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2010/06/03

自我の終焉―絶対自由への道 <2>

<1>からつづく

Jk
「自我の終焉」―絶対自由への道 <2>
J.クリシュナムーティ (著), 根本 宏 (翻訳), 山口 圭三郎 (翻訳) 1980/08 篠崎書林 単行本: 446p
★★★★☆

 こちらもまた「BIHL3」の5番目に「The First and the Last Freedom by J. Krishnamurti」として登場してくる一冊である。ようやく「BIHL1~2」の準備が整ったところなのに、3まで手を伸ばそうとするのは、当ブログの何時もの悪い癖だが、気になるものはしかたない。

 本来はここに大野純一著「クリシュナムルティの世界」1997/08 と一緒に登場させたかったが、敢えてそれは避けた。そもそも当ブログのクリシュナムルティに対する好奇心は、ちょっと不純なところがある。彼がせっかくあれだけ純粋でピュアな意識=コンシャスネスについて語っているのに、どうしても彼の背景にある転び石の部分があまりに面白すぎるので、話題がどうしてもそちらに傾きがちになってしまうのだ。

 「自我の終焉」はいずれ「BIHL3」や一連のクリシュナムルティの著書の中で再読される必要があるが、であったとしても、彼はより純粋に彼の「悟境」と共鳴する、という形で読み進める必要があるだろう。

 しかるに、当ブログはどうしても、キューリアスな部分が刺激されてしまい、本質に辿り着かなくなってしまう可能性が高い。やれ、この本がでた1980年には、まだ他の精神世界の本は多くなかっただの、今日出海はこの本を店頭で見つけただの、この本では鈴木大拙とクリシュナムルティの接触をつかんでいないようだが、それは違うだろう、とかとか・・・。いつまで経っても、ゴシップのネタは切れない。

 ここで敢えて言っておけば、ブラバッキーと、ベサント=リードビーター、クリシュナムルティは、三層のものとして、明確にとらえなおされる必要があるだろう。「神智学」と「星の教団」も、より明確に峻別されるべきだ。神智学は、神知学、心智学、接神学、接心学、あるいは霊智学などなど、さまざまな邦訳がされており、それぞれが勝手に理解しつづけてきたという側面がある。

 皮肉っぽく言えば、クリシュナムルティは「苦労知らずの三代目」だ。初代が山師的な働きをして身上を築きあげ、その苦労を知っている二代目が真面目に発展させた事業を、三代目は、あっさりと捨ててしまって、僕は「一人になりたい」などとぬかしやがる。まるで、「<売り家>と唐様で書く三代目」丸出しではないか。

 ああ、まずいまずい、こういう話に展開していくのが怖いから、あの本については当ブログ<1.0>に避難的に書いておいたのだった。確かに気にはなる。そして面白い。一度はゆっくりそのあたりもとらえておきたい。

 しかし、当ブログの現在の流れはそちらに流れていない。あるいは流してはいけない、と感じる。ここはちょっと踏ん張って、クリシュナムルティのピュアなコンシャスネスのシャワーを浴びる必要があるのだ。

 つまり、「BIHL3」においてはこの本が中心テーマのひとつになるのだが、読み方は、キューリアスな読み方ではなく、もっとおちついたものであるべきだろう。そういうことを、現在の段階では感じている。と、そういうことをメモしておけば、今日の、この書き込みの目的は達せられたことになる。

<3>につづく

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