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2010/05/11

現代瞑想論 変性意識がひらく世界

現代瞑想論
「現代瞑想論」 変性意識がひらく世界
葛西賢太 2010/03 春秋社 単行本 265p
Vol.3 No.0008★★★☆☆

 いつまでも静かにしていようと思っても、次第次第に目は覚め、口は開いてくる。それはそれでいいだろう。すでに、知らない間にVol.3も7冊進んでしまっている。臨時的に当ブログ<1.0>を緊急避難的に使っていたが、そろそろゆっくりとこちらの<2.0>に戻ってくることにする。

 この本、図書館の新着本リストの中からタイトルのみで借り出したもの。内容について詳しくは知らなかったので、パラパラめくってそのまま閉じてしまおうかな、と思っていたが、この著者がジェイムズ・スワンの「聖なる場所---地球の叫び声」の訳者であったことを知って、なんだか懐かしかったので、読んでみることにした。そうか、あの国際環境心理学シンポジウムから20年近くが経過しているのだ。シンポジウム実現に向けて、盛んに走り回った一年間が懐かしい。

 さて、当ブログでは、一年間を二つに分け、冬至から夏至、夏至から冬至までの間に読んだ「新刊本」のベスト10を発表してきたが、今年の前半期は、村上春樹追っかけをしたり、Osho本の再読などに力を入れてしまたために、この期間にでた新刊本で、当ブログとして読んだものは、かなり少ない。これではベスト10は作れないので、今年は、年間を通じてやったほうがいいかもしれない。そんな意味においても、この本は今年の3月にでた新刊本なので、貴重ではある。

 現代瞑想論。う~ん、そそられるような、そぎ落とされるような、なんだか不思議なタイトルだ。まず、瞑想に、「現代」も古代もないだろう、と思う。そして、瞑想は「論」ずるものではないと思う。しかしながら、「現代」と「論」に挟まれた「瞑想」というものが、いかなるものに成り果ててしまっているのか、という「惨状」を見届けたい、という誘惑も断ちがたい。

 本書は、瞑想の心理について考えるテキストである。寺院や修道院で修行する出家者の視点ではなく、世俗の中で仕事に励む人々(一般在家者)の視点に立つ。考えたいのは、忙しい生活の中で自分を振り返る時間としての瞑想である。

 したがって本書では、悟りや解脱とは何かという、高度に抽象的な、教学的あるいは哲学的な議論は行わず、いわゆる脳科学・大脳生理学的な瞑想研究にも言及しなかった。大脳生理学が日進月歩の領域であることも理由の一つだ、本書では脳の特定部位の活動という科学的・物質的な観点とは別に、私たち自身の意識の主観的な体験を考えることに主眼をおきたいからだ。pi 「はしがき」

 いろいろ言ってはいるが、この視点は特段に珍しいものではない。

 20年以上負担のかけ通しである東京大学大学院教授の島薗進先生には、帯の言葉を賜った。pv

 なるほど、この先生の名前がでてきたことによって、ほとんど、この書の性格は決定づけられてしまっていると言ってもいい。要は、学校のテキストとして使いたい、と、そういう意図の中で、あれこれ、あちこちからおっかなびっくり集めてきた知識や情報をパッチワークにして、ユースホステルのシーツみたいに、自分の持ち物として持ち歩きたいのであろう。

 島薗センセイの名前がでてくる「スピリチュアリティの興隆」「スピリチュアリティの現在」(葛西賢太も関わっている)、「宗教と現代がわかる本(2008)」「スピリチュアリティといのちの未来」「シャマルパ・リンポチェの講義録」、などなど、あちこち蚕食してみるのだが、ちっとも内面性は深まらない。昆虫採集されて標本化されたトンボや蝶たちを見ているようで、網羅的ではあるかもしれないが、そこには生命がない。躍動する命が失われている。

 巻末には150冊を超える参考文献のリストがあるが、結局は表題のようなテーマを追っかけるとすればこれらの文献にお世話にならなければならないし、また、一部は、もろに当ブログの読書領域と重なってくる。興味深くはある。しかし、ひとつの教室において使えるようなテキストを作ろうという著者の意図と、当ブログの指向はかなり違っているので、そもそものそれらの「文献」の読み方がまるで違っているようだ。

 ケン・ウィルバーに触れ、薬物=ドラック・カルチャーに触れる。でも、どこかおざなりだ。ここは、これくらいのスパイスを効かしておかないと、全体としての見栄えがしない、という配慮で書かれている感じがする。「変性意識がひらく世界」というサブ・タイトルは、あまり好みではない。これでは瞑想は変性意識を発生させるための装置かシステムのように読めてしまう。瞑想と変性意識はまったく別物だ。まぁ、言葉になにを表現させるかは、それぞれだから、決めつけるわけにはいかないが、それでもやっぱり、曲調におおきな違いがある。

 たった265ページほどの本に、これだけの単語をぶち込むと、じつに訳がわからない本ができてしまう。だが、教室でつかうテキストを狙っているとすれば、それはそれで仕方ないのかもしれない。と言って、この本、決してビギナーに優しい最適な本とも言い難い。この方、せっかく30年以上「瞑想をたしなんできた」ということだから、その体験が、もっとじんわりと沁み出てくるような本を、今後は期待したいものだ。

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