奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 <3>
「奇蹟を求めて」グルジェフの神秘宇宙論<3>
P.D.ウスペンスキー (著), 浅井 雅志 (翻訳) 平河出版社 単行本: 606p
☆☆☆★★
Oshoの中から一冊だけ抜き出すとしたら、「意識をめぐる読書ブログ」としての当ブログは、「Books I Have Loved」を選び出す。ここにはひとつの宇宙観があり、Oshoの全体像がある。補助するものとしては、歯科椅子シリーズとして、前後に語られた「Note of a Madman」と「Glimpses of a Golden Childhood」を読めば万全だろう。これで、全体像を見渡せる中心点にいることになる。
しかし、もちろん隅々まで目を凝らす、というところまでははるかに及ばない。そのためには、もうすこし細かく気を配ってみる必要がでてくる。この「Books I Have Loved」が1980年頃に語られたものだとするなら、前後する時代の二冊、つまり1970年頃の「In Search of the Miraculous」と、1990年を直前にして語られた晩年の「Zen Manifest」でバランスをとる、ということが可能だろう。
だが、「In Search of the Miraculous」だけ、とか、「Zen Manifest」だけ、とか、となると、またまた、なんだかバランスが悪いようだ。読むなら、この二つはセットで読まれるべきであろう。そしてセンターを失ったら、また「Books I Have Loved」にもどればいい。・・・・と、少なくとも当ブログはそのように読もうとしている。
さてこちらのウスペンスキーの「In Search of the Miraculous 」だが、当然のごとく当ブログとしてはOshoの「In Search of the Miraculous」との関連の中で読もうとしている。特にVol.2にでてくるOshoの「7つの身体論」とからみ合せながら読み進めることが必要だ。
さらに、現在ウスペンスキーを読み進めながら、いわゆるセオソフィー(神智学)との関連もすこしづつ解き明かしていかなければならない。そのためには避け続けてきたセオソフィー関連の本にも触れていかなければならないし、今まで読んできた本のなかに、その形跡があるかないかについても、注意深くなりながら再読していく必要がある。
(ウスペンスキーは)1913年、旅の印象を寄稿するという約束で働いていた新聞社から資金援助を受け、東方旅行へ発つ。途中ロンドンで、同じく神智学協会の会員で、後でやはりグルジェフの高弟となるA・R・オレージに会う。その後、パリ、ジェノバ、カイロ、セイロンを経てインドへ渡り、マドラス近郊の神智学協会本部の所在地アディヤールに6週間滞在するが、この滞在からはあまり大きな収穫はなかったようである。p595訳者「あとがき」
神智学会員だからと言って、なにか特殊なレッテルを張って、峻別する必要もなかろうが、当時の精神世界の流行もあっただろうし、すくなくとも、世相にも敏感で、一流のインテリでもあったウスペンスキーは高くアンテナを張り、そこに神智学的情報や知識が反応していたことは間違いない。
前後すること、1911年には神智学協会の会長であったアニー・ベザントは、クリシュナムルティを長とする「星の教団」を設立していた。だから、もし、ここでウスペンスキーがより神智学的立場をとるとするならば、クリシュナムルティの流れの中に入っていっても不思議はなかったのである。
しかるに、ウスペンスキーは、数年内に発表されていたクリシュナムルティの「At the Feet of the Master」 があることを知らなかったのか、あるいは知っていて、それを受け入れなかったのか、その流れの中には入っていかない。すくなくとも、インドから、空っぽの手で帰っていく。
このような文脈で読んでいくと、ウスペンスキーは神智学の中に求めて得られなかった「奇蹟」を、グルジェフの中に求めようとした、ということになる。ウスペンスキーは当時の一流のインテリだから、彼流の理解の仕方と、彼流の「予感」があったはずである。そして、彼流の理解の仕方で「神智学」を見て、そして、「グルジェフ」を見た。
このウスペンスキーの「奇蹟を求めて」がなかったら、永遠に失われてしまったグルジェフの「システム」があったに違いない。その体系、そのアルファベット、その存在。ひょっとすると、ウスペンスキーがいなかったら、私たちがグルジェフの名前を聞くことさえなかったのかもしれない。
しかし、この本を読む進める限りにおいては、決してグルジェフの世界は分かりやすいものではない。むしろ混乱のきわみであり、乱調につぐ乱調で、理屈と膏薬はどこにでも着く、というような「超」がつくような論理体系である。これを一読して理解しろ、と言われても無理で、理解したからと言って、私たち現代人が自分に役立てることができるのかどうかは、さだかではない。
なぜそういうことが起きていたか、と言えば、いくつかの理由があるだろうが、一番は、グルジェフの世界とウスペンスキーの表現にギャップがあるからだ。つまり、球体の地球を、平面の世界地図に書こうとしているとこに無理があるの、とやや似ている。ミニチュアの地球儀を作るならまだしも、赤道と極付近の表現にかなりの差がでてしまう世界地図では、似て非なるものがある。
そう感じるのはこちらの書とともにグルジェフの「ベルゼバブの孫への話」を併読していて、むしろ「ろくでなし」グルジェフのまったくのスッ飛び話のほうが好感が持てるからだ。むしろ、最初から「物語」ですよ、と言われれば、こちらの想像力が刺激され、ストーリーを取捨択一しながら、自らのものとして再構成するチャンスを与えられているからかもしれない。
そういった意味において、小説という表現形態のほうが、より真実を伝えるに適しているかもしれない、と考え始めた。もともと小説嫌いを標榜している当ブログではあるが、Oshoのリストにそって読書を進めると、どうしてもドストエフスキーやトルストイ、あるいはナイーミやらニーチェやらと、小説の大作に取り組まざるを得なくなる。
OshoがBIHLの初日において、小説や経典類を挙げながら、Zenやクリシュナムルティやグルジェフを取り上げなかったのは興味深い。理論や首尾一貫した偏った理性に、一定程度の歯止めをかけているかのようにさえ見える。
ウスペンスキーのこの「奇蹟を求めて」も、なにかの理論書のように読まれるべきではないだろう。ここからなにごとかの想像力がかきたてられ、自らのなかにあるなにかと共鳴することによって、生みだされてくる何か、それを注意深く見詰めていることのほうが大事だ。
3とか7とかにまつわる話は面白く、我が意を得たりと共鳴する部分も多くある。しかし、たとえばエニヤグラムから、9つの性格判断をひねり出したりするのも、すこし軽率な感じがする。これだけOshoはグルジェフのことを高く評価しているのだから、その取り組みのなかで、もうすこしゆとりを持って、そのワークを理解したい。
すくなくとも、このウスペンスキーを理解するには、神智学とクロスしてくるし、そうなると、クリシュナムルティどころか、いよいよ、あのロシア出身の19世紀に活躍したご婦人のことも眼中に入れていかなくてはならない。そして、いよいよ、それにバランスさせて、ZENは不可欠になるのである。
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