クリシュナムルティの世界<3>
<2>よりつづく
「クリシュナムルティの世界」<3>
大野純一 1997/08 コスモス・ライブラリ-/星雲社 単行本 434p
★★★★★
この本、面白いのだが、<2.0>において、なかなか書くチャンスが訪れない。なかなか他の本の隙間をみつけられないまま数日が過ぎた。なぜなのだろう、と考えた。結局分かったこと。この本は<2.0>向きではない、ということだ。クリシュナムルティは<2.0>向きだ。だが、この本の性格が、どうも<2.0>向きではない。
本来、好奇心の強い当ブログの鼻先をくすぐる。スキャンダルに満ちている。おいおい、どこまでいくか、という昼間のワイドショーか、タブロイド版の三面記事的な面白さがある。これはつっこみどころ満載だ。
たとえば、神智学は、ブラヴァッキーと、ベサント=リードビーターと、クリシュナムルティと、三代に分けて考えるべきだ。クリシュナムルティは、三代目だ。「売り家と唐様で書く三代目」だ。
せっかく、初代が山師的な働きをして財をなし、二代目が真面目に受け継いだのに、三代目はその財を投げ捨てて、ひとりになりたい、とか、抜かしてやがる、とか・・・・・・。
鈴木大拙は、神智学の日本の責任者であった時期があったが、「星の教団」とは一線を引いていた。「星の教団」の唯一の日本の会員は今武平で、彼が翻訳したクリシュナムルティの「大使のみ足のもとに」は、「阿羅漢道」として出版されて、その出版をしたのが、息子の今東光であったとか、とか・・・・。
出口王仁三郎がみろく大祭を開いたのが1928年で、クリシュナムルティが「星の教団」を解散したのが1929年で、今東光が天台宗に出家したのが1930年だとか・・・・。他人にはなんのつながりもないことなのに、当ブログにとっては、すわ大事件!
って、これって、本当は<2.0>でやるべきことではない。これって、かなりコンテナ論だ。コンテンツ、コンシャスネスから、離れている。こういう話題は<1.0>のこちらに集積しておくのがいいのでないか、と思って、避難的にこちらにメモすることに。
そして、考えた。つまり、意識における、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの3つのステージがあるとするならば、今後、当ブログにおいては、より純化した形で、コンシャスネスのコンシャスネス(ってのも変だが)に特化した<3.0>が必要になるのではないか、ということ。
1があって、2があって、3で完結。つまり、楽天ブログ、ニフティブログに継ぐ、第三のブログ作成の準備にとりかかる時ではないか、ということ。まぁ、そういう直感があったということだけ、ここにメモしておく。
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コメント
愛と平和さん
「阿羅漢道」は、あくまでも今武平の邦訳なので、必ずしも多くの神智学的なコンセンサスを得たものではないでしょう。だが、当時、ほとんど日本においてひとりで活動していた武平が、このように訳したのは、的を得ていた感じがします。
当時の「阿羅漢道」の文章の一部は、この本に数ページに渡って転記されています。(2010.06.02 19:55:20)
投稿: Bhavesh | 2010/06/13 21:41
"クリシュナムルティの「大使のみ足のもとに」は、「阿羅漢道」として出版"・・・「大使のみ足のもとに」の教えは菩薩となる直前の阿羅漢道の教えだったのですね~。教えてくださってありがとうございます。とても腑に落ちました。法華経は菩薩への実践書のように思います。
実践の結果におきてくる様ざまな神秘的出来事はとてもリアルに体験できるようで、この宇宙での一連の尊い繋がりに気付きが生まれるようです。このブログを読ませていただき、ほんとうに感謝いたします。ありがとうございます。(2010.06.02 11:25:25)
投稿: 愛と平和 | 2010/06/13 21:40