ミルダッドの書―灯台にして港<2>
<1>よりつづく
「ミルダッドの書」―灯台にして港 <2>
ミハイル・ナイーミ (著), 小森 健太郎 (翻訳) 1992/12 壮神社 単行本: 347p
★★★★★
I also remembered Mikhail Naimy's book The Book of Mirdad. That books is just unbelievable. I feel jealous of only one man. Mikhail Naimy. Jealous not in the ordinary sense, because I cannot feel jealous in that sense, jealous in the sense that he has written it already, otherwise I would write it. I would have written it ........it is of the same heights I am flying to. Osho : Notes of a Madman p68
わたしはまた、ミハイル・ナイミの「ミルダッドの書」を思い出した。この本は全く信じられないような本だ。私は、一人の人間だけは、ミハイル・ナイミにだけは嫉妬を覚える。ふつうの意味会いでの嫉妬ではない。ふつうの意味合いでの嫉妬は、わたしには感じられないからだ。彼がすでにこれを書いたという意味で、わたしは嫉妬する。さもなければ、わたしが書く。Osho「狂人ノート」p160
Oshoをして、ここまで言わしめる本。「Books I Have Loved」ss1においては、「ツァラトゥストラ」、「カラマーゾフ」に続く、3冊目に位置する。私の中では、カリール・ジブランの「プロフェット(預言者)」と一体になってしまっていて、渾然としている。ナイミとジブランは友人だった。ほとんど親友という以上のつながりがあった。
第一次大戦中の1917年召集を受け、アメリカ軍に入隊し、フランスの戦線に参加。従軍の強烈な体験が彼の精神に大きな影響を与えた。p334「人と作品」
1889年生れのナイーミ28歳の頃から、アメリカ軍に従軍1917~18年(p337)していたようだが、アメリカ軍とは言えフランスの戦線に従軍したのだから、その間に、パリに遊ぶこともあっただろう。
一方、1883年生れのジブランは、「35歳になってパリへ行き、芸術アカデミーに入学。彫刻家ロダンのもとに3年間学んだ」神谷「ハリール・ジブラーンの詩」p12とあるから、ちょうど、ナイーミがフランス戦線に参加していたころだ。
永い間、親交を結んだ二人ではあるが、この時代、軍人と芸術学生という二人が、フランスでも会っていただろうことは想像できる。ナイーミは「一時神智学に傾倒したことがある」p345とのことだが、このフランス時代の二人と神智学の流れの関わりはどんなものだったろうと、直感的に気になる。
すべての物事は中心を持たなければならない。そこから光が放射され、その周りを事物が回る。もし生が---人間の生が---円環であり、神を見つけることがその中心であるなら、あなたがたの仕事はすべてその中心へと収斂されなければならない。それ以外は、血の汗に浸されてはいても、道草である。329p「ミルダッドが方舟を出帆させる」
この小説もまた、山上の垂訓というか福音書に似た形をとっている。ツラトゥストラも、ゾシマ長老も、チャンもサリバンも、クリシュナも、ラオツもチャンツも、ミラレパも、どこか似たような形式を持っていることが、不思議に思われる。この形式は、なかなか安定したステージを生み出すのだろう。「ミルダッドの書」においても、この形が整えられるまで時間がかかるが、このスタイルが確定すると、あとはミルダッドの独壇場だ。
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コメント
私は小説は苦手で、まどろっこしいとすぐ飛ばしてしまう。この小説をOSHOが高く評価した理由は、正直いまだよくわからない。おそらく、OSHOが評価しなかったら、この小説の邦訳は登場しなかっただろう。それにしても、この小説、現在どれだけ読まれているだろう。評価はどうか?みんなの意見を聞きたい。
投稿: Bhavesh | 2018/07/27 11:10