« ターシャム・オルガヌム<6> | トップページ | 英文学の地下水脈<2> »

2010/06/23

チャクラ リードビーター

Photo
「チャクラ」  
C.W.リードビーター (著), 本山 博 (著), 湯浅 泰雄 (著) 1978/11 平河出版社 単行本 p190
Vol.3 No.0061☆☆☆★★

 この手の本は得手ではない。好きでもなければ、必要ともしない。しかし、一旦、現代神智学を一通り見ていこう、と決意した限り、リードビーターの一連の仕事は避けて通ることはできない。先日も、リードビーターの「心理学入門」をめくったが、われながら、素直な態度でないのが、気にかかる。

 タイトルどおり、この本にはチャクラについてのあれこれが述べられており、豊富な図が織り込まれている。ましてやカラーページもあり、見た目にはなかなかキレイだ。これはこれで貴重な資料となるのだろうが、私はあまりこのような図解を見ることは気が進まない。なにも自分の内的な体験のないままこのような図式を「見すぎる」と、刷り込み現象がおこり、瞑想の中の体験なのか、単に自分のイマジネーションなのか、わからなくなることがあるかもしれないからだ。

 Oshoの「奇跡の探究」などに見られる7つの身体論は、当然、7つのチャクラ論に対応しているわけだが、必ずしも同じことを言っているわけではない。ひとつのアナロジーとしては、限りなく有効だと思う。

 この辺のことは、あまたある文献も正確に表現されているわけでもなかろうし、そもそも表現されること自体かなり難しく、それを活用することも至難の技だ。だから、どんなに本から学ぼうと、正確に転記しようとあまり有効ではない、と感じる。

 ウスペンスキーが、我々一般人はせいぜい下位の1、2、3のセンターしか持っておらず、ワークは、せいぜい、1,2、3から4へ、4から5へ上昇していく程度が精いっぱいだ、としている。彼にとってはそうなのだろう。

 マイトレーヤとしてのブッダが5、6、7身体におり、再誕するには第4身体を残しておく必要があり、クリシュナムルティの1、2、3身体を残しながら、その第4身体に宿ろうとした、などという説は、どの文脈で、どの存在が語ったとしても、万人に一様な理解を得られるわけではない。

 当ブログは7身体論までいく前にせいぜい下位、上位、全体、の3分論で十分であろうと思っている。そして、下位、上位、何れにも偏らず、全体的であるには、その中心にいることしかないだろう、と考えている。

 現代神智学を俯瞰的に一発で理解することは難しい。アーサー・E・パウエル「神智学大要」あたりが一番手頃だ。検索してみたところ、近くの図書館にあるようなので、すこしづつ読んでみようと思う。互いの用語にはそれぞれ齟齬があるのだが、敢えて、それは統一せず、そのまま公開されている程度のおおざっぱな理解をすれば、当ブログとしての学びは十分であろう。

 

|

« ターシャム・オルガヌム<6> | トップページ | 英文学の地下水脈<2> »

41)No Earth No Humanity」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: チャクラ リードビーター:

« ターシャム・オルガヌム<6> | トップページ | 英文学の地下水脈<2> »