バガヴァッド・ギーター<8>
<7>よりつづく
「バガヴァッド・ギーター」 <8>
鎧淳 2008/03 講談社 文庫 275p
☆☆☆☆★
BIHL1における8冊目。バガヴァッド・ギーターとの共振はすこしづづではあるが、次第に深まっていると言える。その全景、その背景、そのストーリー、登場人物たち、言葉、コンセプト、神、人、神話群。一気になじんで、その全体を理解するというわけにはいかない。それでも、何度か読み返していくと、すこしづつ、こちらの身体となじみ始め、共振し始めるのが分かる。
一体に、インドの物語を日本語で味わう、ということ自体、どこかお手軽すぎるのではないだろうか。日本語でインドの物語を、というと、どうしても、仏教的な背景や用語が、ごく当たり前のように連想され、あるいは登場してくる。これはこんなものだろう、というお手軽な理解が先行しているのではないか。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」 という、日本人にとってはごく当たり前の芭蕉の俳句だが、これを翻訳するとなると、ただごとではない。
The old mere! A frog jumping in The sound of water 正岡子規
An old pond A frog jumps in A splash of water. 新渡戸稲造
The old pond, ah! A frog jumps in: The water's sound. 鈴木大拙
Old pond Frogs jumped in Sound of water 小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)
The old pond, Aye! and the sound of a frog leaping into the water バジル=チェンバレン
The ancient pond A frog leaps in The sound of the water. ドナルド=キーン
The old pond. A frog jumps in Plop! レジナルド=ホーラス=ブライス 「ちょんまげ英語塾」からの引用
いずれが正しいということでもないだろうが、これらの英語に振り回される英語読者の気持ちも分からないではない。
インド人ならざる日本人が、インドの最大の古典バガヴァッド・ギーターの、その片鱗だけでも味わうことができることを喜ぶことができれば、それでいいのか・・・もしれない。ただ、やはり気になるのは、この鎧淳訳は、どうしても中国から輸入された仏教文化の概念を多く借りているような雰囲気のところである。
あのインドの大地にいて、あの灼熱の太陽のもとで、インドの言葉で、そしてインド人として、このバガヴァッド・ギーターを味わう、となれば、その翻訳に尽力された方々の御苦労には大いに感謝するとしても、まったく別な味わいになるのではないか、と、強い疑念を持つ。
「バガヴァッド・ギーター」のテキストにも多くのヴァージョンがある。どのテキストを選び出すか、というのも、一読書人としての、大いなる楽しみではあるが、その前に、もっともっと大事なことは、限りなくオープンな態度で、この大いなる叙事詩の前に立ってみることである。
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