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2010/06/17

イーシャ・ウパニシャッド 存在の鼓動<2>

<1>からつづく

イーシャ・ウパニシャッド
「イーシャ・ウパニシャッド」 存在の鼓動<2>
OSHO/スワミ・ボーディ・マニッシュ 1998/07 市民出版社 単行本 461p
Vol.3 No.0059☆☆☆☆

 マスターの講話録ではあるが、この本をいままであまり読んだことがない。もっと言えば、相性が良くないとさえ言える。何故なんだろう、と、あらためて考えてみる。一つには、邦訳が発行された年代。1998年7月と言えば、おおきな社会問題の方が先行しており、精神世界の本などを読んでいる余裕がなかったこと。

 二つ目には、この本の講話録がもともと70年前後のインドで行われた瞑想キャンプでの講話録が基本になっていること。1990年にOshoが肉体を離れた後は、最後のZENシリーズが自分の基本的な指向ベースになっており、インドのアチャリア時代の講話録が先行して翻訳されていくことに不満を持っていたこと。

 三つめには、自分自身は、愛と瞑想の道の二つの、どちらの道を選ぶのか、と言った場合、瞑想を選ぶ、というタイプの人間ではなかったこと。つまりは、瞑想という言葉を口に出してはみるものの、決して、瞑想がお得意の人間ではなかった。

 この三つの障害は、2010年の現在、少しづつではあるが、ゆるやかに解除されている。ひとつ目の時代的背景であるが、かのいまわしい事件から15年がたち、生々しい傷口はふさがることはないが、あれ以降、拡大傾向になく、絶体絶命なるデッドエンドに突っ込んでしまったわけではなかったこと。あの時代を見つめるのに10年以上かかったけど、振り返る余裕はできた、ということ。

 二つ目には、私自身が、もともと「瞑想」という単語には惹かれていたとは言うものの、Oshoのもとに辿り着いたのはカウンタカルチャーの正当な受け皿としてのその存在価値が大きく左右していた。だから、インドで光明をうけたOshoがジャイナな人々の支持をうけるアチャリアという存在であったことを、どうも受け入れがたかったこと。そして、それが私にも加齢現象があり、次第に視野は開かれ、インドにおける仏教ならぬ、ウパニシャッド哲学の価値観に強く惹かれ始まったこと。

 三つ目には、やはり、私自身においては、瞑想=ZEN、としてもらうことのほうが一番受け入れやすいのだが、それは、もともとが、今回の自分は日本に生れ、禅を理解するに近道な環境に生れてたからこそと言える。だから、実は、そこには、新たなる大きな落とし穴もあるということ。

 全体的であり、かつ中心にいることが、Oshoの基本であるとすれば、禅からZENへと移動することは、ある意味、安易なショートカットになるかもしれない、という危険性がある。最終地点はどこにあろうと、ここはスーフィだとか、ウパニシャッドとか、ハシディズムであるとか、グノーシスであるとか、さまざまな流れに身を浸しておくことも重要であろう。

 だから、決して得意ではないが、今「イーシャ・ウパ二シャッド」を読み始めるとしたら、それはそれで、ちょうどその時なのだろうと、ひとりで合点する。どの道をいこうと、全体的であり、完全なものであるとするならば、ウパニシャッドははずすことはできない。

 Oshoが採用しているテキストには、佐保田鶴治・訳の「イーシャ・ウパニシャッド」に出てこない二つの詩句がある。最後と最後だ。あとの18の詩句は、翻訳や解釈、表現の度合いの違いはあれど、同じ地平を指している。

 佐保田訳は、このまま読んでしまえば、それで素晴らしい世界観である。しかし、同じところをOsho採用のテキストと比較すると、また雰囲気が違ったものになる。二つ並べないと、気がつかないことがある。また、テキストを離れたところでの、Oshoの「存在の鼓動」が聞こえてくるところも、微妙な味わいとなる。

OM(オーム)

あれも全体 これも全体

全体より生ずるは 常に全体だからである

全体より全体を取り出すとも

見よ 残るは全体である

OM(オーム) 安らぎよ 安らぎよ 安らぎよ   p12

 これが、佐保田訳にはない前振りの部分。そして・・・

OM(オーム)

あれも完全 これも完全

完全なるものより生ずるは常に完全だからである

完全なるものより完全なるものを取り出すとも

見よ 残るは完全である

OM(オーム) 安らぎよ 安らぎよ 安らぎよ   p426

 と、同じ調子ではあるが、前振りでは「全体」であったものが、締めでは「完全」、あるいは「完全なるもの」となっている。もう、ここまで言われると、あとは手が出ない。ただただ、涙して、服するのみだ。

<3>につづく

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