ミラレパの十万歌<3>
「ミラレパの十万歌」 チベット密教の至宝 <3>
ミラレパ おおえまさのり 1983/04 いちえんそう めるくまーる社 特装本 975p
☆☆☆☆☆
チベット密教の至宝。BIHL1の尻がりを務めるのがこの本。一気に再読しようと思ったが、やっぱり無理だった。休み休み、小分けにしながら読み進めている。サラハ---ティロパ---ナロパ---マルパ---ミラレパ、というインドからチベット・タントラの系譜の中で、ミラレパの系譜はここで途切れたかのように、Osho講話の中ではあまり語られない。
それはチベットにおいて、政教一体となったチベット密教があまりに組織化し、システマティックになってしまったことへの違和感であろうか。あくまで個人へ焦点を集めようとするOshoのレクチャーの題材としては、適さなくなっていったからでもあろう。
当ブログも、読書ブログとしては、すでに公立図書館の一般開架図書として読めるようなチベット本にはたいがい目を通した。ごく最近の新刊本や希少本、あるいは奥伝などの、一般には入手不可能な本までは、おっかけ切れない。それでも、読書としてのチベットは、一応、ひととおり終わってしまっている、と言っていい。
すでに、チベット本については、ターゲットを3つに絞って、再開のタイミングを待っているところだが、あの3つに加えて、当ブログの不確定要素である「アガルタ探検隊」的視点からのチベットも今だに魅力満載である。
ミラレパについては、「チベットの偉大なヨギー ミラレパ」の普及版の発行はされているものの、こちらの「ミラレパの十万歌」のほうの普及版邦訳はまだなさそうだ。もともと蔵書として持っていたから読めるものの、一般にはなかなか読書は難しい一冊となる。ただ、この二冊はセットとして読まれてこそ意義が深まると思うのだが。
BIHL1における「預言者」たちの前半が、ツァラトゥストラや、ゾシマ長老、大審問官、ミルダッド、ジョナサン、という、文学上のフィクションとして語られているのに対し、ミラレパは実在の存在である。歴史や伝統の中で虚飾を重ねられてきたことは推測できるにしても、老荘、キリスト、クリシュナに比べたら、はるかに近世に近い時代の存在だし、残された「預言」の数々も意義深く、数多い。
それからミラレパはレーチェンに言った。
「おまえは弟子に教えるのが上手だ。この娘の面倒を見なさい」
レーチェンマはレーチェンに手渡され、かれは彼女をしばらくの間、修行の同伴者とした。その後、レーチェンマは北のナムツォチュクモのセモドで瞑想するために出かけ、そこで八年の間、完全な沈黙を守った。ついに彼女は十の経験と八つの功徳を得、すべての精神的浄化の道の現成を完成した。そしてこの生涯において、ダーキニーの浄土に行ったのである。
これはミラレパがジョロ・ディツァムの小五湖で、かれの<最も優れた>四人の女弟子の一人、レーチェンマに会う物語である。p388
「かもめのジョナサン」の解説で五木寛之が女性の存在が感じられないという危惧を表明し、ヘッセの「シッダルダ」の二部では「同伴者」カマラーが途上することを思い出す時、中世チベットのヨーギ達のタントラ修行とはいかなるものであったのかと、想いははるかヒマラヤ奥地へと飛翔する。
つづく・・・・・
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コメント
この本が、人気記事ベストランキングに顔を見せることが 、あるようで、なかなかない。チベット・タントラについては、異国情緒で持って欧米で話題を呼ぶことがあっても、日本的風土では、表街道に出てくることはあるまい。
投稿: Bhavesh | 2018/08/12 23:39