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2010/05/23

クリシュナムルティの世界<1>

クリシュナムルティの世界
「クリシュナムルティの世界」 <1>
大野純一  1997/08 コスモス・ライブラリ-/星雲社 単行本 434p
Vol.3 No.0020

 一度は一通り目を通そうと思って、クリシュナムルティ・リストは作ってあるのだが、いつも後回しになってしまい、なかなか彼の一連の流れを把握することができないでいる。もともとがあまり得意な人物でないので仕方ないのだが、Oshoを読み進める上では、クリシュナムルティについては避けては通れない里程標みたいなものである。

 図書館でこの本を受け取って、この本で何を読もうと思っていたのだろうと、自分がいぶかしくなった。他の本と一緒にリクエストしていたので、忘れてしまっていたのだ。そこで、さっと指を突っ込んだところが、「父今武平と霊智学」p331という今東光の8ページほどの文章だった。そうそう、これを読みたかったのだ。

 この部分こそ、昭和15年に今東光がリードビーターの翻訳として「神秘的人間像」というタイトルで出した本の序文なのである。この訳本自体を読みたいと思ったが、現在のところ、国会図書館とごく一部の地方大学に所蔵されているだけであり、すぐに読むことはできそうにない。まぁ、この序文さえ読めれば今回の目的は達成された、ということになる。

 今夜はなんだか大儀になってしまったので、あちこち転記する気はないが、とにかくいくつかのことが分かった。

1)今武平は、日本で唯一の「星の教団」団員だった。

2)今武平は、日本で唯一のロッジを主宰していた。

3)今武平は、「大使の御足の元に」を「阿羅漢道」として翻訳していた。

4)今武平は、日本の神智学の一時責任者だった鈴木大拙とは、面識が確実にあったとは言えない。

5)今武平の晩年は、東光、日出海という子息たちの目から見れば、実に質素なものであった。

6)今日出海は、1980年になって久しぶりに店頭でクリシュナムルティの本を手にした、ということだから、それは1980年8月にでた「自我の終焉 絶対自由への道 」に違いない。そして、この本がでるまでは、日本においては、一部の会員などのほかに、一般的にはほとんどクリシュナムルティは無名であった、ということが裏付けられる。

7)「鈴木大拙の神智学協会の紹介」p27という文章から、大拙と協会の位置関係を推し量ることができるだろう。ひとつの足がかりとなる。

8)ウスペンスキーは、ロシアで一時神智学に入信していたp169という一文があり、これも今後の足がかりになる。

9)アニー・ベサントとアンベートカルとの連携については、まだこの本の中には見つけていない。

 その他、この本には、かなり雑多な情報が満載されている。うまく処理はされているが、「雑多」であることには変わりはない。あまり長期に目を通しているとセンターを失うので、すこし休み休みしながら、目を通していったほうがよいように思う。

 <2>につづく

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