ツァラトストラかく語りき (下巻)<5>
「ツァラトストラかく語りき」 (下巻) <5>
ニーチェ (著), 竹山 道雄 (翻訳) 文庫: 1953/04 新潮社 文庫 641p
Vol.3 No.0046☆☆☆☆☆
ニーチェを読んでいた。ニーチェを読みながら、当ブログ<3.0>はどうあるべきかを考えていた。<3.0>はどうあるべきかを考えながら、ニーチェをめくっていた、と言ったほうが正しいか。あるいは、ここは、考えた、ではなく、瞑想していた、としたほうが、カッコいいだろうか。
この本、翻訳されたのは私が生れる前、Oshoがエンライトした直後の出版となる。名訳であるからこそ現在でも発行されているのだろうが、まだ15~6の高校生だった自分が、この本を読んでいたのか、と思うと、涙がでる。こんな七面倒くさいニーチェなんてくそくらえ。もっと簡単でいいではないか。そう思って、下巻も半分まで来て、一休み。
OshoがBIHLのトップにニーチェを飾る限り、最大限に評価されるべき位置にあり、BIHL読書愛好会としては、この一冊を逃すわけにはいかない。ここを正面突破せずにはBIHLの本丸は攻め切ることはできない。こここそ集中攻撃だ。
とは意気込むものの、難解かつ、鈍重、かつ、旧漢字体がよくわからない。ニーチェかぁ、と思って、図書館へ、目の前に広がるニーチェ全集を見ていて、目がくらくらし、デジカメ画像までボケてしまった。
これを一冊一冊読み始めたら、これはキリがないぞ。いつかは越えなくてはならない山ではあろうが、<3.0>の入り口の一冊とするには、ちょっと難がある。やはり、ここは、ニーチェのツァラトウストラの反映とされるジブランの「預言者」にその席を譲ってもらうのが妥当であろう、と結論づけた。あまり難しすぎるのは、おっとり刀の当読書ブログ向きではない。
それともうひとつ、K氏推薦の「ターシャム・オルガヌム」であるが、今後も精読に向けて地盤固めをしていくとしても、こちらも、「新しい宇宙像」と合わせて、玄人受けするのは分かるのだがやや難解で、必ずしも適格とは言いにくい。あえてウスペンスキーから持ってくるなら、「人間に可能な進化の心理学」くらいの分量が、当ブログにはちょうどいい。せっかく読みかけているところだし、まぁ、この辺でしょう。
さて、ブログサイトを変えるべきかどうかで、かつて登録しておいたブログサイトをいくつかいじってみた。どれもイマイチである。慣れたせいか、今のところはここココログが一番だと思う。だが、あえてここは、その「慣れ」を嫌って、もう一歩、足を踏み出すべきかもしれない、と思った。
さらに、<3.0>は、「読書」ブログとなるべきかどうか、も考えた。結論としては、そうならざるを得ないだろう。しかし、本を追うのではなく、内容を追わなければならない。しかも、内容を批判的に追うのではなく、受容的に、調和的に、統合的に読んでいく必要がある。そのためには、これからはその意味において、厳選された新鮮かつ高級な食材を選んでいく必要がある。
そのためには何をなすべきなのか。それとバランスをとるための<1.0>や<2.0>はどうあるべきなのか、をも考えていた。いや、今夜は、そこに照準をあわせて瞑想していた、ということにしておこう。
| 固定リンク
「42)One Earth One Humanity」カテゴリの記事
- Books I Have Loved<78>(2010.06.20)
- ミラレパの十万歌<3>(2010.06.19)
- バガヴァッド・ギーター<8>(2010.06.18)
- ミルダッドの書―灯台にして港<3>(2010.06.18)
- 『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する<5>(2010.06.17)
コメント
komoriさん
おすすめヴァージョン、読めそうなので、余力がある時に、ぜひ確認したいと思います。
投稿: Bhavesh | 2010/06/11 14:26
新潮文庫の竹山訳は、文体が重々しすぎて、訳の正確でないところもあるし、あまりよくありません。岩波文庫の「ツァラトゥストラ」訳文もあまりよくないですし、理想社の吉沢訳がちくま文庫に入っているが、これもあまりよくないです。
お勧めは、中公の手塚富雄訳か、白水社全集の園田訳ですね。
投稿: komori | 2010/06/11 08:58