シークレット・ドクトリン<2>
「シークレット・ドクトリン」 宇宙発生論 上 神智学叢書<2>
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中 恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳) 1994/02 神智学協会ニッポン・ロッジ 761p
☆☆☆★★
前回この本に触れたのは2009年7月5日だったのだから、ちょうど一年が経過したことになる。この本をめくることにそれだけ時間がかかったということか、それとも、季節も夏真っ盛りになって、夏バテ気味の読書意欲に、刺激を与えるのは、この程度インパクトの強い本でないと効果がない、ということの証明か。
すでにOshoの「私が愛した本」の中から抜粋を転記している。この本はBIHL5-5にリストアップされている限り、いずれその流れの中で再読することになるだろうが、ウスペンスキーやグルジェフ、クリシュナムルティを読む場合や、時にはOsho自身、あるいはニーチェやドストエフスキーなどの時代性を考える時、この本は一読しておく必要がある。
しかし、おおよその内容が推測できるだけに、なかなか気が進まないのも事実である。いちど頁を開いてみれば、それなりにその世界に吸い込まれていくのだが、そこはそこ、優先順位を考えれば、ここで、これらの世界観にうつつを抜かしていていいのか、という、あせりはでてくる。
この本のもともとの造りはどうかしらないが、この邦訳ではシークレット・ドクトリンが構成された「沿革」が延々と冒頭の百数十ページを使って語られる。まるで「ミルダッドの書」が延々とその前振りに時間をかけるように、あるいは、「スーフィーの本」が、その前振りだけで終わって本文は真っ白い頁に変わるように、この本に於いても、その前口上が、いやがおうでも、雰囲気を盛り上げる。
「THE SECRET DOCTORINE : THE SYNTHESIS OF SCIENCE, RELIGION, AND PHILOSOPHY」p133
科学、宗教、哲学の統合、という概念が、1888年の発行の段階において目新しかっただろうというのは理解できる。1888年とい言えば、日本の暦に置き換えれば、明治21年、ということになる。アレクサンダー・グラハム・ベルが電話機の特許出願をした1876年(明治9年)、ヘンリー・フォードがT型フォードを発表したのが1908年(明治41年)、アインシュタインが「一般相対性理論」を発表したのが1916年(大正5年)、などなどであったことを考えれば、当時の「科学」がいかようなものであったかは、21世紀に生きる現代人の「常識」で簡単に推測することはできない。
「哲学」といえど、ニーチェの「ツラトゥストラかく語りき」が発表されたのが1883年(明治16年)であり、しかも一般的にはほとんど受け入れられなかったことを考えると、そこで語られた「哲学」とは一体いかなるものであったか、現代人の私達が、その解釈を急ぎ過ぎれば、拙速のそしりを免れないだろう。
もちろん「宗教」においても、例えば、チベットの奥地ヒマラヤに住むとされるクートフミ(KH)大師やら、モリヤ大師やらの表記も、そのチベット密教が20世紀後半から21世紀にかけて、かなりの部分が公のもとに差し出された現代において、その幼児性を指摘することは、難しいことではない。
しかし、その年代において「統合」を志した大きな船出は、交通、通信、文化の相互交流がようやく動き出した時代背景を背負いながら、「地球人スピリット」の模索に向けて大きく舵を切った、という歴史的事件ではあっただろう。でなければ、現代においてさえ、これだけ話題として残っている、ということを理解することは難しい。
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