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2010/06/09

奇跡の探求(2)七身体の神秘<7>

<6>からつづく 

奇跡の探求(2)
「奇跡の探求(2)」 <7> 七身体の神秘
OSHO/OSHOサクシン瞑想センター 1998/03 市民出版社単行本 483p
☆☆☆☆☆

  この本は、一つのテーマで語られたひと区切りの講話録ではなく、1970年当時の講話を編集したものだから、さまざまなスペクトルの話が入っている。しかし、当時のOshoのベクトルが実によくわかるようにできている。部分的に抜き書きをせず、必要なら、全体を再読するのが一番いいのだけけれど、当ブログの進行上、関連のありそうなところだけ、すこし転記しておく。

 だから、世界は無秩序でも、乱れてもいない。そこには無限の計らいがある---秩序の中の秩序が存在している。ありとあらゆる類の努力が、何度となくなされている。クリシュナムルティの場合のように、時には計画がうまくいかないこともある。杭につなぎとめるための、彼への力の注がれような並大抵のものではなかったが、失敗に終わった。

 彼の第4身体の杭を守るため探求者の全スクールが計り知れない努力をしたが、すべての努力は失敗に帰した。他の人もこの努力に手を貸した。その背後には、高次の魂の手もあった---つまり、第6、第5の次元にいる人、そして第4の次元の目覚めたる人の手だ。それには、何千という人々が参加していた。

 クリシュナムルティは、ティルタンカーラになる兆候を示した、他の数名の子供とともに選ばれた。しかし、機会は実を結ぶことなく流れてしまった。杭は固定できず、世界はクリシュナムルティから受けられたであろう、ティルタンカーラの恩恵を失った。しかしそれはまた別の話しだが・・・・・。p373「クンダリーニ--超越の法則」

 ここにおける何次の次元とは、物理学でいうところの4次元などの話ではなく、7つのチャクラに対応した、7つの身体の次元の話である。

 グルジェフの生涯には、そういう実例がたくさんある。人々は、彼を一風変わった人間だと思っていた。ふたりの人間が彼の前に座っていたとすると、彼は最大限の怒りを持ってひとりの方を、最大限の愛を持って、もうひとりの方を向く。彼はあまりにもめまぐるしく、その雰囲気を変えるので、二人は彼について異なる話を伝えた。

 一緒に彼と会ったにも関わらず、ひとりは「彼は危険な男のようだ」と言い、ひとりは「何と愛に満ちた人なんだ」と言ったものだ。これは第5の次元ではとても簡単なことだ。グルジェフは、彼のまわりの人々の理解を超えていた。彼は即座に、あらゆる種類の表情を表現できた。彼にとって、このくらいのことはまったく難しくはなかったが、他の人々には難しかった。

 その背後には、第5の次元における人は自分自身の主になる、というからくりがあったからだ。あなたは、自分の好きな感情を引き起こせる。怒り、愛、憎しみ、寛大さといったあらゆる思考は、単なるおもちゃになる。あなたはリラックスできる。遊びの後にほっと一息するのは簡単だが、生そのものから気を抜くのは難しい。p407「タントラの技法的側面」

 この時代から、Oshoのこの二人の覚醒者にたいする姿勢は一貫している。この時代のOshoは、プネ1やアメリカ、プネ2時代になると積極的には触れようとしなかった秘教的な話を、集中して話しているようにも思える。しかも、それらは英語ではなく、ヒンディー語で語られていることも多いようなので、一読書人としての当ブログには、その全体像は見えていない。

 しかしながら、今まで漠然と読んできたこの時代の一連のOsho講話を、一度、場所と時期を特定して並べてみる価値はありそうだ。そして、もし、その中に時間や内容の上からのミッシング・リンクがあるとするならば、そこには、Oshoが語っていたのに、まだ、知らされていなかった智慧が隠されている可能性も大きい。

 ニティヤナンダの第2、第3の、第4身体を切り離し、マイトレーヤのそれと置き換える努力がなされたが、ニティヤナンダは死んだ。次に、クリシュナムルティに対して同じ実験が行わたが、これもまた成功しなかった。その後もそれは、数人に試みられた---ジョージ・アルンダルも、この秘密を知る者によって、実験台とされた人々のうちのひとりだ。

 この秘密を知る者たちのうち、マダム・ブラヴァッキーは、神秘学の知識について、今世紀でもっとも造詣の深い女性だった。アニー・ベサントもしかり。リードピーターもまた、神秘的な事柄について、様々な理解があった。こうした理解を持つ人は、非常に少ない。p474「クンダリーニと霊性の深淵なる神秘」

 ニティヤナンダをクリシュナムルティの「兄」とし、1970年のOshoが1891年に亡くなったブラヴァッキーを「今世紀」の人として語るあたり、その矛盾が気になる。これは言葉化され、翻訳を繰り返される中で、誤訳されてきたのか。あるいは、Oshoが言っていることのほうが真実なのか。ゆっくり確認していく必要はある。しかし、当然のことながら、重要なポイントは、もっと別な角度から見られる必要がある。

 クリシュナムルティは、自分の第2、第3、第4身体を手放し、仏陀に三つの身体に代えることを拒否した。これは私たちの時代の神秘学にとって、大きな打撃だった。かくも遠大な広がりをもつ複雑な実験は、チベットをのぞく世界のどこにおいても、行われたことがなかった。この一連の過程は、チベットで長いこと行われてきており、他の体を媒体として、多くの魂が働いている。p476「クンダリーニと霊性の深淵なる神秘」

 ブッタがマイトレーヤーとして再臨するため、第5、第6、第7の身体を未だ保持しているとするなら、そこから五六七と書いて「みろく」と読ませているのだとすれば、なるほどと思わずにはいられない。

つづく・・・

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