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2010/06/14

The Messiah<2>

<1>よりつづく 

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<2>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English

☆☆☆☆☆

 ちょうどラオツ(以下、敬称略)から書き込みがあった。

カリール.ジブラン<預言者>も<漂泊者>も読んだとは思うのですが、この人Oshoは本気でとりあげたのだろうか? 欧米で人気なのでその読者たち向けのサーヴィスでリストアップしたんじゃないのとおもうぐらい、な~にも腑に落ちなかった記憶があります。 読み方が悪いのか? 訳が悪いのか? やっぱり顔を洗って読み返すべき本なのかなあ?(笑) ラオツ

 このテーマは当ブログの基本テーマでもある。すぐ結論はでない。しかし、今、当ブログが、敢えてカテゴリを「one earth one humanity」一本に絞っていることと無関係ではなさそうだ。問題は、Oshoでもなく、ニーチェや、ジブランでもなく、主なる部分は「私」にある。つまりは、客観的にOshoを評価したり、ニーチェや、ジブランの世界に耽読したりすることに重きがあるのではなく、あえて言えば、これらの調和、協調だ。

 「Osho,ニーチェを語る」の中には、「The Messiah」から、ふたつの文章が訳出されている。ちょっと長めだが、2回に分けて転記させてもらう。

人間は有機的な全体だ。

 人類は他のどんな理由にもまして、分裂の中に生きているという理由で苦しんできた。
 人間は有機的な全体だ。

 このことをあなた方の理解の基礎としなければならない。あなた方は、自分の中の一部分を排除したままで至福ではいられない。そういった部分部分が全て、ちょうどオーケストラのように調和する一体性へとまとめられなければならない。非常に多くの人々が、異なる楽器を演奏する際に、どうすればそれぞれの異なる楽器の演奏が全て溶け合って一体へと、一つの音楽へとなるかを知らなければ、そこには全く音楽は存在しないだろう。そこにあるのは人の魂を安める音楽ではなく、魂をかき乱す騒音だけとなる。

 人間の全歴史は、分裂の歴史だ。これを放棄しろ、あれを放棄しろ、あなたの存在のある部分にだけしがみつけ・・・・そうするとあなたは惨めなままだ。なぜなら至福はあなたの中のあらゆる部分がいなかる対立もなく、深い調和の中で一緒に踊っている時にのみ生れるものだからだ。

 なぜ人間のこのような分裂的マインドが生じたのか? それには理由がある。あなた方を支配するのを欲する人々、あなた方を搾取しようとしている人々、あなた方が永久に隷属状態でいるのを望む人々・・・・こういった人々の策略が原因だ。分裂していない人は抑圧できないし、搾取できないし、奴隷にできない。そして権力のへの野望しか頭にない非人々がいる。権力だけが彼らの唯一の生きがいなのだ。

 フリードリッヒ・ニーチェは精神病院で死んだ。これは不幸な出来事だ。医師達が彼が狂っていると宣告し、聖職者たちが彼が狂っていると宣告し、家族は友人たちが彼が狂っていると宣告している一方で、ニーチェは自分の最も偉大な著作を書き綴っていた----精神病院の中でだ。その本の題名は「力への意志」という。

 この本とこの本の偉大さを見れば誰にでも、彼を精神病院に入れるように強制した人々は皆、その一語一語が矢となって物事を射抜く人物を単に除去しようとしていたにすぎないことが明らかになる。そういった人々は彼の存在の高みには我慢できなかった。彼らはニーチェが完全に忘れ去られ無視されることを願った。ニーチェが狂っていなかったことは確かだ。そうでなければ彼の最も偉大な著作が精神病院で書かれるはずはなかったからだ。ニーチェは、その本が出版されるのを見ないで死んだ。その本は彼の死後出版された。

 私はニーチェの全著作に目を通した。「力への意志」の中で彼は、以前の多くの著作にばらまいていたことを全部寄せ集めて総合したように見える。おのおのの言表があまりに含蓄があるので、狂人にこの著作を書くのは不可能だ。この本は非常に論理的で、非常に深遠なので、もしあなたがいかなる偏見もなくこの本を読めば、世界に存在する最良の書物の一つが狂人によって精神病院で書かれたと知って驚くだろう。

 ニーチェの唯一の過ちは、彼が社会やその社会の時代遅れの規律や古めかしい規則に従わなかったことにある。彼の唯一の罪は、彼が独り立ちした個人だったことにある----そして奴隷たちは自由を知る者、自由を生きる者を許すことができない。

 彼の行為と言葉は、自由から来るものだった。しかし奴隷たちにとって彼は不愉快で忌まわしい存在だった。というのも彼らにはニーチェの言っていることを理解することさえできなかったからだ。ニーチェは丘の頂から、いわゆる慰安と呼ばれる暗い谷間をよろめき歩いている人々に叫んでいた。そういう人々が多数を占めているが、この男は多数の人々が知恵として寄りすがっているところにいちいちみんな反論を与えた。彼はそういった知恵が全くの愚かしさであることを証明してみせた。

 カリール・ジブラーンはフリードリッヒ・ニーチェに強く印象づけられた。ニーチェは、その著作「力への意志」で人類のハートを開いてみせた。どうして人々のハートに音楽がなく、惨めさしかないのか?

 その原因はあらゆる宗教の聖職者、あらゆる種類の政治家が、権力を熱望するあまり、協調、内的調和、非分裂、全一性を語る人に人類が耳を傾けるのを望まないことにある。

 そう、そこに変化がもたらされるだろう。なぜならあなた方の中で物事は、あなた方が混乱するように社会によって配置されているからだ。あなた方の中では召使いが主人となり、主人が召使いとして扱われている。

 ハートは叫ぶことができない。ハートはささやくだけだ。声高にさけぶマインドは、ハートのメッセージがあなたに届くのを完全に不可能にする。

 こういった重要な言明をカリール・ジブラーンは、神秘家の詩人にして哲学者であるアルムスタファという実在しない人物の口から語っている。私は常々、なぜカリール・ジブラーンが、直接自分の口から語るのを選ばなかったのか不思議に思ってきた。そして私の感じでは、次のことが完全に明白だ。すなわちカリール・ジブラーンは、フリードリッヒ・ニーチェが被ったのと同じ苦難を被りたくなかったのだ。誰も詩は真面目に取らない。フリードリッヒ・ニーチェは詩ではなく、散文を書いた。もっとも彼の散文はあまりに美しいので、それを詩と呼ぶこともできるが。しかしニーチェは直接人類に語った。

 アルムスタファは虚構を作り上げている。カリール・ジブラーンは決して狂人とは宣告されなかったし、精神病院に強制的に入れられることもなかった。それは単に彼がただのフィクションの書き手であり、せいぜい詩人に過ぎなかったからだ。アルムスタファの背後に隠れて自分を守った。だからこのことを銘記してもらいたい。アルムスタファの言っていることは何であれ、カリール・ジブランの言葉だということを。(中略)

 ニーチェは直接人々に語って、そのせいで苦難を受けた。ニーチェは権力に飢えた人々のせいで、犠牲にされた最も偉大な存在の一人だ。しかしそういった人々はカリール・ジブラーンのことは気にしなかった。彼の本は詩として読まれ、美しいエンターテイメントとして読まれたが、それ以上の読まれ方はされなかった。Osho1987/1/21「The Messiah vol2」p66~69 

<3>につづく

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