神智学大要<1> エーテル体
「神智学大要」 第1巻 エーテル体 <1>
A.E. パウエル (編集), 仲里 誠桔 (翻訳) たま出版 1981/06 単行本 p212
Vol.3 No.0064☆☆☆★★
この手の本は苦手なのだから、読むには読んでも、ブログなどに書きつけておくことなど最小限にとどめておきたい。どんな人がこのような本を読むのだろう、と検索してみると、近くの図書館には1981年の初版と、5冊合本になった1984年セット版が揃っていたので、驚いた。せっかくだから、ふたつとも借り出したが、内容はまったく同じだった。
もっとも、その後、年を追うごとに、21世紀になっても、さまざまな改訂版やら決定版などというものもあるらしいので、内容や翻訳も違って来ているかもしれない。表紙デザインも大きく変化しているし、多くの人に読まれている形跡がある。
図版も多く取り入れられ、身体論やチャクラ、クンダリーニ論などについても、諸説並列の形で書かれている。すべては著者パウエルが集めたものを、彼自身のセンスでまとめたものであり、必ずしも、一個の体験として、統一された認識ではない。
ただ、著者がいうように、このような形でまとめられることの良し悪しはあれど、メリットもなくはないだろう。たしかに全体的に俯瞰的に見る場合、いわゆる現代神智学がどのようなまとめ方を試みたか、興味は湧く。
しかし、それは結局、外側にある物好きなゴシップの連続になりやすく、自分自身のこととなると、むしろ、それは弊害になる危険性が高くなる。例えば、リードビーターの「チャクラ」なども面白いのだが、個人的な体験からすると、その見え方は大きく違っている。
実際的な医学のような臓器に関する図解ならともかく、内視するエネルギーだから、見る者によって、その見え方は大きく異なってしかるべきだ。そこに共通するのは、個々における「納得」だけなのであって、図解され、カラーで色づけされればされるほど、誤解は大きくなってしまう危険性が高い。
このようなものがあるらしい、というきっかけで自分の内面を見つめる旅を始めるにはいいかもしれない。だが、そこに書いてあることをそのまま自分の内部に求めようとすると、まったく見つからないばかりか、自分でそこに虚構を生みだし、ひいては袋小路や迷い道にさまようことにもなりかねない。
言葉使いなども、敢えて、統一したりすることには拘泥したくない。この本は5冊セットになっており、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、太陽系、などのタイトルでまとめられている。これらの言葉群も、それだけで地場を持ってしまう可能性があるので、敢えてここは、単に、本やものごとのを識別するための単なるインデックスとしてだけ使いたい。
Oshoの初期、特に1970年前後に語られた講話録、とくにヒンディー語などで語られたものは、これらの現代神智学の概念を借りて語られているものも、多くありそうだ。特に「奇跡の探究」などは、その言葉使いや概念は、まさに現代神智学そのものと言っていいくらいだ。
しかし、もともと古代より続いている叡智だとするならば、数ある表現方法の中から、敢えて、我がマスターが、そのところだけそのように表現しているとするならば、なぜ他のものを採用しないで、その部分を引用したのか、など、弟子としては、興味深いものがある。
そういう意味では、マスターが引用した部分と、「引用しなかった部分」を対比させてみる意味でも、このような「神智学大要」シリーズに目を通しておくことも、悪くはあるまい。必須条件だとは思わないが、いずれの意味においても視野狭窄にならないように、裸眼で、物事を見る訓練は必要だ。
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