ツァラトゥストラ〈下〉<8>
「ツァラトゥストラ〈下〉」 <8>
フリードリッヒ ニーチェ (著), 小山 修一 (翻訳) 2003/05 鳥影社 ロゴス企画部 単行本: 325p
★★★★★
気がついてみれば、この小説には殆ど人名や地名が出てこない。「まだら牛」という名の町、とか、セラ、ドゥドゥ、ズライカなどの娘の名前が断片的にほとんど調子を取るかのように出てくる以外、でてくるのはツァラトゥストラだけだ。このことが、この小説の雰囲気を難解にもし、やさしいものにもしている。
なにかのシンボルや登場人物に象徴されるものが強すぎると、例えば「カラマゾフの兄弟」のように、一人で二つも三つも名前を持ったりするものだが、「ツァラトゥストラ」においては、ほとんどがツァラトゥストラひとりのこころの動きとさえ思えるほど、実にシンプルだ。まさにオリジン。何ものの説明を必要としないような、実に完結した宇宙のただなかに誘導される。
---ちがうのだ! ちがうのだ! 何度言っても、ちがうのだ! わたしがこの山の中で待っているのは、おまえたちとは異なる者たちなのだ。その者たちとの絆を確かめることなしに、わたしは足をあげてここから踏み出していくつもりはない。
---もっと気高い者たち、もっと逞しい者たち、もっと勝利を確信した者たち、もっと快活な者たち、肉体も魂も健やかな者たち、すなわち、笑う獅子たちが来なくてはならぬのだ!p239
歩き方を見れば、その人物が自らの軌道を進んでいるかどうかがわかる。わたしの歩き方を見るがいい! 目標に近づいている者は、踊るのだ!p260、
まさにOsho講話「Zarathustra: The Laughing Prophet」や「Zarathustra : A God That Can Dance」に連なってくる部分だ。「ツァラトゥストラ」にはいくつもヴァージョンがあるが、この本はその中でも実にシンプルで、余計な脚注や解説がない。最小限のルビと必要な個所が太字になっている以外に、淡々とツァラトゥストラの述懐(あるいは咆哮)が続くので、小説のストーリーそのものに集中することができる。
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