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2010/06/14

The Messiah<3>

<2>よりつづく 

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<3>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English

☆☆☆☆☆

 生はバランスだ

 イエスは悔い改めという考えに取りつかれていた。彼は他の何よりもそのことを繰り返し繰り返し語った。「悔い改めよ、悔い改めよ」と。

 キリスト教は悔い改めの宗教だ。それゆえ私は、キリスト教は他の宗教と比べて最低の宗教だと言う。その責任はひとえにイエスにある。なぜなら彼は悔い改めることを強調して、人々に罪悪感を植えつけているからだ。しかし生はバランスだ・・・・・。

 ツァラトゥストラは、イエスの教えの行き過ぎにバランスを取り戻している。ツァラトゥストラは、あらゆる宗教の創始者の中で唯一人、生を深く愛していた人物だ。おそらくそのせいで、ツァラトゥストラの信者は世界で最小の人口しかないのだろう。ツァラトゥストラの信者たちの大部分はここ、ボンベイに住んでいる。ボンベイが彼らの全世界だ。一部の信者は、たぶんカンダラやロナバラにいるだろうが、プーナが限界だ。プーナより向こうには、ツァラトゥストラの信者は全く見つからない。そしてツァラトゥストラの信者たちは、宗教的だとみなされていない。彼らは生を愛し、人生を楽しんでいるからだ。

 フリードリッヒ・ニーチェが、イエスの福音書に比肩するものを書こうとした時、彼はツァラトゥストラの名前を選んだ。もっともニーチェはツァラトゥストラについて、多くは知らなかったが。ツァラトゥストラの宗教はあまりに小さいので、誰も彼の宗教を世界宗教に含めない。しかしフリードリッヒ・ニーチェはツァラトゥストラと同じくらい、生を非常に愛していた。そしてこのことが両者をつなげた。

 ニーチェが「ツァラトゥストラかく語りき」を書いた時、ニーチェはツァラトゥストラの名を通して語った。しかしニーチェが言っていることは何であれ、ツァラトゥストラのことを知らないのにツァラトゥストラの魂と合致していた。というのもツァラトゥストラの宗教は世界で唯一の、生を肯定する宗教だからだ。フリードリッヒ・ニーチェは、ツァラトゥストラの生まれ変わりだ。ツァラトゥストラは理解されてこなかったし、フリードリッヒ・ニーチェも理解されてこなかった。

 カリール・ジブラーンは、フリードリッヒ・ニーチェの著作「ツァラトゥストラかく語りき」に強いインパクトを受けて、この「預言者」という本を書いた。ジブラーンは「ツァラトゥストラかく語りき」に非常に感動したので、自分自身も似た系列の本を著そうとした。ニーチェはツァラトゥストラについてはその名以外何も知らなかったので、ツァラトゥストラは彼にとっては歴史上の実在する人物ではなかった。しかしニーチェは自分の哲学を語るのにふさわしい代弁者を選んだ。

 同じようにカリール・ジブラーンはアルムスタファという虚構の人物を選んで、アルムスタファを通して語った。アルムスタファは、単なる仮面だ。ジブラーンはキリスト教に反することを言うために、仮面を必要とした。しかしジブラーンの本は単なるフィクションなので、誰も腹を立てなかった。教皇でさえ、ジブラーンの本をブラック・リストに載せて、カトリックの人は読んではならないとは言わなかった。私の本はカトリックのブラック・リストに載っている。カトリックの人は読んではならない。一読するだけでも大きな罪を犯すことになる。Osho1987/02/05「The Messiah 2」p308~309 「Osho、ニーチェを語る」p23

<4>につづく

 

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