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2010/06/16

ツァラトゥストラはこう語った<10>

<9>からつづく

ニーチェ全集 第2期第1巻 
「ツァラトゥストラはこう語った」 「ニーチェ全集 」第2期第1巻
ニーチェ (著), 薗田 宗人 (編さん) 1982/11 白水社536p 
Vol.3 No.0058☆☆☆☆☆

 白水社「ニーチェ全集」の薗田訳の「ツァラトゥストラ」が優れている点は、まず、一冊にまとまっていること。「ツァラトゥストラ」というと、いつも二冊分冊で、上下とか1、2とかに分かれているので、もう、それだけで重苦しい。大変難解な本を今から読み始めるのですよ、しかも、2冊ありますよ、と最初から宣言されているようで、なんだかうっとうしい。

 この辺は、いつも3部作だと思っていた「カラマーゾフの兄弟」が、亀山新訳では5冊分冊になったのとは対極に思える。ドストエフスキーのほうは、あの込み入ったストーリーが、小分けにされることによって、逆に読みやすくなっている。

 「ツァラトゥストラ」はもともと3部作として一気に書かれ、後に別な作品として書かれた部分が、第4部として追加された、という経過がある。だから、もともと、構成も、それぞれに反発しあうような部分があり、それをむしろ、最初からひとまとめにしてもらうと、ようやく、落ち着きがでてくるというものである。

 実際、含味熟読してからでなければ言えないが、直感的に言えば、私は第4部が一番好きかもしれない。人によっては、あの部分が余計だとか、堕落しているだとか、いう評価もあるらしい。

 「ツァラトゥストラ」の邦訳は、登張竹風の部分訳「如是経(一名 光炎菩薩大獅子吼経)序品」(大正10年)以来、すでに十種ばかりあり、そのそれぞれに個性豊かな成果は、すでにひとつの翻訳史を形づくっている。p535 「訳注」薗田

 ブふ・・・・、「如是経(一名 光炎菩薩大獅子吼経)序品」!!!! これはすごい! 「如是経」ですか。なるほど、こう言った、だ。 一名 光炎菩薩大獅子吼経・・・・・、これまたすごい、なんせ、「一名」です。「光炎菩薩」であります。「大--獅子吼--経」でありますかぁ~~。いやぁ、言えてる。その「序品」ですね。「ツァラトゥストラかく語りき」なんて軟弱な訳語がぶっ飛んでいく。

 同じ時代背景のなかで大正14年に、今武平がJ・クリシュナムルティの「大師のみ足のもとに」(At the Feet of the Master)を翻訳して、「阿羅漢道」と名付けたのも、この時代ならではのセンスである。西洋がどうしてもキリスト教風土から抜け切れないでいたのと同じように、日本もまた、仏教的風土を借りなければ、精神性を語れなかった、ということなのだろう。

 さらにこの薗田訳が優れている点としては、もちろん、やわらかい読み下し文であることでもあるが、傍点や太字体が、どうやら最小限に抑えられていること。ないこともないが、心地いい程度にしか傍点や太字体がない。小山修一訳「ツァラトゥストラ」は、出版がもっとも新しいだけに、言葉使いももっとも現代的ではあるが、太字体が特に目立って、目ざわりではあった。

 当ブログでは、これで4種の「ツァラトゥストラ」に触ったことになる。なるほど、それほど変わるまい、とタカをくくっていたのだが、ここまでくると、同じ小説を読むにしても、テキストの選び方で、大変感じの違うものになることが、よくわかった。

 どれが定番ということもないのだから、それぞれ個性があっていい。機会が許すなら、これらをずらっと並べて比較検討しながら、すこしづつ読み進めるというのも醍醐味のある読書ではあろう。

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