多次元に生きる 人間の可能性を求めて
「多次元に生きる」 人間の可能性を求めて
オルダス・レナード・ハクスリー/片桐ユズル 2010/02 コスモス・ライブラリー/星雲社 単行本 192p
Vol.3 No.0050☆☆☆☆★
V氏のブログでこの本を知って図書館にリクエストしておいた。旧本ばかりめくっている当ブログであるが、珍しくこの本は新刊に属しているので、最寄りの図書館が購入してくれた。「多次元に生きる 人間の可能性を求めて」。どことなくウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」のタイトルを連想した。
この本を評価するのはむずかしい。コンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの三つのレベルで考えてみる。コンテナとしてのこの本は、いま、この時期に、ハクスリー? と、ちょっと不思議な気分にもなる。必ずしもこの本はオリジナルな旧本の翻訳ではなさそうだ。つまり、訳者である片桐ユズルによる編集あっての一冊、ということになる。
コンテンツとしては、だから、この本からハクスリーを読むというより、片桐ユズルを読む、という楽しみを見つけることができないと、本当の価値を見つけることができない。当ブログでいうなら、ライヒの「きけ小人物よ!」、「愛のヨガ」の翻訳者、Osho「狂人ノート」の腰巻カバーのコメント者、その他、20世紀後半のカウンターカルチャーの旗手のひとりとしての、片桐ユズルの最近の消息、と読むことの方が価値あるのではないか。
コンシャスネスとしては、サイケデリックの大家ハクスリーの再評価と、歴史的にその業績を振り返る意味は大きい。ハクスリーはクリシュナムルティーの実質的な処女作「自我の終焉」の巻頭言を書いている。エサレンの出発点においても大きな影響を与えている。これらの表象的ネーミングの多様さにまどわされず、一皮、二皮、剥いたところにある本質に目が届けば、20世紀を挟んだ、あしかけ3世紀の間に行われてきた、意識の一大統合と、一大集約の、ひとつの結論として読むことができる。
余談とはなるが、巻末のコスモス・ライブラリー社の刊行物「心理学・カウンセリング関連書」の広告は面白い。なるほど、これだけの関連の書がでているのだ、とあらためて食指が動いたのだった。いつか新たなるリストを探す時には、この「関連書」群に手を伸ばすのも面白そうだ。
| 固定リンク
「42)One Earth One Humanity」カテゴリの記事
- Books I Have Loved<78>(2010.06.20)
- ミラレパの十万歌<3>(2010.06.19)
- バガヴァッド・ギーター<8>(2010.06.18)
- ミルダッドの書―灯台にして港<3>(2010.06.18)
- 『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する<5>(2010.06.17)
コメント