Jonathan Livingston Seagull<5>
「Jonathan Livingston Seagull」 a story <5>
Richard Bach/Russell Munson 2006 SCRIBNER MACMILLAN [洋書] Paperback 95p 言語: English
Vol.3 No.0023 ★★★★☆
Osho「Books I Have Loved」第一日目の10冊の中に、この一冊が入っているということは、いかにも唐突という感じがしないでもない。そもそも70年前後にアメリカで発行された本なので、81年当時にはまだまだ話題性があった、ということもできるだろう。しかしそれにしても、異例の出世という以外にない。
そう思って、さて、この本の日本語版と英語版には、なにか違いがあるのではないだろうか、と考えた。2010年の現在まで、これだけのヒット作なのだから、いろいろなヴァージョンがあるのは当然のことだが、とにかく取りよせてみたのは1970年発行の英語本。細かいことを言えばきりがないが、ざっと目についたことを書けば・・・。
1)英語版と日本語版では同じ写真が使われているが、日本語版では裏焼きされている写真が多くある。つまり、英語版では左から右へ飛んでいるカモメが、日本版では、右から左へ飛んでいる。
2)日本語版は、巻末に訳者の五木寛之の「解説」があるのに対して、英語版の原書には、解説どころか、著者の言葉さえない。紹介もない。
3)日本語版は時速何キロとか、何メートル、何キロ、という表示であったが、英語版はフィート、インチの世界。日本語版は割り切れない数字が乱立していたので、これは翻訳上しかたなかったかな、と思っていたが、英語版でも、結構、端数が表示されている。万が一、ヌメロジー的に数字に意味を負わせていたとしたら、お互いトンデモないことになりそう。
と、まぁ、目くじらを立てるほどのことはなにもない。敢えていうなら、1)においてのカモメの飛翔の流れが右向きと左向きでは、例えば、内向的と外向的、というほど反対の意味を持つ場合がある。爛熟期のアメリカが精神的に内向化していく半面、高度成長期を迎えた日本が、より外向化しつつあった、などというのは、すこしつじつまの合わせ過ぎということになるか。
2)においては、当時の売れっ子作家・五木寛之が翻訳・解説しているが、これがよくも悪くも、日本版のイメージを決定づけているのではないか。精神性の発露、と見るよりも、現代アメリカ文化の紹介的になってしまっているのは、本書の原質を半減させている可能性がある。
3)は、こまかくは付き合わせてはいないが、原著者もそれほどの意味を数字に付加してはいないだろう。しかし、日本人として、メートル法とインチ・フィート・マイル表記では、やはり受け取る雰囲気が違う。右ハンドルと左ハンドルほどの違いがある。これはどうしようもないことではあるが、そうである、ということを意識しておくことは大事であろう。
もちろんのことOshoはこの英語版を読んだのあろうが、現在においては同じリチャード・バックには、この「Jonathan Livingston Seagull」の他にも多数作品があるのであり、そちらは英語版とまではこだわらなくとも、当ブログとしては、一通り目を通しておく必要はあるだろう。
いずれにせよ、この小さな小説にOshoは「Notes of a Madman」の中でも繰り返し触れている。
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