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2010/06/16

ツァラトゥストラ<9>

<8>からつづく

ツァラトゥストラ〈1〉 (中公クラシックス) ツァラトゥストラ〈2〉 (中公クラシックス)
「ツァラトゥストラ〈1〉」  2〉」 <9>
F.W. ニーチェ (著), Friedrich Wilhelm Nietzsche (原著), 手塚 富雄 (翻訳) 2002/04 中央公論新社 (中公クラシックス) 新書: 313p 407p
Vol.3 No.0056~57☆☆☆☆☆

 確かに1953年の竹山道雄訳よりははるかに読みやすいのだけれども、2002年の小山修一訳を読んでしまえば、この手塚訳でさえ、少なからず重苦しい。解説や脚注など、当ブログのような浅い読み方をよしとする読み手には不要な部分が多い。

 小山訳は、簡単なあとがきがあるだけで、あとは何もない。超人や、末人など、訳し方にそれぞれの個性が残るものの、本質的に違っているわけではない。読みやすさ、まるまんまツァラトゥストラを読む、という意味では、私なら、小山訳に軍配を上げる。小山訳なら、「かもめのジョナサン」や、ジブランの「預言者」のように、お気軽に、お手軽に読み通すことができる。

 しかし、それでいいのか。<1>巻の巻頭で、三浦憲一が「毒に感染しないで、毒を楽しむ」という文を40ページに渡って書いている。なるほど、そうとも言える。小山訳を読んでいる、ということは、ひょっとすると、毒なしのフグを食べている素人衆ということになりかねない。

 Oshoは、ニーチェの境遇に落ちたくなかったジブランは、ニーチェと同じことを書きたかったのだが、フィクション小説として「預言者」を書いた、としている。だから、カトリックのブラック・リストにも載らず、多くの読者を獲得し得た。しかし、それは、毒が排除されて、すっかり「安全」になってしまった「ツァラトゥストラ」だったのかも知れない。

 ここで、いくつもの「ツァラトゥストラ」を読み比べて比較検討する力はない。しかし、それぞれにその違いがある、ということだけは認識しておこう。虎穴に入らずんば虎児を得ず、の譬えもある。フグは悔いたし、命は惜しし、では、本当のニーチェを読んだことにはならないだろう。 

 10番目。カリール・ジブランによるもう一冊の本「狂人」だ。これを除外することはできない。もっとも、正直言うとそうしたかったのだが。これを除外したかったのは、私自身が彼が言っている狂人だからだ。だがこれを除外することはできない。カリール・ジブランは、その狂人の、まさに内奥の核について実に意味深く、真摯に語る。そしてこの狂人は、普通の狂人ではない。仏陀、臨済、カビールのような人だ。どうしてカリール・ジブランにこんなことができたのか、私はいつも不思議に思っている。彼自身は、その狂人ではなかった。彼自身は、光明を得た人ではなかった。彼はシリアに生まれたが、不幸にもアメリカで暮らした。

 だがそこには驚きに次ぐ驚き、解答のない疑問がある。どうやって彼はそれをしたのか? 多分、彼はそれを自分でしたのではない・・・・おそらく何かが、誰かが---スーフィーたちがヒジラと呼ぶ者が、神智学の徒がK・H、すなわちクート・フミと呼ぶ者が---彼に乗り移っていたに違いない。彼は乗り移られていた。だがいつでもではなかった。書いているとき以外は、彼はごく平凡な男だった。実際、いわゆる平凡な人よりももっと平凡だった。嫉妬や怒りや、あらゆる種類の激情でいっぱいだった。だがときたま彼は乗り移られる。上からの力に乗り移られる。そうすると彼を通して何かが流れ始めた。絵画が、詩が、寓話が・・・・。OSHO「私が愛した本」p133

 ニーチェとジブランを分けるもの。それは何か。ニーチェは「毒」を食らって命を落としたもの。ジブランは、ほんのちょっぴりフグの「毒」を味見したことのあるもの、そういう違いを見つけることができるかもしれない。しかも、それは自分で調理したものではなく、腕利きの免許を持った調理人に料理してもらったのだろう。ちょっとだけ舌がしびれる程度。

 初読時は、ひとつのジョーク、ひとつの例え話、として読んでいった「誰かが---スーフィーたちがヒジラと呼ぶ者が、神智学の徒がK・H、すなわちクート・フミと呼ぶ者が---彼に乗り移っていたに違いない」 という文章がにわかに信ぴょう性を帯びてくる。スーフィーやK・Hが、ジブランをメディウムとして使った、という可能性は残しておく必要がある。

 ニーチェを読んでいくにあたり、三浦がいうように「毒に感染しないで、毒を楽しむ」ということは本当にできるだろうか。

<10>につづく

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