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2010/06/28

ギータ・ゴーヴィンダ<2>

<1>よりつづく

ヒンドゥー教の聖典二篇
「ギータ・ゴーヴィンダ」 ヒンドゥー教の聖典二篇 <2>
ジャヤデーヴァ  小倉泰 /横地優子 2000/09 平凡社 文庫 280p
☆☆☆★★

 「エスリンとアメリカの覚醒」p297を読み進めていて、エサレン研究所の創立者の一人、リチャード・プライスが、70年代中盤にアメリカからインドのOshoアシュラムに手紙を送り、サニヤス名として受け取った名前がスワミ・ギート・ゴヴィンドであることが分かった。写真、向かって左の人物。同書口絵より引用。Photo  時おりしも、当ブログはBIHL2を再読しようとしていた矢先であり、何かピンと来たものがある。インドの言葉は、語尾がOであれば男性形、Aであれば女性形と一般に言われているが(追記 これはどうやら勘違いらしい。書込参照 6/28)、ここで言うところの「ギータ・ゴーヴィンダ」と「ギート・ゴヴィンド」は、言葉としては同じ意味を持つであろう。

 ギータは歌、ゴーヴィンダは神、ギータ・ゴーヴィンダで、神の歌を表す。アメリカ西海岸から手紙でサニヤス名の申込みがあった時、Oshoはどこまでこのエサレンの創立者のエネルギーを感じたかは計りかねるが、この男性に対して、このスワミ・ギート・ゴヴィンドという名前をつける時、当然のごとく、この書の名前である「ギータ・ゴーヴィンダ」のニュアンスを含んでいただろう。

 誰でも、プライスがそうだったように、アラン・ワッツ、ヒリッツ・パールズ、アイダ・ロルフの弟子になることができ、その他何百の教えを奉ずることもできるのだが、オレンジ色の衣裳を着て自分をギート・ゴヴィンドだと名乗るならば、それは自分の第一の師匠はバグワン・シュリー・ラジニーシだと宣言したことになるのだ。「エスリンとアメリカの覚醒」p297

 そのサニヤス名をつける側からすれば、仮に経典の意味合いを持っていなかったとしても、付けられた側から見れば、当然、その目新しい名前の周辺をいろいろ尋ね歩くのであり、経典名についても、大いに瞑想することはありうるだろう。当時のサニヤシン名は、まるで、禅における公案のようなものだった。

 ギータ・ゴヴィンダ」---神の歌だ。この本は、インド人にひどく非難されているある詩人によって書かれた。というのはその「ギータ・ゴヴィンダ」、その神の歌の中で、彼はあまりにも多く愛について語っているからだ。インド人は愛に反対するあまり、この偉大な作品を一度も評価したことがない。

 「ギータ・ゴヴィンダ」は歌われるべきものだ。それについては何も語ることができない。それはバウルの歌、狂人の歌だ。それを歌い踊れば、それが何かが分かる。他に方法はない。Osho「私が愛した本」p35

 プライスは、両親や家族との確執から精神病院に入院させられた経歴があり、そこでさまざまな薬剤を投与されたというトラウマがあった。また、必ずしもセラピストとしてリードしていたのではなく、セラピーセンターとしてのエサレンの維持管理に力をそそぐ傾向があった。

 1978年になって、インドに行ったプライスの行動から、アメリカ「タイムス」はプーナとエサレンの協同が進行中だという推測記事を書いたのに対し、プライスはその印象を訂正するように申し入れた。

 そこはエスリンの影響を受けているというよりは、ナチスの親衛隊に近い。ラジニーシが雄弁に語る共感が、彼のグループに反映されない限り、私は「ギート・ゴヴィンド」と呼ばれるよりも「リチャード・プライス」と呼ばれたい。「エスリンとアメリカの覚醒」p299

 クリシュナムルティがマイトレーヤのエネルギーを拒否し、ウスペンスキーがグルジェフのワークを離れたように、プライスもOshoの弟子であることを了解できなかった。それはそれで、そのことだけでその存在、その人格が必要以上によくもわるくも評価される必要はない。

 だが、ここで、プライスが拒否した理由は、翻訳家Yあたりが鬼の首を取ったかのように何度もいうような、「セラピスト」としての理由からだけではなかっただろう、と私は推測する。それは単に理由づけに過ぎない。プライスは必ずしもセラピストというよりも、センター・マネージャー的な傾向があった。

 下位身体を越え、表現形態を越え、コンシャスネスそのものにおいて、何事が起きているのかは、余人の関わざる領域であるし、語るべからずの世界でもあるので、これ以上、個人としての生き方に言及すべきではない。リチャード・プライスは1985年11月下旬に、ハイキングに出かけた渓谷のほとりで、落石事故とされている原因で亡くなった。

 さて、本題に入るとしよう。どうも忘れがちになるこの「ギータ・ゴーヴィンダ」だが、このようなエピソードと関連しておくと、記憶に残ってくれるかも知れない。
Gitagovinda002

 「空は雲の覆われ、森はタマーラ樹で暗い。ほら、あの者は夜に怯えている。ラーダーや。お前が家に連れて帰っておやり。」 ナンダにこう促されたラーダとマーデヴァは、途中で茂みのなかの木に向かった。ヤムナー河のほとりの、ふたりのひそかなる戯れに栄えあれ。p9

<3>につづく

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コメント

なるほど・・・・

投稿: Bhavesh | 2010/06/28 23:59

ヒンディー語では語尾がaとなるのが男性、iとなるのが女性なんで、少々違います。
サンスクリット語とヒンディー語の違いとして、前者が原則的に名詞を子音で終えるのに対して、後者は母音で終えるのが通例なので、
GEET GOVIND (神聖な歌)サンスクリット語
GITA GOVINDA (神聖な歌)ヒンディー語
となります。

投稿: KOMORI | 2010/06/28 22:51

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