イーシャ・ウパニシャッド<3>
「ウパニシャッド」 <3>
佐保田 鶴治 1979/01 平河出版社 単行本: 385p
★★★★☆
「イーシャ・ウパニシャッド」
「BIHL2」の8番目。ハガキの片面に書き込めるほどの、一番小さなウパニシャッド、108あるウパニシャッドの中にあって、最大の世界を持つ、最小のウパニシャッドと言われる、インド哲学の原点。ハガキの片面には書き込めないと思うけど、レター1枚のスペースがあれば、十分書き込める。
Osho講話「イーシャ・ウパニシャッド」に引用されている訳文と、こちらの佐保田訳には、当然のごとく違いがあるが、短いので、ひとつひとつ比較検討することは可能であろう。佐保田訳は18編の詩句から成っており、Osho引用のものは20編となっている。しかし、それも最初と最後のカバーがついて、18編+2編だから、同じものを指していっていることは間違いない。
さて、このカバーが曲者で、むしろ佐保田訳でなぜか省略されている二枚のカバーこそがもっとも重要と言えるかもしれない。Osho講話「イーシャ・ウパニシャッド」は別途読み進めるとして、「BIHL2」の一角にしっかりとその存在位置をしめているこの小さなウパニシャッドの佐保田訳を転記しておく。
イーシャ・ウパニシャッド(一名イーシャーヴァーシャ・ウパニシャッド)
主への献身
<1>およそ地上に動めく万づの有生は生の宿りたもう所となるべし。一たびはこれを(有生)を遠離し、そしてこれを享受せよ。ゆめ他人の財を貪るなかれ。
祭祀
<2>この世にありては、業(祭祀)をなしつつ、百年の寿を願うべし。かくの如く、汝にあっては他の道なきなり。業はかかる器量人には染着せず。
自我の観照
<3>ここにそこばくの世界ありて、無日(アスーリア)と名づけられ、盲闇もて覆われてあり。すべて自我を殺せる輩はこれら盲闇の世界に赴く。
<4>この独一なるものは不動なり。されど、意よりも迅くして、前に走れば神々もこれに及ぶ能わず。自らは停りつつ、しかも他の馳せゆくものを追い過ぐ。これの中にマータリシヴァンは諸活機を置く。
<5>こは動き、しかも動かず。こは遠くに在り、しかも近くに在り。こは万有の内に在り、しかも万有の外にあり。
<6>人もし自我において万有を観じ、万有の上に自我を観せば、それより後は世に畏るるものなからん。
<7>智者にあって万物その自我に帰せし時、かかる万物一体の理を観ぜし人に如何なる迷かあらむ? 如何なる憂かあらむ?
<8>彼は純白、無体、無疵、無筋、清浄にして罪垢に汚されざるものに到達せり。彼は賢者なり、智者なり、主宰者なり、自在者なり。彼は永恒の歳時のために適宜に庶物を配置せり。
中庸の道
<9>無明(無知)を崇信する輩はもとより盲闇に沈むも、明(知)を欣(よろこ)ぶ輩はさらに深き盲闇に沈むと見ゆ。
<10>明とも異なり、無明とも異なるものといえり。かく賢者達がわれらに説きわけしをわれらは聞けり。
<11>明と無明とを併せて同時に知る者は、無明を以て死を越え、明を以て不死に達す。
<12>無生を崇信する輩はもとより盲闇に沈むも、生を欣(よろこ)ぶ輩はさらに深き盲闇に沈むと見ゆ。
<13>生とも異なり、無生とも異なるものといえり。かく賢者達がわれらに説きわけしをわれらは聞けり。
<14>生と滅とを併せて同時に知る者は、滅を以て死を越え、生を以て不死に達す。
臨終祈念
<15>黄金の鉢(太陽)もて真有(サティア・梵)の面は掩われたり。そを闘(ひら)け、プーシャン神(道祖神)よ。有真を奉ずるわがそを見んがため。
<16>プーシャン神よ、独一仙よ、ヤーマ(夜摩)神よ、日神よ、生主神の後胤よ、汝の光明を撒布したまえ。光炎を収めよ。汝のいとも美わしき形色を我は今ぞ見る。彼方なる神人(プルシア)は即ち我にぞありける。
<17>風(気息)は不死の風に帰し、肉体は終に灰となる。
唵(オーム)! 意志(クラトウ)よ、憶念せよ。所為を憶念せよ。
意志よ、憶念せよ。所為を憶念せよ。
<18>火神よ、坦路によりて、われらを福祉へ導きたまえ。
汝はよろずの道を知りたもう神。
歪(ま)がれる罪をわれらより攘(はら)いたまえ。
われらは汝に至高の賛辞を呈せん。 p211
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