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2010/06/04

巨人 出口王仁三郎

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「巨人 出口王仁三郎」
出口 京太郎 (著)1967/09 講談社 単行本 462p
Vol.3 No.0039☆☆☆☆☆(今回から白を得点とし、マイナスは黒とする。したがって、この評価は☆5となる。)

 先日からどうも気になっていたのは、クリシュナムルティと神智学、そして神智学と日本のつながり、とりわけ、今武平、今東光あたり。さらには彼らから王仁三郎へのつながりもあったはずだと、文献さがしをしていた。いままでは、そのような視点でみたこともなく、あえてつなげて考えたこともなかった。

 しかし、どうもこの数日気になってしかたない。Googleで見てみると今東光「毒舌日本史」講談社1972に「出口王仁三郎との交流を描いている」とある。しめた、と思いさっそく借り出してはみたが、どうも見つからない。いくどかパラパラめくったが、ない。さらにググってみると、かのWikipediaをコピーペーストしただけの頁がぞろぞろとでてきた。

 おいおい、お前ら、ほんとに確認して書いているのかよ、と、大学の教授ならずとも、最近の若い連中の風潮には疑問をもつ。どうも腑におちない。我家のなかでもあちこちに分散してしまっている関連の何冊かをめくってみた。だが見つからない。

 今東光の本は、それほど多く蔵書しておらずほんの数冊だ。全頁みてみたが、思っていた個所が見つからない。それではと、王仁三郎関連を広げ始めたが、こちらはいろいろ取りそろっているので、全部確認する、というわけにはいかない。

 いや、それほど奥まったところにあるわけではない。思い直したがなかなかでてこない。しかたがないので、後日を期待する、ということで、とりあえず、コーナーを作って、関連の本を集め始めた。最後の最後、この本に手がかかった。この本はたしか文庫本もあったはずだが、今朝のところはでてこない。

 ふと、ぱら、と指を突っ込んだところに、なんと、今東光の写真p281があったではないか。なんだ、ここだったか、と、ひと安心。そうそう、この記事だったよね。でも不思議なものだ、一発でこの頁がでてくるなんて、と、そのことにも驚いた。

 いや、なに、本当は、何回もこの頁を開いていて、指が入りやすくなっていたのと、しおりの紐が挟まっていたので、あたりまえのことだった(笑)。もう、何度も何度もこの頁を観ていたのだが、その都度すぐ忘れてしまうのだ。

 さて、この本を当ブログにメモしておくべきか否か。悩んで、結局やめることにした。今はその時ではない。いずれ機会をみつけよう。しまいかけて、一番最初の頁を開いたら、な~~んだ、巻頭言は今東光が書いていた。

 「出口王仁三郎さんのお使いですが、既成仏教などにいるのは駄目だからこちらへいらっしゃいというのだ。最高顧問として迎えたいと仰せになる。これは知己の言だと思う。どうですか」といって、お土産として現金で5万円さしだされたのには肝をつぶした。

 貧乏のどん底にいたぼくとしては、この際の5万円は50万円、百万円に値したが、さりとて、天台宗に帰属してまだ何年も経過していないぼくが、5万円でころりと参ったといわれるのは心外だし、天台教学についても知ることすくないぼくとしては、いまただちに天台宗を捨てて大本教に飛び込むことはとうていできなかったのだ。しかしながら大本教に対する魅力は大いにあったので、一度、本部を訪ねたいという気は山々あったが、おそらく本部に行ったら、ぼくは帰る気がしなくなるのではあるまいか、とも思われたのである。

 謂うところの縁がなかったのであろうか。残念ながら王仁三郎尊師にお目にかかる機会もなく、本部へ参拝する折りもないうちに、例の大本教弾圧の事件がおこった。ぼくは新聞で大本教の大手入れがあったことを知って、はっとした。こういう受難をあらかじめ察知していた王仁三郎さんは、こんなときにぼくが必要だったので招いてくれたのではなかったか。ぼくはこのときほど、権力に抵抗を感じたことはなかった。p5今東光「序にかえて --出口王仁三郎師の思い出--」

 当時2000円で家がりっぱに建つ時代だった(p283)ということだから、現在の私たちの感覚でいえば、5億円、ということになるだろうか。王仁三郎が東光にかけた期待、それを敢えて断った東光の気概。もし、ここに「縁」があったとしたら、どうなっていたのだろう。歴史にやり直しはできない、としても、胸躍るシーンではある。

 さて、東光が天台宗に出家したのは1930年10月1日。第二次大本弾圧事件勃発は1935年(昭和10年)12月8日だから、上のエピソードはこの間のこととなる。1932~4年あたりのことだろうか。当ブログの別なところでは、今東光、出家前に王仁三郎本人に会っているかのごとく書いたところもあったので、ここで訂正しておく。そのためにも、この書き込みは必要だった。

 さて、このようなゴシップではあるが、当ブログとしては、牽強付会といわれようと、なんとか、さして大きくない胃袋のなかに放りこんで消化していかなければならない。二・三、関連の書き込みが必要となるだろう。

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コメント

☆ラオツさん
ひっくり返せば、いろいろあるもんですね。

投稿: Bhavesh | 2010/06/04 14:48

おひさしぶりです
再開しておいでなんですね
今東光と王仁三郎にこんなエピソードが
あったんですね
学生のころ下宿に暴走族や応援団が
同じフロアにいて、東光原作、勝新主演の<悪名>
の河内音頭をがんがん鳴らしていて
すっかり<悪名>のファンになりましたが
スピリチュアルな道をはずれていた
わけではなかったのかも(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=yKTR57tL6Ec&feature=related

投稿: ラオツ | 2010/06/04 13:19

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