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2010/07/16

コンドームの歴史<5>

<4>よりつづく

コンドームの歴史
「コンドームの歴史」 <5> 
アーニェ・コリア (著), 藤田 真利子 (翻訳) 2010/2 河出書房新社 単行本: 453p

 面白うて、やがて哀しき、コンドーム。最初は防疫のため、次いではバースコントロールのために使われたこの小さな発明品は、最初、人間社会の自由の拡大に多いに益するように思えた。しかし、20世紀になると、台頭する国家主義、そしてその軍事国家を支える軍隊においての重要な「武器」となる。

 人によって推定に幅はあるが、ノルマンディー上陸後終戦までヨーロッパに駐留した米兵が、平均して約25人の女性とセックスしたという数字に軍事上の専門家はおおむね合意している。ドイツが降伏するころには、アメリカ占領軍は兵士につき一ヵ月に4個のコンドームを支給していたが、ある将校に言わせると、「まったく不適切」なことだった。1945年のアメリカ陸軍による調査では、「部隊内の相手を特定しない性行為のレベルは公式に認められているよりもはるかに高い。また、その率は海外駐在の機関が長くなるのに正比例して高くなっている」。p311

 権力に向かって突き進む道のりのかなり初期のころから、ナチ党は性と生殖と結婚はすべて関連していて、一時の肉よくを満たすために切り離されることがあってはならないと主張していた。そんなことになれば、一国全体の健康と福祉を害する。ナチ党1933年に政権をとったすぐあと、ドイツ人のバースコントロールを統制しようとする法律が次々と通った。(中略)

 若者の間で婚前交渉が多くなっているのは、ユダヤ人医師がコンドームやその他のバースコントロール手段を配ったり、性とその「快楽」について教えたりするせいだと非難し、嫌悪感もあらわに、若者たちが「森に車をとめ・・・・・そこで、セックスする」ことを記述した。そうなのだ、とホフマンは書いた、ドイツ人が開戦時に年に7200万個ものコンドームを使用しているのはユダヤ人医師のせいなのだ(ナチ党はまた、梅毒を「ユダヤ人の病気」と呼んでいた)。p318

 日本軍の使うコンドームを最初につくったのは、1934年に設立された日本ゴム工業、現在オカモト株式会社となっている会社である。この会社は女性団体からの攻撃を受けた。アタック・チャンピオンという製品名称が、性奴隷とされた多数の女性のサービスに関わる醜い歴史の一こまを思い出させたからである。(当時のコンドームは突撃一番という名称だった)。p326

 恐ろしい経験から何年もの時がたったあとで、多くの女性たちは慰安所で最も傷ついた仕事は一日の終わりにコンドームを洗うことだったと語っている。「突撃一番」(軍隊が配るものなので、軍隊向けの名前がつけられていた)は豊富に供給されていたが、広範囲に広がった前線の中では不足する地域もあり、そうした場所ではコンドームが繰り返し使用されていた。p327

 この本、後半になると、目をおおいたくなるような悲惨な話題に突入する。「From Sex to Super Conciousness」どころの話ではない。これでは、人間存在の一番ベーシックな部分をグルグル回っているだけで、出口も救いもない状況となる。まるで泥沼だ。しかしながら、この泥沼に根を張り、そこから上へと伸び、水面に顔を出す蓮の華があることも事実なのである。ロータススートラなどでは、この泥沼があるからこそ蓮の華が咲く、泥沼はなくてはならないものだ、とさえ説く。

<6>につづく

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