« スーフィーの<聖典>の物語 書物の王国(15)奇跡 <2> | トップページ | ギータ・ゴーヴィンダ<2> »

2010/06/27

エスリンとアメリカの覚醒 人間の可能性への挑戦<7>

<6>よりつづく

Photo
「エスリンとアメリカの覚醒」―人間の可能性への挑戦<7>
ウォルター・トルーエット アンダーソン (著), Walter Truett Anderson (原著), 伊藤 博 (翻訳)1998/09 誠信書房 単行本: 336p
☆☆☆☆

 コメントの書き込みで、ひさしぶりにこの本を思い出した。とにかく、もういちど、最初から最後まで、目を通してみた。

1)<1>において継続してこの本を読もうと思っていたのにもかかわらず、この本を読めなくなったのは、「ブッダ達の心理学」という当ブログのカテゴリが、どこかでその抜け道を失ってしまったところに遠因がある。

2)「ブッタ『達』」とするところと、「心理学」とするところに、なにごとかの破綻が起きている。

3)この本を通して読んでみれば、さまざまな出演者がありながら、その一本、柱の通った主人公を探すとすると、それはアラン・ワッツが担ってくれる可能性がある。思えばOsho「私が愛した本」も最終的にはアラン・ワッツに捧げられている。

4)エサレン創立者のひとり、リチャード・プライスは、のちにメイルでOshoのサニヤシンとなり、スワミ・ギート・ゴヴィンドとなったが、1977年にプーナまで行って、そのカウンター・グループの在り方から、Osho全体に批判的になったとされるが、はて、そのような理解を真に受けていいのか。

5)エサレンは1960年初半にスタートしながら、1970年頃にはほぼそのエネルギーが停滞した。1973年にアラン・ワッツが亡くなることによって、ほとんど方向性を失っていた。

6)332ページに渡る本書において、ようやくOshoが登場するのはp296になってからである。しかるに、リチャード・プライスがプーナにいく1977年までには、エサレン経由のセラピスト達は、ほとんどプーナに行ってしまっており、プライスは、かなりあとから「しかたなく」プーナ詣でをした、というイメージが否めない。

7)このプライスのプーナ印象を持って、過激にプーナ批判をする吉福某などの、一連の著述は、なんとも浮きあがった印象がますます強まる。カール・ロジャースの元におけるエンカウンター・グループの在り方だって、本書によってさえ、それは常に波乱含みであったことがわかる。

8)プライス自体が、過去に入院歴があり、そこで投薬された影響を気にしていたということであり、創立者としての立場はともかくとして、エサレンの、そこで進行していたなにごとかの中心的主役であった、という印象をもつことはできない。

9)アラン・ワッツは、イギリスにおいて神智学の影響を受けており、1929年のクリシュナムルティの「星の教団」解散宣言で、そのエネルギーの行き場を失っていた神智学が、伏流水のように、1960年になって、アメリカ西海岸のエサレンに噴出したようなイメージがある。

10)本書における著者アンダーソンは、「Gの残影」におけるオスロフのように、エサレンの60年代から70年代にかけての「視点人物」であったということは理解できるが、彼の視点からの見え方が全てである、と思ってはならない。

11)「人間の可能性」というのがキーワードになりそうだ。ウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」とか、オルダス・ハクスレーの「多次元に生きる--人間の可能性を求めて」などが呼応していると思われるが、この本のサブタイトルは「人間の可能性への挑戦」であった。

12)「ブッタ達の心理学」というカテゴリ名がなんとなくダウン気味な当ブログであってみれば、「心理学」という言葉自体が意味を失いがちであった。だが、もうすこし踏ん張って、いわゆるウスペンスキーのいうところの「心理学」でもいいから、とにかく路線を修復する必要性があるのではないか、と再認識した。

13)ひとつのINDEXとしてこの本を使うことができる。登場人物たちをもうすこし細かく追うことも可能であろう。

14)単独でこの本を読むのではなく、前後、左右の、関連を考えながら、他書の力を借りながら、この本を再読することなど、この本には、まだまだ可能性がある。

15)よくも悪くもサイケデリックスの渦中にあったエサレンであるが、スタニスラフ・グロフの経緯が象徴的に表現しているように、もしドラッグスから呼吸法(とくに過呼吸)にへと、その「変性意識」を求めていったとするなら、ダイナミック瞑想の呼吸から始まったOshoの瞑想法に、なにごとかの繋がりを感じることも可能である。

16)エサレン以前、アラン・ワッツの影響を受けた神智学の以前、つまり古代神智学からの繋がりとしてエサレンを見ることができるとするならば、それ以降の、そのエネルギーの行き場を追っかけてみる価値はある。

17)エサレンが力を失ってからすでに40年が経過している。

18)ダイナミック瞑想から、「ホワイト・ローブ・ブラザーフッド」へと連なっていったOshoムーブメントであってみれば、はて、エサレンには、この「ブラザーフッド」へと連なっていく道筋の可能性はあったのだろうか。

19)米国西海岸のかつてのアメリカ・インディアンの土地としての、コンテナとしての保養地エサレン。「ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント」というコンテンツの活動拠点として活動し続けたエサレン。しかし、そこで、本当に進行していたはずの「コンシャスネス」としてのエサエンの蠢きは、いかようにあったのであろうか。

20)「あの」エサレンから、2010年の今日まで、どのような繋がりが展開されているのか。あるいは、その軌跡から類推される「未来」は奈辺にあるか。

21)・・・・・・・・うんぬんかんぬん・・・・・

 そんなことを考えながら、この本を再読した。

|

« スーフィーの<聖典>の物語 書物の王国(15)奇跡 <2> | トップページ | ギータ・ゴーヴィンダ<2> »

41)No Earth No Humanity」カテゴリの記事

コメント

つながりというものは恣意的なものだから、そこに視点をおけば、ということになるだけで、視点が違えば、いろいろなつながりが発見できるでしょうね。
あくまで暫定的なもので、そこにほんとうのつながりが見えたら、むしろ、そういう関係性は忘れてしまったほうがいいかもしれない、と思っています。

投稿: Bhavesh | 2010/06/30 12:27

エスリンから当時のラジネーシのアシュラム
への連なりが興味深いですね
日本では、<沸き出ずるロータススートラ>が
リンクするのでしょうかね

投稿: ラオツ | 2010/06/30 12:05

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エスリンとアメリカの覚醒 人間の可能性への挑戦<7>:

« スーフィーの<聖典>の物語 書物の王国(15)奇跡 <2> | トップページ | ギータ・ゴーヴィンダ<2> »