列子<3>
「老子・列子」<3>中国の思想Ⅳ
奥平 卓 (翻訳), 大村 益夫 (翻訳) 1996/05 徳間書店 単行本: 280p
Vol.3 No.0034 ★★★★☆
「BIHL2」の3番は列子。
「列子」の中の孔子は、否定的に嘲笑されるか、また、孔子に名をかりて「列子」編纂者の道家的思想を述べるかのどちらかである。この話は後者の場合である。実在の孔子とは何の関係もない。P139
老子、荘子に比べれば、第3ジェネレーションの「列子」は、どこか世慣れている。老荘においては、どちらかというと分裂的関係にある孔子を、「列子」においては、うまく、まんまと自らの中に取り入れることができているようである。
それが便宜的なものであったとしても、「列子」の中で、孔子が老荘的な指向性をもつことは、なんとなく落ち着きがいい。
死んでもともと
魏に東門呉という男がいた。子供が死んだが、悲しまない。奥さんがたずねた。
「あなた、あんなに子ぼんのうだったのに、あの子が死んでも悲しくないの」
「なに、もとは子供がいなかった。その時も悲しくなかったよ。今子供が死んでも前に戻っただけさ。別に悲しいことなどない。」p238
それもどうだな。もともと子供もいなかったし、奥さんもいなかった。ましてや自分だっていなかったじゃないか。悲しいことなんかなにもない。
でも、本当に、そうかな・・・・。
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