コンドームの歴史<4>
「コンドームの歴史」 <4>
アーニェ・コリア (著), 藤田 真利子 (翻訳) 2010/2 河出書房新社 単行本: 453p
早くも1895年にはコンドームへの嫌悪を文章にしていたフロイトだが、1920年のコメントはさらに激しいものになっていた。彼はコンドームが性的快感をそぎ、「パートナー双方の鋭敏な感覚を傷つける」と主張した。どの方法も失敗を防げないと言ってあらゆる種類のバースコントロールを批判したが、コンドームにはとりわけ大きな軽蔑を向けていた。
フロイト派の学者たちは、フロイトの極端なコンドーム嫌悪は、コンドームの邪悪な性質もさることながら、フロイト自身がセックスに関するすべてのことに愛憎両面の気持ちを抱いていたからではないかと考えている。p268
「シークレット・ドクトリン」をとりあえずめくった後に、この本がまだ残っていると、なんだか奇妙な存在感が拡大してくる。この人類の小さな、しかしかなり重要な発明品、毀誉褒貶の著しい小さな道具の視点から、19世紀や20世紀を見つめてみるのは、実に貴重な体験だ。
免疫の面からコンドームを眺め、バースコントロールの側からコンドームを眺める。そして、今度は心理学の立場からコンドームを眺めてみるのも、なかなか壮観なものである。20世紀になれば、ピルが発明され、バースコントロールの面から女性解放に益したと評価される一面、免疫の面から、ふたたびコンドームはその存在価値を取り戻した。
コンドームをバースコントロールの手段として広告するための法的障壁がなくなったことや、軍による使用の推進が続いたことも確かにコンドームの販売増加を助けたが、大恐慌時代に売上が驚くほど延びた本当の理由は、子どもをもつ余裕がないと考えたアメリカ人が増えたせいだった。どれほどお金がなくても、妊娠を防ぐための数セントを見つけることはできた。コンドームは子どもより安かったのである。p276「兄弟、十セントわけてくれないか・・・ゴムを買うんで」
19世紀から20世紀になると、国家主義の台頭から軍部の勢力が増大し、兵隊さんたちによるコンドームの消費量が極端に増えたことも見逃せない。ひとり日本軍のみが慰安婦問題でその性処理の結末の決算を迫られているが、戦争という人類が抱える最大の愚かさとともに、戦う男たちの性処理、という人類の根源的問題が、このコンドームに象徴されていることに、あらためて人間というものの本質を考えさせる。
さて、この辺で、当ブログの本来のテーマを思い出さなくてはならない。「One Earth One Humanity」というテーマがあったとするならば、そのOneの中には、やっぱり性処理の問題は隠さず含まれなくてはならないのだ。性処理という言葉が悪ければ、性エネルギーは人類の根源だ、と言い換えよう。
そして次なる「No Earth No Humanity」に来れば、性処理問題、つまり性エネルギーは、どのように「無」化されるのか、という問題につきあたる。「無」化ではなくて、昇華だろう、ということになるが、とにかくまぁ、人間とはこういうものなんだなぁ。 みつお。 ・・・・、じゃなかった・・・。
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コメント
☆チダ
これは、不真面目で大真面目、非科学的でありながら実に純粋科学的なお話ですなぁ。
「愛のヨガ」や、ライヒのオルゴン・ボックスに連なる大問題だ。
投稿: Bhavesh | 2010/07/14 12:27
野口整体の「愉気」はとてもおもしろい。人はそれぞれ生体エネルギー(気)があり、強すぎても病気になるし、弱すぎても病気になる。集団で無心になると、自然に強弱がマッチする人たち(カップル)が触れるようになるらしい。
性にはそんなバランス調整の働きもあると思うけど、生体電気などを考えると、コンドームはゴムだから絶縁されてしまうのだろうか(笑)。
投稿: チダ | 2010/07/14 10:26