから入ってしまったほうが確かに早い。しかし、ここでせっかく再読モードになったので、もういちど、ざっともともとの小説上下巻に目を通しておくことも悪くないだろう。

 書店にでてみれば、結構ニーチェ関連の新刊本がでている。

 今やニーチェに対する関心のリバイバルがある。私はリバイバルがあることを望んでいた。哲学者は偉大であればあるほど、それだけ同時代人に理解されない可能性が大きいからだ。そういった人は理解されるのには少なくとも百年はかかる。天才は常に百年時代に先駆している。今やリバイバルがある。人々はフリードリッヒ・ニーチェを読みつつあり、そこに新しい光、新しいビジョン、新しい洞察を見出だしつつある。 西洋には多くの哲学者がいたが、あなたは一人だけ挙げろと言っているので、私はフリードリッヒ・ニーチェを選ぶ他はない。Osho「Socrates Poisoned Again Aftrer 25 Centuries」p95、小森訳「Osho、ニーチェを語る」p16

Oshoが語ったのは、1986年だったけれど、1900年に亡くなったニーチェ、まさに、その没後百年にして、ニーチェは静かに確実にリバイバルしているようにも思われる。

<5>につづく 

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2010/05/26

うつわの歌

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「うつわの歌 」
神谷 美恵子 (著) 1989/09 みすず書房 単行本: 181p
Vol.3 No.0024 ★☆

 抄訳とは言え、カリール・ジブランの全体像をおぼろげながら見せてくれている貴重な本が神谷の「ハリール・ジブラーンの詩」である。そこには、こちらの「うつわの歌」に所収されたものを文庫本化したものであることのみ明記してあった。

 さてこちらの本にあたると、発表されたものはさらに古く、雑誌「婦人之友」に1975年7月~12月に連載されたものであった。この時点で、神谷はかなりの量のジブランを読み込んでいたことになる。

Of all the thousands of books I have told Vivek to carry only one. That is my only book now. It i  written by a man who has not reached but come very close, very very close---Kahlil Gibran. I wanted to talk about his book many taimes but did not. The time was not yet right. The man was only a poet and not a mystic, not one who really knowsm but he reached to the heights in his imagination. Osho「Notes of Madman」p5

 この時、1981年の時にはOshoはまだジブランを語っていなかったが、それは後年1987年1月に実現され、「Messia」として上下二巻にまとめられている。1931年に48歳でなくなったジブランの、若き時代の交友関係などを考えていると、どことなく親近感が湧いてくる。

 そう言えば、ジョン・レノンは、1968年の「White Album」で、母親Juliaを歌った曲「Julia」の中にジブランを引用している、とのことである。

Julia

Half of what I say is meaningless
But I say it just to reach you, Julia

Julia, Julia, ocean child, calls me
So I sing a song of love, Julia
Julia, seashell eyes, windy smile, calls me
So I sing a song of love, Julia

Her hair of floating sky is shimmering, glimmering
In the sun

Julia, Julia, morning moon, touch me
So I sing a song of love, Julia

When I cannot sing my heart
I can only speak my mind, Julia

Julia, sleeping sand, silent cloud, touch me
So I sing a song of love, Julia
Calls me
So I sing a song of love for Julia, Julia, Julia

僕の言うことの半分は無意味だけれど
それも ジュリア あなたに聞いてほしいがゆえ

ジュリア ジュリア 海の子 僕を呼ぶ
僕は愛の歌を歌うよ ジュリア
ジュリア 貝殻の瞳 風の微笑み 僕を呼ぶ
僕は愛の歌をうたうよ ジュリア

彼女の髪は漂う空 陽の光を受けて
きらきらとやわらかく輝く

ジュリア ジュリア 朝の月 僕に触れて
僕は愛の歌をうたうよ ジュリア

胸の内を歌に託せないときは
ジュリア 頭の中の考えを言葉に託そう

ジュリア 眠れる砂 もの言わぬ雲 僕に触れて
僕は愛の歌をうたうよ ジュリア
・・・・僕を呼ぶ
僕は愛の歌をうたうよ ジュリアのために ジュリアのために

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Jonathan Livingston Seagull<5>

<4>よりつづく 

Jonathan Livingston Seagull[洋書]
「Jonathan Livingston Seagull」 a story <5>
Richard Bach/Russell Munson 2006 SCRIBNER MACMILLAN [洋書] Paperback 95p 言語: English
Vol.3 No.0023 ★☆

 OshoBooks I Have Loved」第一日目の10冊の中に、この一冊が入っているということは、いかにも唐突という感じがしないでもない。そもそも70年前後にアメリカで発行された本なので、81年当時にはまだまだ話題性があった、ということもできるだろう。しかしそれにしても、異例の出世という以外にない。

 そう思って、さて、この本の日本語版と英語版には、なにか違いがあるのではないだろうか、と考えた。2010年の現在まで、これだけのヒット作なのだから、いろいろなヴァージョンがあるのは当然のことだが、とにかく取りよせてみたのは1970年発行の英語本。細かいことを言えばきりがないが、ざっと目についたことを書けば・・・。

1)英語版と日本語版では同じ写真が使われているが、日本語版では裏焼きされている写真が多くある。つまり、英語版では左から右へ飛んでいるカモメが、日本版では、右から左へ飛んでいる。

2)日本語版は、巻末に訳者の五木寛之の「解説」があるのに対して、英語版の原書には、解説どころか、著者の言葉さえない。紹介もない。

3)日本語版は時速何キロとか、何メートル、何キロ、という表示であったが、英語版はフィート、インチの世界。日本語版は割り切れない数字が乱立していたので、これは翻訳上しかたなかったかな、と思っていたが、英語版でも、結構、端数が表示されている。万が一、ヌメロジー的に数字に意味を負わせていたとしたら、お互いトンデモないことになりそう。

 と、まぁ、目くじらを立てるほどのことはなにもない。敢えていうなら、1)においてのカモメの飛翔の流れが右向きと左向きでは、例えば、内向的と外向的、というほど反対の意味を持つ場合がある。爛熟期のアメリカが精神的に内向化していく半面、高度成長期を迎えた日本が、より外向化しつつあった、などというのは、すこしつじつまの合わせ過ぎということになるか。

 2)においては、当時の売れっ子作家・五木寛之が翻訳・解説しているが、これがよくも悪くも、日本版のイメージを決定づけているのではないか。精神性の発露、と見るよりも、現代アメリカ文化の紹介的になってしまっているのは、本書の原質を半減させている可能性がある。

 3)は、こまかくは付き合わせてはいないが、原著者もそれほどの意味を数字に付加してはいないだろう。しかし、日本人として、メートル法とインチ・フィート・マイル表記では、やはり受け取る雰囲気が違う。右ハンドルと左ハンドルほどの違いがある。これはどうしようもないことではあるが、そうである、ということを意識しておくことは大事であろう。

 もちろんのことOshoはこの英語版を読んだのあろうが、現在においては同じリチャード・バックには、この「Jonathan Livingston Seagull」の他にも多数作品があるのであり、そちらは英語版とまではこだわらなくとも、当ブログとしては、一通り目を通しておく必要はあるだろう。

 いずれにせよ、この小さな小説にOshoはNotes of a Madmanの中でも繰り返し触れている。

<6>につづく

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2010/05/25

Notes of a Madman<4>

<3>よりつづく 

Notes of a Madman
「Notes of a Madman」
OSHO 1985/07 Rajneesh Foundation Intl ペーパーバック illustrated edition版 言語 英語, 104p
Vol.3 No.0022

 OshoBooks I Have Lovedおっかけをしていると、ついつい一冊一冊の枝葉に辿り着いてしまい、何時の間にやらOshoの全体性を失ってしまいそうになる。小宇宙を旅行しているつもりが、その境界域を突き抜け、無法地帯に突入してしまっていることに気付く。さりとて、その冒険も悪くはない。

 だが、読書全体が、どこから来て、どこに行くのか、ここはどこ、私は誰、ということを確認しておくために、あの本が1981年に語られ、その前後にこの「Notes of a Madman」や「ゴールデン・チャイルドフッド」があったことを思い出しておくのは悪くない。

 そう思って読みなおしてみると、同じ時期に前後して語られているのだから当然と言えば当然だが、Books I Have Lovedに登場してくるツワ者たちがその語りの中に次々と登場してくる。

Kahlil Gibran
Walt Whitman
Lao Tzu
Chuang Tzu
Buddha
Mahakashyap
Kurishnamurti
Jusus
Vedas
Bible
Koran
Michelangelo
Dostoevsky
Pythagoras
Nietszche
Russell
Sartre
Kabir
Rabindranath
Uapnishads
Mikhail Naimy
Gurdjeff
Jonathan Livingston Seagull
Baul
Magdalene
Jalaluddin Rumi
Baso
(Basho)
Tolstoy
Bodhidharma
Kabir
The Ten Bulls of Zen
Krishna
Mahavira
Moses
Ramakrishna

 これだけ小さな本なのに、ブッダ達のオンパレードである。これらの人々については、ひととおり一巡してきたので、すこしは理解することができるようになった。しかし、不思議な感じがする。Oshoを知ろうと思えば、これらの人を知らなくてはならなくなる。そして、それらを調べているうちに、結局、Oshoはどこにいるのだろう、と迷い始める。どこか、愛と瞑想に似ている。

 相手とアイコンタクトしていると、相手を知ろうと思っているのに、相手の目のなかに写っているのは私だけだ。相手の目の中で、私は、この私をみている。相手を知ろうとすればするほど、相手がいなくなり、私は私を知らなければならないと思う。相手が見ているのは、この私なのだ。

 目を閉じて、私は私を知ろうとする。たくさんのことがそこにある。相手や、友人や昨日のことや明日のこと、遠い昔、親や、兄弟、楽しい思い出、悲しかったこと、希望、だが、ひとつだけ足りない。私がいない。そこにはありとあらゆるものが詰まっている。過去のアルバムが一気に飛び出してきたようだ。

 だが、そこには、主人公がいないアルバムが山積みになっている。こんなにたくさんの美しい思い出や、愉快な仲間達に囲まれているのに、私だけがいない。Osho探しでOshoの本に遊ぶことは、それにどこか似ている。Oshoの本に戻れば戻るほど、Oshoがいないことに気付かされる。 

 ここには、さとったひとが、現代のわたしたちのことばで、しゃべっている。わたしたちは、彼のはなしのながれにのれば、いわくいいがたい例の状態を、いささか感じとることができる。それを語ることは、しぜんに詩になる。うつくしい----ということは、ことばのないときにいうことばだ。彼は西洋最新のセラピーと、東洋古代の瞑想法の相乗効果により、さとりの道を画期的にひらいたひとだ。片桐ユズル「狂人ノート」Osho外箱裏表紙

 シリーズ1と2の間に挟まっているカラーの写真集も美しい。Oshoのポエジーと 共鳴する。

This silence is so beautiful
There are beauties and beauties
on every plane,
on every level.
Even in the mud a lotus can flower.
Om Mani Padme Hum.
p79

Om Mani Padme Hum

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2010/05/24

ターシャム・オルガヌム<4>

<3>よりつづく

ターシャム・オルガヌム(第三の思考規範)―世界の謎への鍵
「ターシャム・オルガヌム」(第三の思考規範)―世界の謎への鍵 <4>
P.D. ウスペンスキー , 高橋 弘泰 , 小森 健太朗 2000/06 コスモスライブラリー 単行本

 今回またこの本を手にとってみようと思ったのは、必ずしもこの本が「名著」の誉れ高いからではない。この本の真価を判断するのは、私の手に負えない。この本がどのジャンルに属しており、どの本と比肩すべきか、誰がどのように評価しているかなど、私にはわからないことばかりだ。

 しかし、なぜかこれからも何回も読むことになるだろう。今回は、さてウスペンスキーはどのように神智学と関わっていたのだろうか、ということである。いままで、そのような視点でウスペンスキーを見たこともなかったし、あまり関心も持っていなかった。

 私のなかでは、スピリチュアル・マスターとしてはOshoの存在は限りなく大きく、そのOshoがいつも引用するものだから、クリシュナムルティとグルジェフは、気になる存在であった。それはまるで、右大臣と左大臣のような、水戸黄門を挟む、助さんと角さんのような、そんな戯画さえ頭の中に浮かんでいた。

 時代を交差する存在でありながら、私の中では、クリシュナムルティとグルジェフは、それぞれに独立した流れであり、まったくのオリジナルな存在であるように思えていた。だが、そんな理解でいいのだろうか。そう考え始まったのは、先日、「永久の哲学」をめくってからだ。

 そもそも、「真理」に「オリジナリティ」なんてあるもんか。普遍なものは普遍である。誰かが普遍にたどりついたら、それは、他の存在にとっても普遍である。もしクリシュナムルティが普遍にたどりついたとするなら、それはグルジェフにとっても普遍であり、それはOshoの理解とも同一のものであるはずだ。おりしも当ブログは、カテゴリも一つに絞り、そのタイトルも「one earth one humanity」と定めている。次第、次第に、ひとつにまとめようとしているのである。

 ウスペンスキーはグルジェフの立役者ということで、いつもグルジェフ寄りで考えてきた。神智学とのつながりなどあえて考えてみたことはなかった。しかし、それはかなり恣意的な偏見でさえあったのだ。読んでいて、読んでいなかった。今回、あえて、このウスペンスキーの代表作の一つとされる「ターシャル・オルガヌム」のなかにその痕跡を探してみた。

神智学 p32 p330 p337 p368 p387

神智学協会 pii

シークレット・ドクトリン p25 p54 p244

ブラバッキー p25 p54 p138 p244 p361 p387

リードビーター p32 p155 p290

アニー・ベサント p313

 パラパラとめくってみると、本文中だけでも、これだけの関連のキーワードが見つかった。逆に見た場合、神智学のほうでは、どのくらいグルジェフ・ムーブメントの影響があるのだろう、という関心も湧いてくるが、それはまた別な話題である。

 ウスペンスキーは少なくともこれだけの神智学的な「影響」をうけながら、結局独自の探求を続け、グルジェフを「発見」するのだった。しかし、それらは、一つの水面上に浮かんだ泡のいくつかのことであり、水面下では、とうとうと流れる一体的な海があるのであった、ということであろう。

<5>につづく 

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At the Feet of the Master

Atfeet_1_
「At the Feet of the Master」 compilation book -- Darshan Diaries by Osho individual talks with seekers 1975-81 Pune, India
Author Osho Edition illustrated Publisher Rebel Pub. House, 1992 404p
Vol.3 No.0021

 当ブログ<2.0>の777番目の書き込みにして、1024冊綴りVol.2における21冊目はこの本。残念ながら「one earth one humanity」カテゴリとしては、20冊目ではあるが、諸神の精霊が凝り集まってきた感がある。

The earth is one, and sannyas is a declaration of the oneness of humanity.  Osho p9

 クリシュナムルティが、リードビーターやアニー・ベサントの指導のもと、マスター・クートフーミ(KH)との遭遇を「At the Feet of the Master」として著した。邦訳は「大師のみ足のもとに」 として出版されているが、実は、大正14(1925)年、当時の唯一の星の教団団員・今武平によって「阿羅漢道」として文党社から出版されていた。クリシュナムルティの教団解散宣言の4年前のことである。

 父は真実を籠めて弥勒菩薩の再来を確信した。その点では今日の凡百の僧侶よりも強い信念を抱いて、弥勒再臨を用意していた。そのためには単身、あるいは一家、一族を挙げて弥勒出生の地へ巡礼したいと言っていた有様は、あたかも耶蘇降誕に際して遥々と当方から旅をして来た博士達と等しい情熱と信仰を持続しつづけていたのである。今東光「クリシュナムルティの世界」p337

 昭和11(1936)年に69歳で亡くなった武平は、この本を訳出した時は57歳。東光は29歳であった。この親子の56歳と7カ月と、29歳という、年廻りに何かの因縁を感じる。東光はこの父親の本を出版している。

 晩年の父は、道を求めてさえ容易に答える人ではなくなっていた。広義の意味ではクリシナ・ムルテが神智学協会を解消したという重要な意義と使命とからであったに相違ない。消極的な意味において父はわが子は勿論、何人も弟子を所有しなかったので、神智学を伝えようとしなかったのであろう。今東光「クリシュナムルティの世界」p334

 クリシュナムルティが「星の教団」の解散を決意する過程は、この「クリシュナムルティの世界」を読めば、決して突然にやってきたのでなかったことがわかる。それは、そうならざるを得なかったのだ。しかし、マスターとして、ロード・マイトレーヤーの臨在を待ち望んでいた人々の、驚嘆やら失望やらが、この今武平の姿を思う時、ありありと見えてくる。彼は誠実な人であったのだろう。

 父は私が仏門に入ろうとした時に、気に入らなかったことは事実である。もし私が聖道を求めるならば、しかしてそれは父にとっては喜ばしいことだったが、そのままの姿で道を求め毫も差し支えないと思惟した。そしてそれは本当だった。しかしながら私は、自分の半生の転換期に立って徹底的な変革を望んだ。そうして一つの宗派に属した。今東光「クリシュナムルティの世界」p334

 今東光が出家したのは昭和5(1930)年、クリシュナムルティの解散宣言の翌年、32歳の時のこととなる。この前後に彼は出口王仁三郎と出会っていたということが分かっているが、それは別途、他の資料を調査中である。

 私の父も霊智学会の会員でありながら、またクリシュナ・ムルティのスターの会員となり、毎月送ってくる薄いパンフレットをこれまた熟読していた。今日出海「クリシュナムルティの世界」p340

 どこにでもいる若き探求者たちの姿と、だぶついていくる。

 この「峠」の演奏会後7,8年して父は死んで、霊智学もクリシュナムルティも消えてしまった。父の蔵書も私の家が戦火を受け、ことごとく消亡したし、あの美しい曲の作曲家諸井三郎も死んで、今は夢のような思い出しか残っていない。今日出海「クリシュナムルティの世界」p340

 漠とした寂しい気分が湧いてくる。

 私の亡父は27,8歳から、どういう因縁で霊智学を知り、遂に日本唯一の霊智学者になったか知らないが、爾来、生を終えるまで40年間、一日として霊智学の書を手放さず、私の中学時代に早くも会社を辞め、ただ書斎に籠って勉学に務めた。今日出海「クリシュナムルティの世界」p339

 なんとも、今武平という人に感情移入してしまう。

 印度における神智学協会は、聖者クリシナ・ムルテを迎えてとみに発展した。しかしながらクリシナ・ムルテはその発展の頂上において解散を宣したのである。何故であるか。その真意を把握していた父は、莞爾として日本唯一のロッジの額を降ろしてしまった。今にして私には、それが少しづつ解るような気がする。今東光「クリシュナムルティの世界」p335

 Oshoがサニヤスというシステムを使ったこと、そしてそれがどのように機能し、現在どのように変化しているか、ということは、別途検証されなければならないだろう。しかし、クリシュナムルティが、マスターと弟子、というスタイルを否定したことを継いで、Oshoがネオ・サニヤスを稼働させた。そのフィールドの中で生きてきた自分を思う時、私は感無量な気分になる。

 この本は、1975~80年に渡って続いた、Oshoと弟子たちによるダルシャン日記からの再編集である。67冊の中から、特に「diciplefood」について語られている部分がまとめられている。70年代後半の熱いプネ1の、「ネオ・サニヤス」にまつわる、マスターからのビジョンである。

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クリシュナムルティの世界<2>

<1>よりつづく

クリシュナムルティの世界
「クリシュナムルティの世界」
大野純一  1997/08 コスモス・ライブラリ-/星雲社 単行本 434p

 いわゆる一般的な「クリシュナムルティの世界」を知りたければ、この本以外の別な本を読んだ方がいいだろう。クリシュナムルティの語ったことや書いたことなら、どの本を取り上げても、いわゆる「クリシュナムルティの世界」が展開されている(はずだ)。せっかちな私なんぞ、飽き飽きして、いい加減、途中でぶん投げてしまう。いつものことだ。

 だが、もしゲシュタルトを白黒反転させて、影としての「クリシュナムルティの世界」を知りたいとするならば、この本は持ってこいだ。この本には実に様々なことが書いてある。ゴシップネタが満載である。後年のクリシュナムルティの真意などどこへやら、彼を取り巻く有象無象の転び石がひしめきあっている。

 しかし、いや、だからこそ、私はこの本の中でも、今東光、今日出海、今武平について書き留められている部分に注目する。決して長い文章ではないので、全文を書きうつしてもいいかもしれない。でも、なんだか違う。必要ならこの数ページのコピーを取っておこう。だが、なにかをここに転記して済む、という問題ではなさそうだ。

1)今武平が大正14年に「阿羅漢道」としてだしたクリシュナムルティの「大師の御足の元に」は、文党社からでているが、この出版元が今東光だったりする。http://kikoubon.com/arakan.htmlから引用。その時の武平の序文も再掲されている。

Arakando_2

阿羅漢道』クリシナムルテ著 今武平訳 大正14年11月15日 文党社発行(今東光) 定価40銭 菊半截判 64頁 角背紙装並製本 カバー 「目次」 序文 アンニー・ベサント 序文 クリシナムルテ 序文 今武平 四種の資格 霊師の膝下にて 詩

2)今東光「父今武平と霊智学」p331~338という短い文章、これは東光がリードビーターの「神秘的人間像」昭和15年の序文に書いたもの。

3)また、弟の今日出海の文章では「日本唯一のロッジの額」p335、などの文字が見え隠れする。

4)「日本で唯一の『星の教団』団員だった今武平」p5

5)鈴木大拙は1928年(58歳)の時点でセオソフィカル・ソサイエティ(叡智学会)京都マハーヤーナ・ロッジ(大乗支部)の責任者となる。つまり神智学協会の日本の活動の責任者だった。

6)1929年当時、日本でただ一人の「星の教団」員だった今武平(今日出海さんのお父さん・・)

7)1997年の段階で、大野にして、この二人の間に「何らかの交流があったかもしれない」という程度の把握しかできていない。

8)1929年の直後、今武平は「日本唯一のロッジの額を降ろしてしまった」ということになる。p334

9)セオソフィーはもともと日本では霊智学と訳されており、それを嫌った武平が名付けたのが「神智学」であった、という経緯も書かれている。運動としての表面的なセオソフィーから姿を消した武平が残した「神智学」という言葉のほうが残ったとすれば、なかなか歴史の妙。

10)クリシュナムルティの前世48を書いたとされる「アルキシオネの生涯」のアルキシオネとは、アルシオーネのこと。まさか、スバル・アルシオーネのことでは、あるしおーね・・・、じゃなかった、あるまいね。

Ax7_yuugure_2 

11)その他、ホワイトブラザーフッドや、KHについての記録がランダムに放置されている。いやはや、いろいろある。 

 ちょっと我ながら、混乱気味。あとで加筆訂正しよう。

<3>につづく

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2010/05/23

クリシュナムルティの世界<1>

クリシュナムルティの世界
「クリシュナムルティの世界」 <1>
大野純一  1997/08 コスモス・ライブラリ-/星雲社 単行本 434p
Vol.3 No.0020

 一度は一通り目を通そうと思って、クリシュナムルティ・リストは作ってあるのだが、いつも後回しになってしまい、なかなか彼の一連の流れを把握することができないでいる。もともとがあまり得意な人物でないので仕方ないのだが、Oshoを読み進める上では、クリシュナムルティについては避けては通れない里程標みたいなものである。

 図書館でこの本を受け取って、この本で何を読もうと思っていたのだろうと、自分がいぶかしくなった。他の本と一緒にリクエストしていたので、忘れてしまっていたのだ。そこで、さっと指を突っ込んだところが、「父今武平と霊智学」p331という今東光の8ページほどの文章だった。そうそう、これを読みたかったのだ。

 この部分こそ、昭和15年に今東光がリードビーターの翻訳として「神秘的人間像」というタイトルで出した本の序文なのである。この訳本自体を読みたいと思ったが、現在のところ、国会図書館とごく一部の地方大学に所蔵されているだけであり、すぐに読むことはできそうにない。まぁ、この序文さえ読めれば今回の目的は達成された、ということになる。

 今夜はなんだか大儀になってしまったので、あちこち転記する気はないが、とにかくいくつかのことが分かった。

1)今武平は、日本で唯一の「星の教団」団員だった。

2)今武平は、日本で唯一のロッジを主宰していた。

3)今武平は、「大使の御足の元に」を「阿羅漢道」として翻訳していた。

4)今武平は、日本の神智学の一時責任者だった鈴木大拙とは、面識が確実にあったとは言えない。

5)今武平の晩年は、東光、日出海という子息たちの目から見れば、実に質素なものであった。

6)今日出海は、1980年になって久しぶりに店頭でクリシュナムルティの本を手にした、ということだから、それは1980年8月にでた「自我の終焉 絶対自由への道 」に違いない。そして、この本がでるまでは、日本においては、一部の会員などのほかに、一般的にはほとんどクリシュナムルティは無名であった、ということが裏付けられる。

7)「鈴木大拙の神智学協会の紹介」p27という文章から、大拙と協会の位置関係を推し量ることができるだろう。ひとつの足がかりとなる。

8)ウスペンスキーは、ロシアで一時神智学に入信していたp169という一文があり、これも今後の足がかりになる。

9)アニー・ベサントとアンベートカルとの連携については、まだこの本の中には見つけていない。

 その他、この本には、かなり雑多な情報が満載されている。うまく処理はされているが、「雑多」であることには変わりはない。あまり長期に目を通しているとセンターを失うので、すこし休み休みしながら、目を通していったほうがよいように思う。

 <2>につづく

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Osho、ニーチェを語る<1>

Osho
「Osho、ニーチェを語る」 <1>
Osho 小森 健太朗・訳編 1990/03 出版:全国エルピー・プル狂連 印刷:同人誌印刷 簡易冊子 p60
Vol.3 No.0019

 本棚をゴソゴソやっていたら、ポトンと落ちてきた一冊。そうそう、先日、ミニコミ類を整理していて、この冊子がでてきたので、本棚の一番上にあげておいたのだった。今回ニーチェがようやく主テーマになりそうなので、そろそろこの冊子を読む段階がきたのだろう。

 と、めくってみたところ、この冊子B5版の薄いパンフレットだが、中味が濃い。ちょっとめくるとドキっとして一気に惹きつけられてしまうが、そのまま昇天してしまいそうな勢いだ。なんせ、未邦訳の英語版のOsho本のなかから、直にニーチェに触れている部分が集中的に翻訳されて、一冊になったものである。

 その本たちもなかなか重い。

Theologia Mystica」 p183~186 1980/8/18

Zen: The Special Transmisson」 p252~254 1980/07/08

Books I Have Loved」 p101~103

Rajneesh Bible vol.1」 p701~703 1984/11/27

Rajneesh Bible vol.2」 p715~716 1984/12/25

Rajneesh Bible vol.3」 p506~511 1985/01/14

Socrates Poisoned again After 25 Centuries」 p95 1986/02/22

The Rajneesh Upanishad」 p44~52 1986/08/18

The Messiah vol.2」p66~69 1987/01/21

The Messiah vol.2」p308~309 1987/02/05

Zarathustra : A God That Can Dance」 p4~10

Zarathustra : A God That Can Dance」 p56~62

Golden Future」 p46~51 1987/04/24

Golden Future」 p52~53 1987/04/24

Golden Future」 p64~67 1987/04/25

Golden Future」 p82~86 1987/04/26

Golden Future」 p87~88 1987/04/26

Golden Future」 p238 1987/05/24

Communism & Zen Fire, Zen Wind」 p207~212 1989/02/03

God is Dead」 chapter4 1989/02/09

Nietzsche 

 これら一つ一つの講話録の中かから、Oshoがニーチェについて語っている部分を主に抜き書きしたものだから、「Osho、ニーチェを語る」というテーマについて知りたい人にとっては、これほど便利なものはない。これらの文献は、邦訳はすすんでいなものばかりだから、実に貴重な一冊と言える。

 しかし、Oshoにおいては、その講話録というものは、必ずしも知識を増やしたり、娯楽で読まれたりするものではない。これらを一気に読み進めるというのは、かなりキツイものがある。読み始めると、実にタジタジとなる。

 ニーチェはマハヴィーラやブッダになれたであろうが、彼にはいかなる瞑想の次元も提供されていなかった。人が一旦神を拒むと、その人のありようの全責任が山となってその人の頭上にのしかかってくる。そしてその人はその責任に押しつぶされてしまう。これがニーチェに起こったことだ。ニーチェは自分の責任に押しつぶされてしまった。彼は自分の自由を制御できなかった。Theologia Mystica」 p183~186 1980/8/18 本書p6 

 彼は瓦解した。彼は神経的に崩壊した。彼は瞑想者のみ許されているところに到達しようと試みた。そして当然のことながら、彼はその高みから落ちざるをえなかった。そして彼は複雑骨折に苦しんだ。彼が天才だったのは絶対的に確かだ。しかし彼の天才が彼を狂気に導いたこと、これもまた確かだ。

 東洋ではこうしたことは決して起こらなかった。調べてみればいい・・・・・。西洋ではこうしたことは常に起こっていた。偉大な天才がいるといつでも、遅かれ速かれ精神的崩壊があった。あたかも把握しきれないものをあまりにも多くみたかのように。彼は十分な翼を持っていないのに、長い間上空を飛行した。疲労して、ぼろぼろになって、彼は落下しした。The Rajneesh Upanishad」 p44~52 1986/08/18 本書p18

 ニーチェは直接人々に語って、そのせいで苦難を受けた。ニーチェは権力に飢えた人々のせいで、犠牲にされた最も偉大な存在の一人だ。しかしそういった人々はカリール・ジブラーンのことは気にしなかった。彼の本は詩として読まれ、美しいエンターテイメントとして読まれたが、それ以上の読まれかたはされなかった。The Messiah vol.2」p66~69 1987/01/21 本書p23

 カリール・ジブラーンは、フリードリッヒ・ニーチェの著作「ツァラトゥストラかく語りき」に強いインパクトを受けて、この「預言者」という本を書いた。ジブラーンは「ツァラトゥストラかく語りき」に非常に感動したので、自分自身も似た系列の本を著そうとした。ニーチェはツァラトゥストラについてはその名以外何も知らなかったので、ツァラトゥストラには彼にとっては歴史上の実在する人物ではなかった。しかしニーチェは自分の哲学を語るのにふさわしい代弁者を選んだ。

 同じようにカリール・ジブランはアルムスタファという虚構の人物を選んで、アルムスタファを通して語った。アルムスタファは、単なる仮面だ。ジブラーンはキリスト教に反することを言うために、仮面を必要とした。しかしジブラーンの本は単なるフィクションなので、誰も腹を立てなかった。教皇でさえ、ジブラーンの本をブラック・リストに載せて、カトリックの人は読んではならないと言わなかった。私の本はカトリックのブラック・リストに載っている。カトリックの人は読んではならない。一読するだけでも大きな罪を犯すことになる。The Messiah vol.2」p308~309 1987/02/05 本書p24

 世界には不幸な出来事があるが、私はフリードリッヒ・ニーチェのことを最も残念に思う。私には彼が、どれほど偉大な潜在的可能性を持っていたかがわかるからだ。しかし悪い環境にいて、前例もなく、独力で研究する術もなく、独りきりで・・・・独力で奮闘するのが、一個人には荷が重過ぎるのは確かだ。いかなる一個人でもだ。Golden Future」 p46~51 1987/04/24 本書36

 彼(ラビンドラナート・タゴール)は最高のカテゴリーに属する詩人で、また神秘家でもあった。このような組み合わせは、以前に一度か二度しか起こっていない。----カリール・ジブラーンとフリードリッヒ・ニーチェとラビンドラナート・タゴールだけだ。このカテゴリーに入るのは、この三人で全部だ。人類の長い歴史の中でこれは、極めて特別だ。偉大な詩人はいろいろいたし、偉大な神秘家もいろいろいた。ちょっとした神秘主義を持つ偉大な詩人もいたし、詩で自らを表現した偉大な神秘家もいた---しかし、その詩はあまり偉大ではない。ラビンドラナートは奇妙な状況にいた。Golden Future」 p238 1987/05/24 本書p52

 私は人間を全体の角度から見ている。肉体の角度から、精神の角度から、魂の角度から。私は人間を全体性として見ている。多くの反円が私の中で完成されている。ブッダは霊的側面からのみ人間を見た。マルクスは物資的側面からのみ人間を見た。ジュークムント・フロイトは心理学的側面からのみ人間を見た。私のアプローチは、全面的で、全方向的で、トータルだ。私はこれらの人々を可能な限り深く調べた。そして私には彼らがどこで立ち止まり、どこに立っているかがわかる。ニーチェは知的分析に止まった。ジームント・フロイトは精神分析に止まった。マルクスは社会の経済的分析に止まった。Communism & Zen Fire, Zen Wind」 p207~212 1989/02/03 本書p55

 このわずか60ページの、1990年における未来の作家の習作ともいうべき翻訳ノートには、まるで劇薬を濃縮して閉じ込めたような効き目がある。ちょっと効きすぎるくらいだ。これらの本を一冊一冊冗漫に読み進めていくのも、必ずしも効果的ではない。当ブログでは近未来的には、これらの本一冊一冊に触れていかなくてはならないのだが、すくなくとも、これらの本たちが、この小さなガイドによって、その位置づけが次第に明確になり、共鳴を始めるのは素晴らしいことだ。

<2>につづく

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2010/05/22

人の子イエス ハリール・ジブラーンの詩<2>

<1>よりつづく

ハリール・ジブラーンの詩
「ハリール・ジブラーンの詩」 <2> 
ハリール・ジブラーン 神谷美恵子 2003/09 角川書店 文庫 140p 出典「うつわの歌」みすず書房1989からの抜粋が一冊の文庫になった

 OshoはBooks I Have Lovedの中で168冊の本に触れているが、その中でも、カリール・ジブランの「預言者」は二日目に登場し、さらに後日次々に他の作品にも触れ、全部で9作品を紹介している。これは、あの書の中では、紹介された一人の作者としては最多の作品数である。 

「預言者」

「人の子イエス」

「狂人」

「預言者の薗」

「大師の御声」

「漂泊者」

「霊の言葉」

「散文詩集」

「思索と瞑想」

 「預言者」は現在、当ブログが確認しただけでも9つの邦訳がでており、ジブランの人気の高さを示しているが、その他の作品となると、「漂泊者」を除くと、ほとんどが日本に紹介されていない。もともと英語ではなく、アラビア語で書かれていることが、邦訳を妨げている要因になっているようだが、他の作品たちの邦訳も待たれるところである。

 カリール・ジブランは1931年に48歳で亡くなったが、その年にOshoが生れている。Oshoによれば、ジブランが彼のコミューンにやっているのを待っていたが、彼はまだ転生しておらず、いずれ、別のマスターを探さなければならなくなるだろう、ということだ。

 亡くなる3年前に発表されたジブラン最大の作品が「人の子イエス」。イエスについての78人の見方を紹介したものだというが、本邦未訳である。一部抄訳として4章だけが、この神谷美恵子の「イエス」の中で紹介されている。

 Oshoはラビンドラナート・タゴールのベンガル語と、カリール・ジブランのアラビア語のふたつを、特に美しい言語として称賛している。それにしても、一読目は気がつかなかったが、こうして再読モードで眺めてみると、Oshoはいかにジブランを愛しているかが、ひしひしと伝わってくる。

 同時代人78人と言っても、聖書の中に全然姿も名もあらわしていない人たちが多く含まれているのです。晩年のジブラーンが、いいえ恐らく一生を通じて、どんなに想像力をふくらませて、考えうるありとあらゆる視点からイエスを凝視しつづけたか、が察せられます。

 78人のうち、ふつう考えられる人物以外にどんな人がとりあげられているかを少し拾ってみますと、
 フェニキアに住む雄弁家アサフ、ギリシャ人の薬剤師フィレモン、ペルシャの哲学者、化ぺルナウムの若い僧、論理学者エルマダム、「メリーの一人」、ギリシャの詩人ルーマノス、ガリラヤの未亡人、バビロニアの天文学者、一人の哲学者、ナザレのヨタム、カエザレアのエフタ、ピラト、エルサレムのくつ直し、ピラトの妻、狂人と呼ばれる老ギリシャの羊飼、高位聖職者アンナ、ローマの番兵、ユダの母キボレア・・・・・という具合に、ただイエスを賛美している人ばかりに語らせているのではないのです。それがかえって歴史的存在としてのイエスの姿を浮きぼりにするのに役立っています。
p113神谷「イエス」について

 「人の子イエス」全体の邦訳がスタートしているらしいので、出版が待たれる。カザンザキスの「キリスト最後のこころみ」や、エリエット・アベカシス「クムラン」、小森健太朗「神の子(イエス・キリスト)の密室」などと合わせて読んだら面白いだろうか。

 第14編

師よ、天の心を持つわれらの美しき夢の騎士よ、
あなたは今日もまた歩き給う。
弓も槍もあなたの歩みをとどめはしないでしょう。
われらのすべての矢をくぐってあなたは歩き給う。
あなたはわれらに微笑みかけ、
われらの誰より若くいまし給うけれども
われらみな父となり給う。
詩人よ、歌い手よ、偉大なる心の主よ、
われらの神があんたのみ名を祝し給わんことを、
あなたの宿りし胎(はら)、
あなたに乳を与えし胸を祝し給わんことを。
そして神がわれらみなを許し給わんことを。
p123 ジブラン「イエス」について

 「人の子イエス」Jesus, the Son of Man は神谷訳では「『イエス』について」と名付けられている。

 以上はジブラーン自身のイエスに対する語りかけのごく一部にすぎませんが、死を間近にひかえたジブラーンの、いわば信仰告白のようなものに思われます。きわめて自由で、言ってみれば異端的かもしれないこの詩のには、バッハのカンタータのような静かで深い響きが感じられます。p124 神谷

 神谷におけるジブラン像は、神谷的理解の域をでていないようにも思う。もうすこし全体が見えてくるといいなと思う。

<3>につづく

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2010/05/21

かもめのジョナサン<4>

<3>よりつづく 

かもめのジョナサン
「かもめのジョナサン」 <4>
リチャード・バック /五木寛之 1977/05 新潮社 文庫 140p

 Osho「Books I Have Loved」第一日目の10冊をまずは読みなおそうと思った。気づいてみれば、この10冊のほとんどが手元にある。「タゴール詩集」だけはどこかに隠れてしまった「ツラトゥストラかく語りき」は、なんと同じ文庫本上下セットがふたつでてきた。今回は、すこし読むスピードを落として、のんびり読んでみよう。

 ということで「ツラトゥストラ」をはじめ、同時進行でいくつか手にかけてしまったが、いちど読み始めるとなかなか味わい深く、一気に物事は進まない。「カラマーゾフ」だって、今回は解説書でごまかそうと思ったが、別の文庫本シリーズがでてきたので、今回も「よし三巻読み切ってやろう」などという無謀な挑戦を決意してしまった。

 登場順で読んでいこうと思ったが、そうはいかない。結局、一番最初に行き着いてしまったのは、こちらの「ジョナサン」だった。こちらはビディオと英語版にも挑戦する予定である。何度も読んでいる本なのだが、なんど読んでも別な印象が湧きあがる。

 私のようなそそっかしい読書では、つねに読み残しがあるのだろうが、どうもまだら模様の私の脳では、つねにすり抜けていくものがあるらしい。今回も、あれ、こんなことが描いてある、と思ったところもあれば、たしかこんなシーンがあったはず、と期待していると、それが見当たらなかったりした。

 この本、三部構成になっている。うまい具合に、パート1は探求者、パート2は弟子、パート3は帰依者、という枠組みで読むことができる。

 思えば、あとで順序が変化しているが、この10冊のうち1~4冊目まで小説である。「ツラトゥストラ」、「カラマーゾフ」あたりは、まぁ順当だとしても、三冊目の「ミルダッド」には意表を突かれる。もっとも、この「ジョナサン」も異例の出世ということになろう。

 あとで2日目に、ジブランの「預言者」などもでてくるが、Oshoにおける「本」の原型は、「ツラトゥストラ」なのかもしれない。その反響である「預言者」は大きく評価されているし、そのさらに同志の一にある「ミルダッド」はむしろ先に評価されて3番目に登場したということか。

 さらに言えば、「老子」や「荘子」、あるいは「山上の教訓」だって、マスターが弟子に語る、という構造は同じと言える。「カラマーゾフ」は大冊なので、必ずしもこの構図にはなっていないが、部分を考えれば、明らかに類似性がある。「ミラレパ」もまた、成立過程に違いはあれど、おなじ構造だ。

 「バガヴァッドギータ」もまた神話という形をとっているが、ひとつの寓話であるし、マスターと弟子という構造がある。タゴールは詩であり、もともとベンガル語で書かれたものであって、英訳されたり、重訳された日本語では十分に味わえないものとされているが、インドの民にとっては、マスター的存在であるに違いはないだろう。

 これらの10冊をじっと眺めていると、自然にその構造が次第に見えてくる。

<5>につづく 

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ツイッターノミクス<1>


「ツイッターノミクス」 <1>
タラ・ハント/村井章子 2010/03 文藝春秋 単行本 288p  Vol.3 No.0018★★★★☆

 当ブログはもともとウェブ2.0とやらの動きの中でスタートした以上、コンテナ論、コンテンツ論にも関心が強かったのであるが、最近は、三つ目のCであるコンシャスネス論に絞り込み始めている。IT関連の話題にはなるべく入り込まないようにしているのだが、新刊本コーナーにこのようなタイトルの本があると、やっぱり手が伸びる。 

 ただ、ツイッターとやらの最近の流行にはぜんぜん感心していないので、このタイトルにもいまいちピンとこない。それにこの本の変なところに気がついた。この本のもともとの英語のタイトルは「The Whuffie Factor」である。別にツイッターに特化した本ではない。日本語タイトルは中味とかなり違う日本用の造語であるようだ。

 中味もよく読まないまま新刊本コーナーに戻してしまった。やっぱりコンテナ論については当面すこし距離をおいていようと思う。当面、コンシャスネス論に集約していこうと思っている<2・0>に書くのもあまり気が進まないので、この本については、こちらにメモしておくことにする。

<2>につづく

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2010/05/20

「創られながら創ること」 身体のドラマトゥルギー 真木悠介 鳥山敏子<1>

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「創られながら創ること」 身体のドラマトゥルギー <1>
真木 悠介 (著), 鳥山 敏子 (著) 1993/07 太郎次郎社 単行本 176p
Vol.3 No.0017★★★☆☆

 どこかで、真木悠介(見田宗介)やドン・ファンや、あるいは、ネイティブ・アメリカン関連の読み込みを再開すべく、いろいろ糸口を探っていたら、この本があることがわかった。相手は、鳥山敏子。なるほど、いつもM氏の話題にでてくる女性だ。いままでいまいち関心がわかなかったこの人々についてであるが、いきなり小見出しが挑発的だったので、さっそく目を通してみることに。

ドン・ファン・マテオスとラジニーシ 「気流の鳴る音」と「存在の詩」

鳥山●あのあと、私はインドに行ったの。78年。バグワンにもそのときあったの。プーナのね。
真木●ぼくは80年にはじめてバグワンのコミューンには行ったけど、そのまえに73~74年のときに、知らないでプーナには呼ばれていたんだ。
鳥山●ああ、ほんと。
真木●そのとき、ぼくはバグワンの名前も知らなかったの。ところがね、ボンベイに着いて、エローラに行こうと思っていたら・・・・・。
鳥山●エローラのほうへね。
真木●うん。ところがね、そのときインド国内旅行がスト中で、飛んでなかったの。汽車で行こうと思ったら汽車もストライキ中なんだ。一カ月くらいまえから。動いてないわけ。どうしても行きたかったから、車を乗り継いだりして行ったんだよね。一日中かかって行って、翌々日帰ってきたわけなんだけど。
鳥山●ボンベイに?
真木●ボンベイに。エローラの話はまあ、べつとして。帰りにね、オーランガバドから安タクシーみたいなのがあって、やっと帰れると思ったらインドの長い道を無理に走ってるもんだから、車が、要するにうごかなくなっちゃってね。大高原のまんなかで夜中になったんだ。30分に1台くらい通るトラックの、3台目にやっと乗せてもらったら、ボンベイまではいかない。途中のプーナという町に行くんだ。
鳥山●プーナ。
真木●僕は日本にいてプーナなんて町は名前も知らなかった。ぜんぜん予定もないのにプーナにつかまって、強烈な印象をもってるんだ。それでもバグワンがそこにいたことはしらなかった。
鳥山●じゃ、アシュラムには寄らなかったのね。
真木●あることも知らなかったから。帰ってきてから、バグワンはどうして知ったかっていうと、74年からメキシコに行って、「気流の鳴る音」を書いて、まだ本にするまえに、76年の夏だったかな、西荻窪のホビット村のフリースクールで、その話を一回だけしたんです。ドン・ファン・マテオスの話しを、「世界を止める」という題で。話のあとで、聞きに来てた人のなかに25歳くらいの目の澄んだ青年がいてね。聞いたあとで、これ、さしあげます・・・・・プラサードっていうでしょう、あそこの本屋。「贈りもの」という意味の。そのプラサードです、と。彼が、ガリ版刷りで自分で出してる個人雑誌に連載している翻訳をくれたわけ。その人がプラブッダで、その連載が「存在の詩」だったんだ。
鳥山●ああ、そうだったの。
真木●まだあれが、「存在の詩」が本に・・・・。
鳥山●まだ本になってないとき。
真木●そう、本になるまえに。ガリ版刷りの個人雑誌にね、少しずつ訳して出していたんですよ。
鳥山●あら、そうだったの。
真木●あの本が日本で最初の本だからね。バグワンのもので訳された。それで帰って読んでみたらすごいわけだ。
鳥山●あのころ、いっきょにいろんなものがでてきたんですよね。
真木●「ことばが劈(ひら)かれるとき」の解説にも書いたけど、70年代のまんなかというのは、ほんとにすごい時代だった。いまあるいろんなものが、一斉に呼応しながら出てきて。
鳥山●そうそうそう。
p17

 この本をめくったのは、この部分に興味があったからなので、ちょっと長いがそのまま転記してみた。93年にでた本として、70年代のことや、90年代的雰囲気がわかるので、しかも、対談中の二人のプロフィールが分かってくるので重要なところだとおもうのだが、どうも、私はこの短い対談のなかの言葉尻が気になって仕方ない。

 まず、真木が偶発的にプーナを最初に訪れたという73~74年に、Oshoはプーナにいなかった可能性がある。Oshoがプーナに移動したのは、74年の3月であり、ましてや一部の熱狂的なインド人たちに囲まれていて、西洋からやってきた人々はごくわずかだった。

 ましてや今はプーナと言えばある色合いで知られているが、なんせ知られているだけでも一般の人々が400万人以上が住んでいる大都市である。大学も軍隊も商業施設も一般会社も多くある。ヒッチハイクして偶然たどりついたプーナで当時のOshoに出会ったとすれば、それはほんとに稀なことであっただろう。だが、残念ながら、73年では、Oshoはまだボンベイにいたと思われる。

 偶然とまでは言わないが、77年にアシュラムを訪れた立川武蔵や80年の西端国輝、あるいは百歩譲って81年前後の幸野谷昌人、後年の宮国靖晟などの文章も残っているが、いずれも、当時のプーナの真の姿を記録しているとは言い難い。の過去の雑文のほうがまだ当時のいきさつを表現しているように思う。

 二つ目。プラブッダが出していた「存在の詩」は決してガリ版印刷ではない。発行された分はすべて手元にあるから間違いないが、これはオフセット印刷である。手書き文字ではあるが、むしろ活版を組んだり、和文タイプで打ったものよりも、はるかに当時のプラブッダのセンスがでていたと思う。もちろん、ガリ版よりはるかに金がかかっている。

 そしてこれは「個人雑誌」ではない。ちゃんとした「アッシーシ・ラジニーシ瞑想センター」の「ニューズレター」である。東大の先生だから、おっしゃることがすべて正しいとは限らない。むしろ、なんだか浮世離れした話し方だな、と思う。ホビット村やプラサードについても、いろいろ想いはあるが、ここでの多言は慎しんでおこう。

 さて、このページにおける「ドン・ファン・マテオスとラジニーシ」や「気流の鳴る音」と「存在の詩」などというサブタイトルだが、なんだか誤解を招くような表現に思える。この時点において、この二つをつないでいるのは、真木本人だけなのであり、なにかの関連付けを連想するような書き方はまずいのではないか。

 この本がでた93年当時の日本の「精神世界」は、わりとこの辺がユルユルで、いまいち精度が高くなかった。これらの風土が、例の95年的土壌へと繋がっていったのではないか、と、危惧する。これらの精神土壌のユルさを、村上春樹あたりは、「1Q84」の新たなるbook<4>あたりで鋭意、批判的にえぐり出してもらいたいものだと、個人的には期待している。

鳥山●ちょうどそのころでた真木さんの「気流の鳴る音」というのは、私にとっては、「ああ、こういうことだったんだ」って、レッスンのなかで起きたことを一つ一つことばにしていくのを助けてくれるものだったの。カスタネダの描いたシリーズのなかのドン・ファンのことばや、バグワンの「存在の詩」もね。p137

 鳥山という人のセンスもいまいちよくわからない。ここでお二人とも、カスタネダとOshoを同列にしてしまっている。まぁ、この対談集をこのように拾い読みしてしまうのは、本書の正しい読まれ方ではないだろうが、次の機会にこの本を開くときのために、これらの率直な感想をメモしておくのも、必ずしも間違いではない。

<2>につづく

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永久の哲学(2)ピュタゴラスの黄金詩

(1)よりつづく 

永久の哲学(2)
「永久の哲学」(2)  ピュタゴラスの黄金詩
OSHO/Oshoサクシン瞑想センター 2006/12 市民出版社 単行本 438p
Vol.3 No.0016★★★★★

 この本の(1)を読んでいて、久しぶりにプネ1の雰囲気になった。そう言えば、あの当時はこのような雰囲気だったんだな、と思う。この講話シリーズが始まる前の一年間プネに滞在していたので、当時の雰囲気がなんだか懐かしい。

 それに世界中から来訪者が急激に増加していた。つまりサニヤシンになる来訪者が激増していた時代ということになる。だから、1日のテキスト講話に対して、4日の質疑応答集の日が続いたに違いない。質問も半端じゃない数が押し寄せていたはずだ。

 吉福伸逸は、当時のOshoを評して、永遠の哲学という宗教の超越的一体性を基盤に、伝統的な形態を背景にして、セラピーという新しい修行的要素を加えた、と記しているが、まぁ、そう見えたとしても、まぁ、当たらずとも遠からずか。

 精神療法士、精神分析医、また他の種類の流派のセラピスト、--実存主義セラピスト、精神統合、グループセラピーに従う人々--いろいろな方法で、患者と関わる全ての人々は、多くのことを学ばなければならない。精神分析はまだとても初期の、幼年時代にある。それは多くのことを学ばなければならない。p302

 吉福のいう「セラピーという新しい修行的要素」という表現はいただけないが、セラピーというものをOshoが強く意識していたのは確かだろう。

 あなたは尋ねる。「私は精神分析医ですが、毎日毎日患者の話を聞いていると、気が狂いそうです」 あなたは泳ぎ方を知っているかね? さもないと、一人が厄介なことになる代わりに、二人が厄介なことになる。あなたは完全に静か、まったく動かず、あなたの沈黙が周囲にそういう環境を造るほどになることを、学ばねばならないだろう。その瞬間、患者はあなたの沈黙に入り、彼自身の沈黙に落ち始める。p303

 二冊組のこの本、一冊目より、二冊目になると、やたらとリアリティが増してくるように思う。Oshoの「永久の哲学」は、ハクスレーの「永遠の哲学」とはちょっと違う。ハクスレーの本は、あちこちの歴史的な文献やあれやこれやが紹介されていて、なんだかすこしは物知りになったような気もする。

 だけれど、Oshoの「永久の哲学」は、決して上品じゃない冗句やあれやこれやが挟まっていて、必ずしも何かの智識を見につけた、という感じにはならない。だが、ちゃんと大地に立っている感じになる。自分が根付いていることがわかる。そして、それと同じくらい、自分の肩から二つの羽が生えて、羽ばたこうとしているのがわかる。

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2010/05/19

Philosophia Perennis 1

Perennis
「Philosophia Perennis」 <1>
Osho June 1981 Publisher: Osho Intl  Paperback: 389 pages Language: English
Vol.3 No.0015★★★★☆

 この本、長いこと手元にあるが、なかなか開くチャンスがなかった。今回、邦訳「永久の哲学」を読んだ記念に、ここにちょっとだけメモしておこう。

 This experiment that I am doing here is just to create the first specimen of the new man. You are participating in a great experiment of tremendous import. Feel blessed. Feel fortunate.You may not be aware of what you are participating in, but you may create history!  It all depends on how committed, how involved you become with me and with my experiment.
This is the greatest synthesis possible that has ever been tried...
OSHO back cover

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永久の哲学(1)ピュタゴラスの黄金詩

永久の哲学(1)
「永久の哲学」(1)  ピュタゴラスの黄金詩
OSHO/スワミ・プレム・グンジャ 2004/09 市民出版社  単行本 390p
Vol.3 No.0014★★★★☆

 ピュタゴラスは、フィロソフィア・ペレニス、すなわち「永久の哲学」を求める永遠の巡礼者を象徴している。彼は特に優れた真理の探究者であり、持てるすべてを探究に賭けた。彼は遠く広範にわたって旅したーー師(マスター)や神秘教団(ミステリー・スクール)、秘宝を求めて、当時知られていた世界のほぼ全域を旅した。彼はギリシャからエジプトに向かったーー失われたアトランティス大陸とその秘密を探るためだ。

 エジプトには、アレクサンドリアの大図書館がまだ無傷のまま残っていた。そこには過去のあらゆる秘伝が保存されていた。それはかつて地上に存在した最大の図書館だったが、のちに狂信的なイスラム教徒によって破壊されてしまった。あまりに大きな図書館だったために、火が放たれてから、6カ月mの間燃え続けた。

 ピュタゴラスの生れる2500年前、アトランティス大陸は海中に没した。その海を「大西洋(アトランティス)」というのは、このアトランティス大陸にちなんでのことだ。

 アトランティスは地球最古の大陸であり、その文明は頂点に達していた。だが文明が頂点に達するとき、そこには常に危機がある。それは崩壊や自滅の危機だ。p7

 この講話録は、1978年12月に行われたものの再録である。この邦訳には、そのような時代背景が記されていないため、新しい読者などは、2004年に発行された新しい本と思うかもしれない。英語版はPhilosophia Perennisとして1981年にでている。

 Oshoの本に珍しく、1日の講話に対して、4日の質問応答集となっており、必ずしもピュタゴラスの黄金詩で満載されているわけではない。上下巻があるが、その詩が引用されているのは21日のうちの5日だけ。いわゆるプネ1の当時のOshoの論調が色濃く反映されており、前後の本と読み比べてみれば、その位置づけがより明確になろう。

(2)につづく

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2010/05/18

永遠の哲学 究極のリアリティ

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「永遠の哲学」 究極のリアリティ
オルダス・ハクスレー/著 中村保男/訳 1988/03 平河出版社 単行本 p518
Vol.3 No.0013★★☆☆☆

 神智学を広義としてとらえた場合、いわゆる「永遠の哲学」とはなにか縁があるのだろうか。そう言えば、吉福伸逸が変なことを言っていたことを思い出した。

 ラジニーシの考え方は、いわゆる「永遠の哲学」と呼ばれる伝統の考え方となんらかわらない。永遠の哲学は英語ではperennial philosophy といって、昔は「久遠の哲学」と訳されていた。最初にこの言葉を使ったのはライプニッツで、近年ではこれと同名の「永遠の哲学」という本を出したオルダス・ハクスレーがいます。宗教の超越的一体性を説くこの考え方を基盤に、グルイズムという伝統的な形態を背景にして、セラピーという新しい修行的要素を加えたのがラジニーシです。吉福伸逸 「トランスパーソナル・セラピー入門」56p

 この一文でなにごとかが的確に言い表されているとはとても思えないが、少なくとも、吉福の「偏見」は即座に見て取れる。まぁ、彼はこういう見方をしていたのだ。この吉福の本が1989年にでていて、こちらのハクスレーの「永遠の哲学」が同じ平河出版から1988年にでている。この連動の愚かしさが、今になっても際立っていると、私には見える。この出版社のこの「mind books」シリーズは、それなりに価値のありそうな本を出版しているのだが、どこかひとつピントがはずれてしまっている。

 「永遠の哲学」という言葉はライプニッツの造語(phirosophia perennis)から来ているが、「永遠の哲学」ということ自体は、物と命と心の世界の実体を成す神的な「実在(リアリティ)」を認識する形而上学にせよ、神的な「実在(リアリティ)」に似ているか、ひいてはそれと同一の何かを人間の魂の中に見出す心理学にせよ、あらゆる存在に内在すると共にそれを超越している「根拠」を知ることが人間の最終目的であるとする倫理学にせよ、いずれも記憶を超えた遠い昔からあった普遍的なものなのだ。

 「永遠の哲学」の萌芽は世界各地の原始民族の伝承の中に見られ、さらに完全に発達した形での「永遠の哲学」は高次元の宗教すべての内に確固として地位を占めている。ライプニッツ以前と以後のあらゆる神学に共通する最大公約数ともいうべきこの「永遠の哲学」が初めて文字として書かれたのは今から2500年前のことで、それ以来、この究めつくすことのできないテーマは、アジアならびにヨーロッパのすべての宗教的な伝統の観点から、すべての主要言語でくり返しいくたびも取り扱われてきた。p6「はじめに」

 この本は、「永遠の哲学」というタイトルのもとにオルダス・ハクスレーの随筆がまとめられているのであり、いわゆる系統立った完結した何かが紹介されているわけではない。ハクスレーが見た真理の断片を、歴史的、文化的、あるいは宗教的な背景のなかで、語っているということだろう。

 Oshoには1978年12月にプネ1で、ピタゴラスの黄金詩について語ったPhilosophia Perennisがあり、それは「永久の哲学」として2004年に邦訳されている。

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2010/05/17

神智学入門

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「神智学入門」未来人への精神ガイド
C.W.リードビーター (著), 宮崎 直樹 (著),1990/08 たま出版 単行本215P 
Vol.3 No.0012★★★★☆

 縁なき衆生は度し難し、とはいうものの、度され難いと見られてしまうのも、なんだか落ち着き悪いものである。この本は、リードビーターの「神智学のアウトライン」(1911)が邦訳されたものであるが、出版は1990年である。その間、同人の間では当然のごとくいくつかの翻訳が流通していたものと思われるが、時代性から考えると、必ずしも日本の精神世界の出版の流れにピタッとはまったものではなかったのではないだろうか。

 人間の構成については、ベザント女史の著作「人間とその諸体」(Man and His Bodies)、「自己とその外被」(The Self and its sheaths)、「人間の七つの原質」(The Seven Principles of Man)、とわたしの本「見える人間と見えない人間」(Man: Visible and Invisible)を参照されたい。私の本には、透視によって見えたさまざまな人間の媒体について、たくさんの色刷りしたさし絵が入っているp39

 ここで書かれている「見える人間と見えない人間」こそ、1920年代から今東光が愛読していたという本で、1940年に出版され、現在では、わずかに国会図書館等に保管されている程度で、一般には流通していない一冊である。もっとも、1977年当時においても今は「コツコツ翻訳している」と言っているくらいだから、生涯かけての習作とし、むしろ広く出版を意図していたものではなかったのかもしれない。

 いずれにせよ、この「神智学入門」において、ぜひとも知りたいと思うものはすでになく、大体の内容については、現代においてはごく一般に知られてしまっているように思う。そうでなくても、インターネットが発達した現代なら、おおよその内容は検討がつく。ただ、一冊の本となっていれば、出典としての根拠にしやすいし、まとめて話題にしやすい。

大同胞団(Great Brotherhood) 大白同胞団ともよばれ、地球上の進化を救導している超人の階層制団(ヒエラルキー)。奥義体得者とは、段階的な霊的進化をへてその集団への参画を許された者。p200

 Oshoが最終ワークに入った段階で登場してきたホワイトローブ・ブラザーフッドだが、あの時以来、いつもこの「大白同胞団」(グレイト・ホワイト・ブラザーフッド)とやらとのシノニムスについて考えることがある。結局は、Oshoは神智学の流れを汲んでいたのだろうか。

 いや、狭義で考えれば、「神智学」(セオソフィー)とは、19世紀にマダム・ブラバッキーやオルコット大佐達によって始められた精神的運動のように思われているが、実はそうではなくて、広義における「神智学」は、古代より連綿と続いてきた精神運動であってみれば、なにも、ブラバッキーやリードビーターやアニー・ベサントと言った人々の後塵を拝している、と考える必要はないのであろう。

 ところで、今東光にせよ、川端康成にせよ、あるいは鈴木大拙にせよ、いわゆるブラヴァッキー以降の狭義におけるセオソフィーとの接触がまことしやかに語られている人たちだが、彼らは、積極的な意味において、その接触の形跡を明確には残していないようだ。それをもって、いろいろ重箱の隅をつつくような詮索をしている当ブログではあるが、出歯亀根性で、初期的に興味を持つのは構わないとしても、あまりイビツな探求心になる前に、そのような好奇心はあらためなければならないだろう。

 それと、この神智学的ニュアンスを思う時、いつも気になるのは、Oshoの「奇跡の探求」などにみられる、七つの身体論とセオソフィーとの関連である。いままでは、セオソフィーから何事かのコンセプトを借りてきているのだろうか、と思うこともあったが、これもまた、広義におけるセオソフィーは古代から続いてきているのだ、と考えれば、なにも、ブラヴァッキー以降の流れだけを異常に意識する必要はないのだ、と気がついた。

 いわゆるセオソフィーだけの、オリジナルな特許、というものではないのである。いままでちょっとよそよそしかったセオソフィーとの関係だったが、すこし見方を変えれば、けっこう親和性のあるものではないか、と思えるようになった。その意味では、この本に触れた甲斐があったというものである。すこしは、縁ができたかな。

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2010/05/16

ザ・プロフェット

ザ・プロフェット
「ザ・プロフェット」 ジブラーンの伝説の本『ザ・プロフェット』 (THE PROPHET―預言者)の決定版!
カリール・ジブラーン (著), 池 央耿 (翻訳) 2009/11 ポプラ社単行本: 157p
Vol.3 No.0011★★★★☆

 ジブランの「預言者」は邦訳されたものだけでも、たくさんある。どれが本当に決定版、とはなかなか言えない。

「プロフェット(予言者)」小林薫 1972/06 ごま書房

「預言者」大型特装版 佐久間彪 1984/05 至光社

「生きる糧の言葉」岩男 寿美子 1985/06 三笠書房

「うつわの歌」(抄訳)神谷美恵子 1989/09 みすず書房

「預言者」ポケット版 佐久間彪 1990/04 至光社

「預言者アルムスタファは語る」堀内利美 1993/03 近代文藝社

「ハリール・ジブラーンの詩」神谷美恵子 2003/09 角川書店

「預言者のことば」有枝 春  2008/2 サンマーク出版
 
「よく生きる智慧」柳澤 桂子 2008/12 小学館

「預言者」船井 幸雄 2009/8 成甲書房
 
「ザ・プロフェット」池 央耿 2009.11 ポプラ社

 それにOshoは「私の愛した本」の中でも取り上げているし、特別に「預言者」を語った「The Messiah」1,2の二巻がある。Oshoは「私が愛した本」の中で、作品数としてはもっとも多い9冊をカリール・ジブランから取り上げている。その他、某出版社からジブラン全集の企画がでてくる話もあるらしいので、楽しみだ。

 ただ、個人的には、もっとも一番最初に読んだ小林薫訳「プロフェット」1972が最もお気に入り。量的にもいいし、イラスト付きのところもいい。翻訳の質については当ブログの判断は及ばないが、20歳前後にすでに出来上がっていた「預言者」は、40歳過ぎまでジブラン自身が手を入れ続けていたとはいうものの、あまり美文化された「預言者」翻訳は、むしろ私は好まない。

 Oshoは「預言者」はニーチェの「ツァラトウストラはかく語りき」の反映だと話しているし、当ブログとしては、当面、まずは「ツァラトウストラ」を再読しつつある。

 快楽を追うには、すでに春を過ぎ、しかし、ふり返るに秋にはまだ間がある人々がいる。
 求めること、思い出すことを恐れて、快楽をすべて遠ざける人たちだ。
 心をなおざりにし、あるいは、心にそむくことは避けたいからである。
 だが、そのようにふるまう中にも快楽はある。
 ふるえる手で根を掘って、思いがけなく財宝に巡りあったりもする。
 だいたい、心にそむくなというのが無理ではないか。 
p115 「快楽」

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毒舌 仏教入門 苦楽は一つなり

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「毒舌 仏教入門」苦楽は一つなり 
今 東光 (著) (1990/08) 祥伝社 単行本 239p
Vol.3 No.0010★★★★☆

 クリシュナムルティが未来のマイトレーヤとして教育を受ける段階で、他にも候補者があった。全部で7人のうち、最終的にはクリシュナムルティが選ばれたのだが、7人目は、東洋人、しかも日本人だったのではないか、という情報がある。

 どこからその話がでたのかさえ、まだよくつかんでいないのだが、もし、その東洋人(日本人)がいたとしたら、当然、当時の神智学に近い立場にあった人々に縁のある子どもたちが狙われていただろう、と考えた。

 神智学については、あまり食指は動かないし、当ブログの個人的な嗜好性としては、かなり的は外れているのだが、どうしても、この神智学とやらは、避けては通れない。一度は一回、どっぷり浸かって調べてみる必要がある、と以前から感じていた。

 Osho「私が愛した本」から、Osho「禅宣言」までのラインを引いてみると、そこかしこに、「神智学」にまつわるエピソードがばらまかれている。つまり、Oshoは神智学をかなり重要視していると言える。

 そこで、ほとんどなにも準備がないまま、この地点から当ブログもおっとり刀で、神智学の影を追いかけてみようかな、と思い始まった。それが一生に一度の追及になるのか、その以前の準備になるのか、あるいは、永遠に果たせないことを確認するための作業になるのか、分からない。

 手がかりは、ほんのすこし。今東光「最後の極道辻説法」、クリシュナムルティ「生と覚醒のコメンタリー(2)」あたり。つまり、日本人としては、今東光の父親であり、日本郵船の船長で、日本人で唯一の「星の教団」の会員だった、今武平という人物を追っかけてみること。

 後で弟が話してくれたけれども、亭主がものすごい剣幕でうちへ乗り込んで来たそうで、そのころはもう船から降りて悠々自適、セオソフィー(神智学)というのを研究していた父親が応対した。相手の男が「お宅の息子は何たる男だ。悪いやつだと思わんのか!」とか言っておやじを脅かしたらしいが、おやじは、「おっしゃるとおり、あいつは悪い子です。しかし、そんな悪い男に、あなたの愛している奥さんを盗まれるとは何事ですか」って追い返しちゃたってんですけど、これも凄いおやじだねぇ。p84

 これで少なくとも、まず「1920年当時には、世界各地で3万人以上の団員がいた。ちなみに、わが国では、今日出海さんのお父さんが、唯一の星の教団の団員だった。」という生と覚醒のコメンタリー(2)」p380の記述の信ぴょう性は高くなる。

 当の今東光はと言えば、巻末の「略年譜」を見ると、

 大正3年(1914)16歳 関西学院中学部3年の一学期に諭旨退学を受ける。学部の副院長の娘と恋愛事件を起こしたというのがその理由だった。兵庫県立豊岡中学校に転校、二学期に恋愛事件をきっかけに、教師を殴って退校処分を受けた。上京し、東京・小石川にいた伯父の斎藤漣方に寄宿。太平洋画塾に通い、画家を志す。暮、父より勘当される。p240

 とある。つまり、1914年には、父親との関係が薄くなるわけだが、さて、この時点における今武平と「星の教団」との関係はどうなっていたのだろうか。

 さて、当の今東光は、1940年(昭和15年)、今春聽の名前でリード・ピーターの「Man visible and invisible」を「神秘的人間像」として翻訳もしている。この本を読んでみたいと思ったが、現在のところ、公立図書館としては、国会図書館と、和歌山大学にしか保存されていない。しかも館外不出の扱いである。現在のところ現物を確認できない。

 いまオレがコツコツ翻訳している名著がある。リード・ビーターの「ザ・マン・ビジブル・アンド・インビジブル」という本で、オレが大正時代から愛しているものだ。オレの邦題は「神秘的人間像」と決めた。「続 極道辻説法」p256

 この部分はちょっと理解できない。「続 極道辻説法」は1977年にでた本である。にもかかわらず、今東光は「いまオレがコツコツ翻訳している」と言っているのは1977年のコラムの中である。ここから総合するに、今東光は1925年以前にリード・ビーターを愛読し始めているが、1940年に一度「神秘的人間像」というタイトルで出版はしたものの、1977年の晩年にあっても、翻訳を続けていた、ということになる。

 昭和5年(1930)32歳。5月、東京・浅草寺伝法院で、大森亮順大僧正を戒師に出家。以後、昭和8年まで比叡山延暦寺に籠り、修行。p240

 今東光は、天台宗に出家する直前に、出口王仁三郎に会っている(後日注・面談はしていないかもしれない)。王仁三郎が貧窮していた今東光に大金を送り、自らの元に呼び寄せ、自らの後継者にと目していた可能性がある。しかし、今東光は、すでに天台での出家を決意していたので、王仁三郎の申し出を受けることはなかった。

 昭和3年(1928)に、王仁三郎は満56歳と7カ月を迎え、みろく大祭を挙行していた。みろく、つまりマイトレーヤだ。クリシュナムルティは、1929年8月2日、3,000人あまりの団員がいた自らの教団を解散し、自らがマイトレーヤの乗り物になることを拒否した。

 もし、この時点で、今東光が、王仁三郎の申し出を受け、出口マイトレーヤの後継者として登場してくる可能性は、ゼロではなかったはずである。この辺の経緯は、当ブログ未読ではあるが、今東光「毒舌日本史」(春秋社1972)に、二人の交友が描かれているらしいので、後日それを参照してみよう。

 ところで、今東光の母親はどんな人だったのだろう。

 明治2年生まれのくせして、日本で最初のミッション・スクールを出て英語はペラペラ、スコットやラムを原書で読みとばしてるくらいだし、「平家物語」なんか初めから終わりまで全文、諳(そら)んじてやがる。おまけに、叔父さんが欧州大戦のときにヨーロッパへ行くのを送って、杜甫が戦陣を離れていたときにつくった七言絶句を詠むくらい、漢文の素養も凄かった。テレビのワイドショーでチョロチョロしてるそこらのインテリ奥様族とは、高級フランス菓子と駄菓子以上の差がありますよ。p148

 なんにせよ、この辺あたりが、ひとつの手掛かりになって、当ブログの神智学探求の旅は始まるやも知れぬ。 

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2010/05/15

オウムを生きて 元信者たちの地下鉄サリン事件から15年

オウムを生きて
「オウムを生きて」 元信者たちの地下鉄サリン事件から15年
青木由美子 2010/03 サイゾー 単行本 319p
Vol.3 No.0009★★★☆☆

 あまり細かいことは言いたくないけれど、当ブログは今でもちゃんと、この問題については関心を持つ続けている、ということだけはメモしておきたい。最近、当ブログへのアクセスのほとんどは、村上春樹「1Q84」book3関連のワードやフレーズからである。はっきり言って、あの小説のハッピーエンドには納得いかない。

 村上春樹関連の60冊ほどに目を通したのは、別に彼がノーベル賞作家になるか、とか、何十億円儲けたか、という話題のためではない。「アンダーグラウンド」「約束された場所で」、あるいは「神の子どもたちはみな踊る」などをものした、現代日本の世界に代表する作家・ムラカミハルキの本懐はいかにあるのか、そこがテーマである。もちろん、彼ひとりだけにその責任を負わせる気はない。当ブログの、裏モチベーションはこの問題の影を引いている。

 2000冊の本について書いたし、この辺でブログ・トリップも終わりにしようと思い、図書館通いもやめた。読書もいいかげんにしよう。今回はたまたま、図書館に奥さんが借りた本を返しに行っただけだった。

 だけど、新刊コーナーにこんな本があったら、無視して帰るわけにはいかない。読んだ。かなり飛ばし読みではあるが読んだ。いまだに直視できない。一応読んだことにして返そうと思った。黙って、ブログにこの本のことなんか書かないと思っていた。

 だけど、最近のわがライフスタイルの、深夜に、youtubeで徳永英明を聴きながら、黒霧島をちびりちびり、やる、ということをしていたら、やっぱり、この本について、メモしないで返すわけにはいかなくなった。

 裁判が始まると、サマナがこぞって傍聴に行きました。私も何回か通いましたが、松本さんよりも弟子のほうは態度がはっきりしているし、もともと親しかった人もいるので、印象に残っています。あるとき廣瀬(健一)さん、杉本(繁郎)さん、豊田(亨)さんの三人が被告で松本さんが証人という裁判がありました。

 豊田さんは「これがグルの態度ですか?」と言ってすごくがっかりしており、悲しそうな、苦虫を噛み潰したような表情でした。p136

 豊田亨。東大卒としては日本国憲法下では初めての死刑囚。

 「さよなら、サイレントネイビー」

 村上春樹は、「1Q84」をbook3としては終わらせることはないだろう。

 ブロガー、NONAJUNさんはbook4を預言している。

 物語世界は1Q95年の1月から3月になるはずであるということと,タイトルが『1Q84』ではなくて,『1Q95』BOOK 4〈1月―3月〉かもしれないということでした。

 同時代人として、共有しなければならない問題がある。それを乗り越えていかなくてはならない。どう乗り越えていけばいいのか、なんて、なんの手がかりもない。

 だけど、乗り越えていかなければならないのだ。

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2010/05/14

Books I Have Loved<73>

<72>よりつづく 

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Books I Have Loved <73> 
Osho 1985/07 Rajneesh Foundation Intional  247p ペーパーバック 言語 英語

 背表紙の綴じ糊がバラバラになるほど何度も開いたり綴じたりしたOsho「私が愛した本」だが、もう一度読み通してみると、実に様々なことが書いてあり、読み残しているものがたくさんある。一度はリストアップした168冊の本たちではあるが、今一度、最初から読みなおしてみる、というのはいかがなものであろうか。

 そう思って一日目の一冊目から読みなおしてみるのだが、はて、それら一冊一冊が、とても重い一冊たちなので、それらを「精読」しなおすなんてことは、一生かかっても、多分できないだろうと思う。ましてや、私のようなもともと読書が得意じゃない人間が、ましてや小説嫌いを標榜する男が、これらに含まれる小説を全部読むなんてことは、まずあり得ないだろう。

 しかし、なにはともあれ、それらの本のタイトルは確かめたし、その存在もできる限り追っかけてみた。もちろん、何十冊かのインド関連や一部神秘主義関係の本は、それ自体を見つけることすらできなかったが、それでも、いちどはリストには目を通したことになる。

 そこで、<精読>とは行かないまでも、最初にさかのぼって、まずは全16セッションのうちの、まずは第1日目から、パラパラモードの<再読>をしてみるのも悪くないだろう。そう思い直して、今度は英語版で再スタートすることにした。

1)Thus Spake Zarathustra

2)The Brothers Karamazov

3)The Book of Mirdad

4)Jonathan Livingston Seagull

5)Tao Te Ching by Lao Tzu

6)The Parables of Chuang Tzu

7)The Sermon on the Mount

8)Bhagavadgita

9)Gitanjali

10)The Songs of Milarepa

Bihl1_4   

 ほぇ~。このリストを見ただけで腰が抜ける。

 1)「ツァラトウストラはかく語りき」は、いくつかの邦訳があり、どのヴァージョンを選ぶかでだいぶ雰囲気が異なってくる。いくつかのヴァージョンを読み比べてみるのも楽しいだろうが、当ブログにその力はない。せいぜい、最新の邦訳で、現代語訳の一番読みやすい奴を選ぶとするか。またOshoがツァラトウストラについて語った英語版も手元にあるので、この際だから、リストだけはアップしておこうか。

 2)の「カラマーゾフの兄弟」は去年四苦八苦しながら、ようやく読み終えた。村上春樹追っかけの中でもこの小説には何度も出くわしたので、まあ不可避の小説ではあるが、今再読しようとは思わない。この際だから、なにかの解説本でも読んで、お茶を濁そう。

 3)「ミルダッドの書」は読むのはそれほど大儀ではない。むしろ、前回のような駆け足ではなく、ゆっくりとその経緯を見たり、著者の他の本にもあたったりしながら、再読するのがいいだろう。

 4)「かもめのジョナサン」は何度読んでも面白い。短気な私には、午後の昼休みに読み切ってしまいそうな、この短さがちょうどいい。内容もジンと来る。しかし、日本語訳は五木寛之のカラーが出すぎているとも言える。この際だから、英語版に挑戦するのもいいだろう。たしか同じタイトルのビデオもあったはずだ。

 5)「老子」は永遠の座右の書でしょう。読むというより、拝む感じだ。

 6)「荘子」もまた、その感じ。ここには出てこないが、あとででてくる「列子」も一緒に、ここで再読しておくこともいいだろう。

 7)「山上の垂訓」ですか。私は聖書は得意ではないが、短いものだから、もう一度目を通しておこうか。この部分は、Oshoのキリスト教圏の人々に対するリップサービスのような気がしてならない。あと、「トマスの福音書」か。まぁ、こちらもそれほど長くはないし、苦手だからこそ、じっくり「精読」する必要があるのかもしれない。

 8)「バガヴァッドギータ」。これは現在読書中。一度には読めない。含蓄を味わいながら、自分のいる立ち位置と、物語のひとつひとつの進行度合いを計りながら、ゆっくり距離を近づけていく必要がある。

 9)「ギータンジャリ」。ノーベル文学賞作家タゴールの代表作。「1Q84」でなにかと期待がかかる村上春樹だが、ホントにその価値があるのかどうか、過去のヘッセ、カミュ、ラッセル、ベケット、あるいは、大江健三郎や川端康成などのノーベル賞作家たちの作品と並べて、想いを馳せるのも悪くない。

10)「ミラレパの十万歌」。チベット密教には一旦けじめをつけた当ブログではあるが、縁を切るわけにはいかない。ミラレパはチベットの最高峰だ。この一冊だけで、ひとつのブログができあがる。

 さて、なにはともあれ、再スタートすることにする。なにごとも順番というわけにはいかないし、タイミングではないものは、どんどん飛ばしていこう。読めるところから読んでいく。そして、1日目から、16日目まで、進めていけたら、お慰み。まずは、乞うご期待。

<74>につづく

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2010/05/13

禅宣言 <11>

<10>からつづく
禅宣言
「禅宣言」<11> OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 一カ月ほどの小休止の間に、私がまずしたことは、この「禅宣言」の読みなおしであった。なにはともあれ、最初から最後まで通読してみた。いままであちこち引っかかっていた人名など、例えばアラン・ワッツポール・レップス、フィリップ・カプローの「禅の三本柱」など、かならずしも、話題の中心ではないのだが、周辺知識として必要なものは、「私が愛した本」のリストなどを活用しながら、この数年一回りしてきたので、だいぶ読みやすくなったと言える。

 今期、この再スタート地点において、まずは三冊をピックアップしてみたが、その中でももっともウェイトを置くべきものとしては、この「禅宣言」がダントツであると言えよう。そして、その次に行ったのは、Osho最後の講話録・ZENシリーズの中の、日本語訳されている本を、過去へとさかのぼる順番での読みなおしであった。

 一冊一冊、通読してみると、全体がより明確になって来て、いままで自分が引っかかっていた部分が全体のどの位置にあるのかが分かってきた。また、このZENシリーズというものの、Osho講話全体の中における意味も、じんわりと分かり始めた。

 本来であれば、邦訳がない英語本も交えて読むべきだが、英語に関しては、速読するほどの力はない。いずれ、時間をかけてゆっくり読みたい。それにはまず、シリーズとしては欠本がいくつもあるので、それらをまず揃えるところから始めなくてはならない。

 そしてさらに、この最後のZENシリーズ以前にOshoが語ったZENにまつわる本たち、「ボーディダルマ」「信心銘」「坐禅和讃」「無水無月」「一休道歌」などを、いわゆる禅の伝統の順番に並べ替えて、読みなおしてみることが始まった。実際にはその途上にあるわけだが、これが、一気に通読することはなかなか難しい。あちらでひっかかり、こちらでひっかかりする。通読だけでも読了となるのは、いつのことになるか分からない。

 読めば読むほど、ああ、こんなに分からないことがいっぱいある、という感慨が湧いてくるが、でも、割と絶望感は以前よりは薄らいだ。ああ、まだこれだけ楽しめる余裕がある、というような、何か「読まなくてはならない」という義務感が、いつの間にか、「まだこれだけ読める」という権利意識のようなものに変化してきたから不思議である。

 実際には、Osho関連においても、文字化されたものの、わずか数パーセントしか読みこんでいないのではないか、と思う。もちろん日本語化されて単行本として出版されているものでも、まだ、読んでいないものが結構ある。なぜ読まなかったのかはいくつか理由があるのだが、とにかく、まだまだある。

 それを負担と考えるか、それをこれからのお楽しみと考えるかは、微妙なところだが、すくなくともOshoとともにあっては、なんらかの義務感を持つ必要はない。読むべき時に、読めるようになるだろう。楽しめる時に、楽しむことになるだろう。

 ということで、なにはともあれ、今後の当ブログの嗜好性は、この本を中心とした一連の広がりが中心となる。あるいは、いつも的外れで、あちこち野次馬根性で出かけていっては迷子になる習癖がある当ブログとしては、道に迷ったら、まずは、この本に戻ってこようと思う。

<12>につづく

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2010/05/12

マイトレーヤ <8>

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<7>よりつづく

 

 

 

「マイトレーヤ」 <8> The buddha lord maitreya.
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1988/3 瞑想社 地方・小出版流通センター  単行本 p221

 一旦小休止したあと、そろりと再スタートしている当ブログにおいて、「禅宣言」と「私が愛した本」とともに、この「マイトレーヤ」をスタート地点で再読しておこうと思ったのには、それなりの理由がある。

 チベットに連なる一連の読書遍歴は、結局、現在の私の場合、「反密教学」「サンヴァラ系密教の諸相」に行き着いているのであり、ここにおける瞑想いかんによって、前にも進めなければ、後にも引けないというところまで来ている。

 当ブログを始めた当初は、この密教系列の「チベット」カテゴリと、文化人類学的くくりの「チェロキー」カテゴリは、同じような形で進行するものと思われた。しかし、あれから4年ほど経過していみると、「チェロキー」カテゴリは一向に進みがない。

 ここで終了するのか、もし再開するにしても、たぶん「ドン・ファンの教え」あたりを突破していかないことには、このままフェードアウトということになるだろう。それもよし、だけど、予感としてはフェードアウトしようがないだろう。つまり、一点突破が必要なのだ。

 他にも、ここに来て、突破していかなくてはならない岩盤はいくつか残されている。あれやこれやの中で、ひとつの厚い岩盤は、神智学という形で残されている。もともと好きな分野ではないのだが、どうしてもここに舞い戻ってくる。

 仕方がないので、どこか好きなところを見つけて、そこにダイナマイトを仕掛けて、すこしづつ堅い岩盤を崩していかなくてはならない。そのひとつの仕掛けどころが、見つかった。それは、クリシュナムルティとともに、未来のマイトレーヤとして育てられた5人の子ども達の他に、もう二人、その候補があった、という情報である。

 6番目は、多分、シュタイナー、ということになる。そして、7番目は、どうやらアジア人。しかも、日本人であったのではないか、という可能性である。これだけの話題が出来上がっていれば、例えば雑誌「ムー」などであるならば、あれやこれやのゴシップを連ねていけば、立派なカラー刷りの特集記事ができそうだ。

 いや、もうあるのかも知れない。すくなくともこの話題は当ブログの得意分野ではないので、避けてきただけであって、本当は、しかとした鉱脈がすでに発見されている可能性もある。遅きに失しているかもしれない。だが、いまこそその時、と、ばかり、当ブログは、すこしづつ、重い腰を上げつつある。

 この本、当時の緊急的な雰囲気の中で編集された特別な一冊なので、特殊な香りがするが、取扱いに注意して読むと、極めて稀な、独特な味わいのある本となっている。私は大好きな一冊なのであるが、オーソドックスなOsho本からは、すこし脇にそれている。あるいは、一歩踏み込んでいる。

 ひさしぶりに、あのマントラを見つけた。

 オーム・マニ・パドメー・フーム om mani padome hum

 「オーン・マニ・パドメー・フーン」とも表記。「オーム(帰依する)、摩尼宝珠よ、蓮華よ、吽」と訳され、六字の明呪として死後の浄土を願う意で、日本の「南無阿弥陀仏」と同じく盛んに唱えられる。チュコール(別名マニコル)の小楽器の紐を一唱ごとに引く。また、石に刻んで回転させながら唱えたり、経典・壁などにも書く。p193

  オーム・ニ・パドメー・フーム

<9>へつづく

    

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私が愛した本<72>

<71>からつづく    
Photo  
「私が愛した本」 <72
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

 意図しないまま、知らないうちに始まってしまった、新たなる1024冊へ向けてのVol.3だが、今後は再読モードが主になるので、新たなる読書としての冊数をカウントしていくことはあまり意味がなくなってくるかもしれない。

 一カ月ほどIn Silenceモードの中で、具体的には、日常生活でいろいろ溜まってしまった諸事情の仕事をひとつひとつこなしていたわけだが、その中でも、まずはこの本を再読しなくては、と思ったのが、やっぱりこのOsho「私が愛した本」であった。

 出版当初にまずは目を通し、その後、当ブログが始まってからまた目を通し、その後は、この本の中に登場してくる一冊一冊を、図書館ネットワークの中で探し出しては、ひとつひとつブログを書いてきた。もちろん、ここには書いていないものもあるし、本そのものも見つからないことも多数あった。

 だが、バラバラにあちこちリンクを張りながら、なんとか、全168冊をブログの中にアップしてみて、なんとか体裁を保ったものの、もう一度、この本を最初の頁から、最後の頁まで、一冊の本として読みたいと思っていた。

 そして、ようやくもういちど読みなおしてみて思うこと。最初、この本に書いてある100のうち、自分が分かっているのは、10くらいしかないな、という実感だった。あとの90くらいは、よくわからなかった。いつかわかるようになるだろう、という気楽な気分だけは残ったが、それでも、何時? という目途はたっていなかった。

 今、こうして、この本が出版されれて20年も経過してから、あらためて、時間をかけて、この本に紹介されている本を読みなおしてみながら、また一冊の本としてこの本を読みなおしてみた。そして、思うこと。それは、結局、自分の分かっていることは、やっぱり10くらいしかないな、ということ。

 いろいろ枝葉について調べたから、もうすこし理解が進んでいると、自分では思っていた。しかし、それは、体験がともなっていない、単に文字面のものでしかない。いや、むしろ、分かっていることが10としたら、分からないことが増えていて、この本に書かれていることが1000に増えているのに、そのうちの、やっぱり10しか分かっていない、という現実に直面した。

 以前は、100のうち10は分かっていたつもりだったが、現在は1000のうちの10しか分かっていない、という、なんとも逆説的な現象が起きている。ともすると、絶望の中にさえ落としこまれるような、どん底な気分でもある。

 もともと、長編小説やインドの文献化されていないブッダたちのこと、あるいは、西洋哲学のあれやこれやは、なかなか読み進めるものではない。かんたんな読書ではないとは思う。だが、いままで読んで、分かっていたつもりになっていた本についても、なんだか、この「私が愛した本」を再読すると、本当にあの理解で良かったのか、と、根元がぐらついてくる。

 しかし、読んでよかった。再読してよかった。というのも、一本の道ができたような気がするからだ。私というポイントがあり、Oshoというポイントがある。その距離は限りなく離れているが、しかし、そこに細く、とぎれとぎれではあるが、たしかに、一本の道が、ひとつの橋が架かったような、安堵感がある。

 この細く、限りなく長い一本の糸を、静かに、静かに手繰りよせていくことができるだろうか。すこしづつ、太い確かなロープにより合せ、すこしづつぐいぐい引っ張りよせることができるだろうか。いつかは、二つのポイントを、重ね合わせて、ひとつとすることができるだろうか。

 あるいは、この一本の茎から、あちこちと枝葉がでて、次から次へと面化していくのではないか、という予感もある。あれやこれやと、横道にそれて冒険してみるのも面白い。根がでたり、分株したりすると、結構な広さになるに違いない。

 どうもそうなると、いずれは、その領域は100や1000という単位ではなく、10000や100000という広さや質量になるかもしれない。そして、依然として、自分の分かっているのは、結局10くらいしかないのだ、という感慨に戻ることもありうるだろう。まぁ、それも良からん。いやいや、10どころか、1つも分からん、なんも分かっていなかった、という結論もありうるのだ。まぁ、それもいいじゃないか。

Vol3

 今日、自分が、Oshoの本の中から3冊選びなさいと言われたら、まずこの「私が愛した本」を選ぶだろう。それは、プネー1の総括の時期でもあったし、その広さから地球大の展開を感じることができる。それにまだまだここから枝葉が無限に伸びて行きそうな気がするからだ。だけど、それは分裂はしていない。その中心にOshoがあり、そしてNothingnessがある。

 他の二冊としては、「禅宣言」「マイトレーヤ」を選ぶのではないだろうか。「禅宣言」はOsho最後のZenシリーズの締めくくりでもあり、Osho最後の本でもある。この一冊から、OshoのZenへと展開し、また瞑想へと繋がっていく。「マイトレーヤ」は日本国内で編集されたものであるが、チベット密教へのつながりを多く感じさせてくれる一冊だ。インスピレーションのひとつの源になってくれる。

 他には、Oshoの代表作と目される魅力的な本もたくさんあるのだが、なにはともあれ、今日の三冊は、ここで決まりのようだ。すでにこれらの本は再読、再々読の段階だが、そのなかでも、あえて感謝の意味や、新たなる出発の意味も込めて、この「私が愛した本」は、新たなる「One Earth One Humanity」カテゴリとしては、実質的な、栄えある第一冊目ということになる。

<73>につづく

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2010/05/11

現代瞑想論 変性意識がひらく世界

現代瞑想論
「現代瞑想論」 変性意識がひらく世界
葛西賢太 2010/03 春秋社 単行本 265p
Vol.3 No.0008★★★☆☆

 いつまでも静かにしていようと思っても、次第次第に目は覚め、口は開いてくる。それはそれでいいだろう。すでに、知らない間にVol.3も7冊進んでしまっている。臨時的に当ブログ<1.0>を緊急避難的に使っていたが、そろそろゆっくりとこちらの<2.0>に戻ってくることにする。

 この本、図書館の新着本リストの中からタイトルのみで借り出したもの。内容について詳しくは知らなかったので、パラパラめくってそのまま閉じてしまおうかな、と思っていたが、この著者がジェイムズ・スワンの「聖なる場所---地球の叫び声」の訳者であったことを知って、なんだか懐かしかったので、読んでみることにした。そうか、あの国際環境心理学シンポジウムから20年近くが経過しているのだ。シンポジウム実現に向けて、盛んに走り回った一年間が懐かしい。

 さて、当ブログでは、一年間を二つに分け、冬至から夏至、夏至から冬至までの間に読んだ「新刊本」のベスト10を発表してきたが、今年の前半期は、村上春樹追っかけをしたり、Osho本の再読などに力を入れてしまたために、この期間にでた新刊本で、当ブログとして読んだものは、かなり少ない。これではベスト10は作れないので、今年は、年間を通じてやったほうがいいかもしれない。そんな意味においても、この本は今年の3月にでた新刊本なので、貴重ではある。

 現代瞑想論。う~ん、そそられるような、そぎ落とされるような、なんだか不思議なタイトルだ。まず、瞑想に、「現代」も古代もないだろう、と思う。そして、瞑想は「論」ずるものではないと思う。しかしながら、「現代」と「論」に挟まれた「瞑想」というものが、いかなるものに成り果ててしまっているのか、という「惨状」を見届けたい、という誘惑も断ちがたい。

 本書は、瞑想の心理について考えるテキストである。寺院や修道院で修行する出家者の視点ではなく、世俗の中で仕事に励む人々(一般在家者)の視点に立つ。考えたいのは、忙しい生活の中で自分を振り返る時間としての瞑想である。

 したがって本書では、悟りや解脱とは何かという、高度に抽象的な、教学的あるいは哲学的な議論は行わず、いわゆる脳科学・大脳生理学的な瞑想研究にも言及しなかった。大脳生理学が日進月歩の領域であることも理由の一つだ、本書では脳の特定部位の活動という科学的・物質的な観点とは別に、私たち自身の意識の主観的な体験を考えることに主眼をおきたいからだ。pi 「はしがき」

 いろいろ言ってはいるが、この視点は特段に珍しいものではない。

 20年以上負担のかけ通しである東京大学大学院教授の島薗進先生には、帯の言葉を賜った。pv

 なるほど、この先生の名前がでてきたことによって、ほとんど、この書の性格は決定づけられてしまっていると言ってもいい。要は、学校のテキストとして使いたい、と、そういう意図の中で、あれこれ、あちこちからおっかなびっくり集めてきた知識や情報をパッチワークにして、ユースホステルのシーツみたいに、自分の持ち物として持ち歩きたいのであろう。

 島薗センセイの名前がでてくる「スピリチュアリティの興隆」「スピリチュアリティの現在」(葛西賢太も関わっている)、「宗教と現代がわかる本(2008)」「スピリチュアリティといのちの未来」「シャマルパ・リンポチェの講義録」、などなど、あちこち蚕食してみるのだが、ちっとも内面性は深まらない。昆虫採集されて標本化されたトンボや蝶たちを見ているようで、網羅的ではあるかもしれないが、そこには生命がない。躍動する命が失われている。

 巻末には150冊を超える参考文献のリストがあるが、結局は表題のようなテーマを追っかけるとすればこれらの文献にお世話にならなければならないし、また、一部は、もろに当ブログの読書領域と重なってくる。興味深くはある。しかし、ひとつの教室において使えるようなテキストを作ろうという著者の意図と、当ブログの指向はかなり違っているので、そもそものそれらの「文献」の読み方がまるで違っているようだ。

 ケン・ウィルバーに触れ、薬物=ドラック・カルチャーに触れる。でも、どこかおざなりだ。ここは、これくらいのスパイスを効かしておかないと、全体としての見栄えがしない、という配慮で書かれている感じがする。「変性意識がひらく世界」というサブ・タイトルは、あまり好みではない。これでは瞑想は変性意識を発生させるための装置かシステムのように読めてしまう。瞑想と変性意識はまったく別物だ。まぁ、言葉になにを表現させるかは、それぞれだから、決めつけるわけにはいかないが、それでもやっぱり、曲調におおきな違いがある。

 たった265ページほどの本に、これだけの単語をぶち込むと、じつに訳がわからない本ができてしまう。だが、教室でつかうテキストを狙っているとすれば、それはそれで仕方ないのかもしれない。と言って、この本、決してビギナーに優しい最適な本とも言い難い。この方、せっかく30年以上「瞑想をたしなんできた」ということだから、その体験が、もっとじんわりと沁み出てくるような本を、今後は期待したいものだ。

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2010/05/10

1Q84<7> BOOK3 

<6>よりつづく


「1Q84」 BOOK3 <7>
村上春樹 2010/4 新潮社 単行本  602p 

 一度は読み終えたものの、奥さんの順番がやってきて、もう一度この話題の小説を読みなおすチャンスがやってきた。まとめの意味で、再読し、その感想をここにまとめようと思っていた。しかし、目の前にその本があり、一週間経ち、10日経過しても、一向にページをめくろうとしない自分がいる。

 このゴールデンウィーク、予想外に忙しかったせいもある。いや、この5月は、まだまだスケジュールのピークが何回も来そうだ。とてもゆっくり小説など読んでいる雰囲気でもない。それに、他の再読したい本も、だんだん溜まってきた。 しかし、その他にも、このbook3を再読しようとしない自分には、それなりに理由がありそうだ。

1)売れた売れたという以外には、それほど話題になっていないのではないか。

2)1990年代のスピリチュアリティ、特に麻原集団に対する村上春樹的理解の展開か、と期待された割には、拍子抜けするほどのハッピーエンドな結論ではないか。

3)このままだったら、やっぱりbook4が必要になるのではないか。あまりに「お粗末」な結論だ。

4)こんな小説なら、book1、2で、山岸会の、カルトの、麻原の、と、大騒ぎするほどのことはなかったのではないか。

5)これを持って、80年代やら、90年代、あるいは21世紀的なスピリチュアリティのソーカツ的評価を受けるとするなら、笑止千万である。

6)小説内小説としての「空気さなぎ」の展開も、消化不良であろう。

7)少なくとも、この小説でノーベル文学賞はないだろう。この程度での受賞なら、ヘッセやタゴールやカミュや、他の受賞はなんだったのか、ということになる。もっとも、ノーベル賞そのものの、政治性の裏表があるから、そのこと自体をまともに論じる必要もあるまいが。

 当ブログ<2.0>は現在のところ一次休止して整理中である。再開のめどは立っていないが、それでもやっぱりメモすることが必要になり、こちらの<1.0>にこぼれて書き込む必要がでてくる。新たなる読書Vol3としての新たなる1000冊を読み始めることになるのか、再読一辺倒になるのか、自分の中の落ち着く先を見つめている。

 しかし、この段階ではっきりしてきたことは、科学、芸術、意識、という三本柱として立てて来た、ITネット関連の話題や、政治、ジャーナリズムの話題については限りなく縮小しようということだ。ツィッティやら沖縄米軍基地の問題やら、さまざまな外的な話題には限りはないが、ここでひとまずフェードアウトする方向には変わりがない、ということが明確になってきた。

 そしてまた、いわゆる小説やら文学やらというジャンルにおける、取りとめのないお喋りに付き合うのも、そこそこにしようということだ。もともと村上ファンではなかったが、一応関連の60冊ほどを読んでリストを作っておいたせいか、いまだに、当ブログへのアクセス経路は、村上春樹ワーズが圧倒的に多い。特に「牛河」など、思いもよらぬヒット数を稼いでいる。

 しかしまぁ、当ブログの本来の眼目はその辺にはない。それに、次の1000冊という図書館トリップもそろそろ飽きてきた。すこしづつ、手持ちの本を中心とした<再読>モードに戻ろうと思う。そして、やっぱり、本当に気に入った本は、購入して、いつも手元に置きたい。あるいは、すでに賞味期限の切れた手元の蔵書は、ちり紙交換か古書店行きだな、と思う。

 なにはともあれ、このbook3では、当ブログは全然納得できない。book4でも出ない限り、この作品は、安原顯ではないが、「究極の愚作」になりかねない。小説の評論などは、その道の同好の人々にゆだねるとしても、もともとは村上春樹ファンでもない当ブログとしては、一応世間の話題には対応しては見ましたが、イマイチだったですね、という評価に落ち着くだろう

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2010/05/05

ラーマクリシュナの福音

ラーマクリシュナ
「ラーマクリシュナの福音」
日本ヴェーダーンタ協会 (翻訳) 1981/02 単行本 p328
Vol.3 No.0005

 この本も、10日や2週間手元においたからと言って、とても読み切れるものではない。きっと、永久保存版なのだ。旧本だから、とても手に入るものではない、と諦めていたが、実は、最近、再版になったらしい。いくつかのヴァージョンがあるらしいので、内容がどうなっているのかよくわからないが、いずれにしても、シュリ・ラーマクリシュナの足跡が、百数十年を経過したのちの21世紀に生きる私たちにも伝えられていることに感動する。

 Osho「私が愛した本」の中の「ラーマクリシュナの福音」にリンクを張っておいたが、これで、ようやくひとつ自前の感想のリンクが増える。本書の中にでてくる「M」とは、著者(あるいは記録者)のマヘンドラナート・グプタ。若くして師についた学生にして妻帯者(家庭人)。ゴータマ・ブッダにおける「如是我聞」のように、自らは記録者に徹している。

 1880年代のことであり、電磁的記録の方法も発達していなかったし、西洋の文化交流もまだまだ均一のものとはなっていない時代のことである。しかも、ベンガル語やヒンディー等、地方の言語の違いもあるだろうし、そこから英語へと翻訳され、さらには日本語へと重訳されている限り、字義的に逐一追っかけていけば済む、というものではない。

 ましてやMが聴いていた範囲にとどまるものであり、その表現方法などにも、それなりの長所短所があって、限界もまた存在することだろう。だが、それにしても、これだけの長きに渡ってこの本が愛されているのには、それなりの理由がある。それは、シュリ・ラーマクリシュナが「真実」であるからである。

 スワミ・ヴィヴェーカナンダこと、若き学生ナヘンドラを愛している姿など、いますぐ眼の前で起きている出来事であるかのようなリアリティがある。p246の次には、ヴィヴェーカナンダなどとともにマヘンドラナート・グプタの写真も綴じ込まれているので、貴重だ。よっぽどここに転写しておこうかな、と思ったがやめておく。それは、あえて自らをMとしか記さなかった彼に対する背信のようにさえ思えるので・・・。

 これだけ内容が詰まっている本だと、かならずしも19世紀のインド文化について詳しくない私などは、途中で、その文脈の要点を失い、意味不明になる点がなかったわけでもない。固有名詞の表記方法や、たとえ話の使い方、あるいは、インド固有の「ブッダ(目覚めたる存在)」への接し方など、すこしは現代流に解釈し直さなければならない。

 それでもなお、最後まで読み切らせるのは、要点はただひとつに限られている点だ。そして、それは、なにか特別な奇異な結論ではない。ごく順当な、ごく全うな、そして、今でもこの世に生きてあるのではないか、と思わせられる、その情景のリアリティである。まざまざと見えるようだ。

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大人のアスペルガー症候群


「大人のアスペルガー症候群」こころライブラリーイラスト版
佐々木正美/梅永雄二 2008/08 講談社 全集・双書  98p
Vol.3 No.0007★★★☆☆

 

 この本、実にきれいなイラストがついて、全体的に分かりやすい。見ていて、なにかのマニュアル本みたいで、なるほどと、理解はしやすい。しかし、一読者としては、こちらの眼目は、具体的な存在があり、あれはいったい、この機能障害に当てはまるのかどうか、とチェックしているのであり、そうなると、必ずしも、ぴったり来ないような気もする。

 

 あの存在は、もっと悪意に満ちている。そして、自分ではどう思っているか知らないが、現在では、すでに社会的な地位を築いている(と思っている)だけに、始末に負えない。考えようによっては、法的な範疇から外れている場合さえある。つまり、細かく言えば、法に触れている部分がある。

 

 逆に考えると、あの存在を除いて考えれば、他に、いわゆるアスペルガー症候群と言われて、こちらを振り回す存在は、私の周囲には、そう多くなさそうだ。いや、いるかも知れないが、適当な距離感を持ったり、対応能力があるために、振り回されているという事実はない。

 

 唯一、あの存在だけだ。そしてあれは、必ずしも、ここで言われている機能障害とは決して断定はできない。いずれにせよだ。巻き込まれるこちらに、何事かの欠点がある。欠点とまでは言わないが、なにか、準備不足だ。あの存在をもう少し理解して、対応能力をつけるしかない。

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ササッとわかる「大人のアスペルガー症候群」との接し方


「ササッとわかる『大人のアスペルガー症候群』との接し方」見やすい・すぐわかる図解大安心シリーズ
加藤進昌 2009/01 講談社 単行本 110p
Vol.3 No.0006 ★★★★☆

 

 ちょっとした困ったちゃん。いい加減にしてほしいと思う。それにもう困ったちゃんなどと言うような年齢ではない。すでに人生も終盤にさしかかっているはず。あそこまで行けば、単なる頑固者で偏屈、としか言えないのではないか。

 

 下手に接して、こちらが無尽蔵に傷つけられるのは、もうこの辺で切り上げたい。とにかく変な奴。ずっと身近にいたから、それは、あいつの「個性」である、と、そう決めつけてきた。あんな奴、あれは、ああいう奴なのだ。

 

 ところが、誰かが、ひょっとすると、あれは「アスペルガー」ではないのか、と言いだした。ん? それってなんだっけ・・・・・・。それはなにか「精神病みたいなもの?」 そういえば、あいつの、更に年老いた親でさえ、「きっと何かの病気であるに違いない」と言っていたではないか。ええ?、そうなの・・・? 

 

 というわけで、とにかくネットでざっと検索して、なるほど、と思い、さらに、最寄りの図書館で調べてみた。驚いたことに、このワードで引っかかる本は、かなり多い。いや、むしろ近年、限りなく増えていると言える。ひょっとすると、これって、ブーム?

 

 まずは、この本を読んでみた。なるほど、思い当るところがある。そのような概念を借りて、あの人物を理解しようとすると、ぴたりと当てはまることが多い。かならずしも典型的なアスペルガー症候群とは言い難いが、そのいくつかの典型的な特徴を借りてくると、あの人物の行動がやや理解できる。

 

 いままでは、ひとりの「人格」を持った存在として付き合ってきたから、あいつはああいう奴だ、と決めつけてみたり、ああ、仕方ないと諦めて、その流れに巻き込まれてみたりした。しかし、ここで、あの行動パターンを、「病気」とまでは言わないまでも、なんらかの「障害」と考えることができれば、こちらの対応に余裕ができる。

 

 厳密にはアスペルガー症候群とは診断できない場合、ひとまず「PDD-NOS(典型的でない広汎性発達障害)」と呼ばれることもあるという。なるほど、ここまで考えることができるとすれば、あの人物をこの範疇にひとまず当てはめてみて、それから、人間関係の修復を図ることも、無駄ではなさそうだ。

 

 だけどこの本、自分の中の「大人のアスペルガー症候群」との付き合い方は書いてあるけれど、「アスペルガー症候群」とおぼしき「大人」の周囲の人々が、どのように「付き合えば」いいのかまでは、親切に書いてはいない。

 

 まさか、かの人物に「病院」にいくことを進めることもできないし、あなたは「病気」だ、と言うこともできない。どのようにすれば、そのことを自覚してくれるだろうか。そんなことを考えていると、はて、それを考えている自分も、なにかの尺度で「診断」すれば、なにかの「症候群」に当てはまっているかもしれないぞ、と思う。いやはや。

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2010/05/01

奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録


「奇跡のリンゴ」「絶対不可能」を覆した農家
木村秋則の記録石川拓治/日本放送協会 2008/07  単行本  207p
Vol.3 No.0004

 弘前に知人ができて、昨年も弘前に行ったけど、ことしも弘前に行くことになった。もうすこし弘前のことについて知ろうかな、と思っていたら、この本がでてきた。なんだか、この顔、あちこちの雑誌で最近見たな、と思う。無農薬栽培で、すごいリンゴを作るらしい、ということは分かったが、それ以上のことについて、あまり関心が湧かなかった。

 だけど、今回、この本を読んでみて、なんとすごい本なんだろう、と、涙がでた。NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」の制作過程の中で、この本の企画が持ち上がり、茂木健一郎などが後押しして、ノンフィクションライターが密着取材するなかで出来た本だという。

 もともとの人間としてのこの人のキャラクターもなかなかのものだが、「わら一本の革命」の福岡正信との出会いかたも、すごい。ひとつひとつが物語仕立てだ。岩木山の中で命を断とうとして投げたロープが、幻の「リンゴの木」と出会わせたこと、何年もして、ようやく7つのリンゴの花が咲いたことなど、リンゴの生育過程などまったく考えてみなかった一読者としても、なんとも感動的なシーンが続く。

 この本自体は、そのようなハッピーエンドの成功譚として書かれているが、本当に人生というものは、必ずしも、このように物語としてだけ語れるものではないだろう。だけど、それにしても、壮絶な生き方があったものだ。そしてまた、無農薬でリンゴを作る、という技術的なことだけではなく、そのリンゴで生活して見せる、という夢を実現するとなると、ただごとではない。そして、その「記録」は多分、現在進行形なのだ。

 この人に関する本は、探してみれば、ご本人の著者を含め、他にもいくつかあるだろう。もっと続けて読むべきか、今しばらくはこの感動をそのままにしておいて、余韻を楽しむか。「奇跡のリンゴ」を求めて、ひとくち食べてみるか。いろいろあるが、やっぱり、この人から学ぶことは多い。いや、一時は「かまどけし」とまで言われた、ある意味で「変人」であるこの人を、尊敬したり、師匠にしたり、ということは、本当の意味ではできないのではないだろうか。

 学んだり、教えたり、ということではなくて、なにか自然連鎖的な、なにごとかの出来事が触媒となって、次々と何かが起こり続けるような、そんな不思議なプロセスが待っているような気がする。ここにひとつのケースがある。そのケースは必ずしも「絶対」なものではない。しかし、そのケースは、決まり切った固定観念に収まっている思考範囲をぶち壊していく。カテゴリーキラーだ。

 言ってみれば、ひとつの世界観をぶち壊している、とも言える。いまある体系にしがみつきたくなる保守性が騒ぎ出す。壊さないでくれ、と。だけど、壊さないでいても、いつかは壊れていくのがまた、あらゆる体系の本質なのだ。いや、すでに壊れかけている体系にしがみついているだけで、その本質を見ていないのが、大勢の無感覚な流れなのではないか。

 どこかで、誰かが、気づく。誰かは失敗し、誰かは成功する。しかし、それは、一時的な成功譚であり、また、それらは、草葉の陰に隠れてしまう可能性は大きい。ひとつのマッドサイエンスのように、ひとつの「例外」のように、静かに無視され、消されていく可能性は十分ある。

 この人の「奇跡」が、大いに評価されている、この「時代」というものが、「正しい」のか、「狂っている」のか。農家でもなければ、リンゴを人生の中心においているわけでもない自分が、いつまでもこの本や、この人のことを覚えているか、定かではない。まぁ、しかし、トンデモない人がいるものだと思う。そして、このようなトンデモない人に、ひとつの「啓示」を与える、この人生、この宇宙、この自然というものは、ホントにとてつもないものだと思う。

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