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2010/05/05

ラーマクリシュナの福音

ラーマクリシュナ
「ラーマクリシュナの福音」
日本ヴェーダーンタ協会 (翻訳) 1981/02 単行本 p328
Vol.3 No.0005

 この本も、10日や2週間手元においたからと言って、とても読み切れるものではない。きっと、永久保存版なのだ。旧本だから、とても手に入るものではない、と諦めていたが、実は、最近、再版になったらしい。いくつかのヴァージョンがあるらしいので、内容がどうなっているのかよくわからないが、いずれにしても、シュリ・ラーマクリシュナの足跡が、百数十年を経過したのちの21世紀に生きる私たちにも伝えられていることに感動する。

 Osho「私が愛した本」の中の「ラーマクリシュナの福音」にリンクを張っておいたが、これで、ようやくひとつ自前の感想のリンクが増える。本書の中にでてくる「M」とは、著者(あるいは記録者)のマヘンドラナート・グプタ。若くして師についた学生にして妻帯者(家庭人)。ゴータマ・ブッダにおける「如是我聞」のように、自らは記録者に徹している。

 1880年代のことであり、電磁的記録の方法も発達していなかったし、西洋の文化交流もまだまだ均一のものとはなっていない時代のことである。しかも、ベンガル語やヒンディー等、地方の言語の違いもあるだろうし、そこから英語へと翻訳され、さらには日本語へと重訳されている限り、字義的に逐一追っかけていけば済む、というものではない。

 ましてやMが聴いていた範囲にとどまるものであり、その表現方法などにも、それなりの長所短所があって、限界もまた存在することだろう。だが、それにしても、これだけの長きに渡ってこの本が愛されているのには、それなりの理由がある。それは、シュリ・ラーマクリシュナが「真実」であるからである。

 スワミ・ヴィヴェーカナンダこと、若き学生ナヘンドラを愛している姿など、いますぐ眼の前で起きている出来事であるかのようなリアリティがある。p246の次には、ヴィヴェーカナンダなどとともにマヘンドラナート・グプタの写真も綴じ込まれているので、貴重だ。よっぽどここに転写しておこうかな、と思ったがやめておく。それは、あえて自らをMとしか記さなかった彼に対する背信のようにさえ思えるので・・・。

 これだけ内容が詰まっている本だと、かならずしも19世紀のインド文化について詳しくない私などは、途中で、その文脈の要点を失い、意味不明になる点がなかったわけでもない。固有名詞の表記方法や、たとえ話の使い方、あるいは、インド固有の「ブッダ(目覚めたる存在)」への接し方など、すこしは現代流に解釈し直さなければならない。

 それでもなお、最後まで読み切らせるのは、要点はただひとつに限られている点だ。そして、それは、なにか特別な奇異な結論ではない。ごく順当な、ごく全うな、そして、今でもこの世に生きてあるのではないか、と思わせられる、その情景のリアリティである。まざまざと見えるようだ。

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