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2010/07/15

プロフェット(預言者)<4>

<3>よりつづく

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「プロフェット(予言者)」<4>
ジブラーン (著)小林薫(翻訳) 1972/06 ごま書房 単行本 228p
☆☆☆☆☆

 なにもここで、ファンタジックなジブランと、読みかけているとは言え「コンドームの歴史」をリンクさせて考えなくてもいいのだろうが、どうも単純に素直になれない当ブログは、その、ともすればとてもアンバランスな比較をやってみたくなってしまう。

 そもそも、このジブランの「プロフェット」の世界は、なぜにこれほど受けるのだろうか。邦訳だけでも10種類以上ある。そして、ジブランには、「プロフェット」以外にも作品があるのに、ほとんど唯一と言っていいほど、この作品だけが読まれている。

 気づいてみれば、アル=ムスタファが人々に語りかけるテーマは、問いかけに答える形であったとしても、「愛」から始まる、というのも特徴的だ。「愛」、「結婚」、「子ども」、この三つのテーマから、この物語は始まる。

愛があなたを招くときは、愛に従いなさい。たとえその道が、苦しく、険しくとも。
愛の翼があなたを包むときは、愛に身をまかせなさい。たとえ羽交いに隠された愛の剣が、あなたを傷つけるようになろうとも。
愛があなたに語りかけるときは、愛にを信じなさい。たとえ北風が花園を荒らすように、その声があなたの夢を砕くようになろうとも。
愛は、あなたに王冠をいただかせるとともに、あなたを十字に架りつけるもの。愛とは、あなたをは育むとともに、刈り込むもの。
p30「愛について」

お互いの心を与えあいなさい。しかし、お互いが心を抑えあってはいけない。
大いなる生命の手だけが、あなたがたの心をくるむことができるのだから。
いっしょに立っていよ。しかし、近よりすぎてはいけない。
寺の柱も離れて立ち、樫の木も、絲杉の木も、互いの陰の中では育たないのだから。
p40「結婚について」

あなたの愛を与えることはできても、あなたの考えを与えることはできない。
子どもは自らの考えを持つのだから。
その身体を住まわすことはあっても、その魂までも住まわすことはできない。
子どもの魂は、あなたが夢にも訪れることのできない、明日の館に住んでいるのだから。
p42「子について」

 いいなぁ、と思いながら、うーん、きれいごとだなぁ、とも思う。これをこのままファンタジックに読み進めることは、できないことではないが、それはそれで、絵に描いた餅になってしまうことになりかねないのではないか。とくに「コンドームの歴史」などとまぜこぜに読んでいると、どうも変だなぁ、と思う。

 そもそも、人間は性から逃れることができない存在であったとして、その性のまじわりは、愛があるからだ、とかいうことになっている。だが、愛の中に性があることに異論はないが、性の中に、かならずしも愛があるとは限らない。

 結婚という奴も、なかなか手ごわい。男と女の間に愛があれば、結婚に結びつく、と簡単に図式化することはできない。愛があってもニーチェのように結婚しなかった男たちもたくさんいるし、ウィットゲンシュタインのように、男なのに男に愛を感じるという現象もある。しかも、それは狂おしいほどであった、というから、人間というものを理解しようとすれば、とてもとても一筋縄ではいかない。

 そして子どもという奴。性衝動の結果として、愛があり、愛の結果、結婚という現象が起こる。そして、その結論として、子どもが生まれてくる。最近は、試験管から生まれてくる人間もいるらしいが、少なくとも99.999%の人間には、母親がおり、そのほとんどの子どもには、子として生をあたえた父親がいるはずである。

 ところが、考えていけばいくほど、そう思っていることの根拠が揺らいでいく。性=愛でもないし、愛→結婚、でもなければ、子ども⊂結婚でも、子ども⊆結婚でもない。漠然とパターン化した大数を追っかけていけばそういうことになるかもしれないが、人間個別に考え始まれば、ひとりひとりの人間にパターンなんてあるべきではないのだ。

 漠然と思っていることを、すこしづつ深く考えていくと、だんだんとものごとの輪郭がぼやけ始まる。そして、絶対的なことなんて、何もないのではないか、という結論に近づく。いや、もし絶対的なことがあるとすれば、「死」という奴だろう。すくなくとも、私はこの100年以内には死ぬだろう。いやいや、長く見て20年程度しか残っていない。いや、明日と言わず、なんらかの理由が整えば、この瞬間に死がやってくる可能性は十分ある。すくなくとも絶対といえるのは、いずれ私は死ぬ、ということだけだ。

あなたがたが、本当に死の精神を見ようとするなら、生の肉体にまで心を広げよ。
なぜなら、川と海が一つのように、生と死も一つなのだから。
あなたがたの希望と絶望の深奥には、彼岸について、黙せる知識が横たわっている。
雪の下で夢みる種子のように、あなたがたの胸は春を夢みている。
その夢を信じなさい。なぜなら、その夢の中にこそ、久遠への門が隠されているのだから。
p178「死について」

 ジブランが造り出す預言者アル=ムスタファの言葉は、短いアフォリズムのように、リズムがあって、美しい。言い切っているだけに、説得力がある。思考の中で、その輪郭がぼやけてしまった者には、自らの思考を再形成するには、ジブランは役立ってくれる可能性がある。だけど、本当だろうか。単純にジブランを崇拝することで、本当になにかが解決することになるのだろうか。

 コンドームという人類の発明した小さな道具には、愛、結婚、子ども、死、というものに容易にリンクしていく要素がある。そしてジブランのようにファンタジックな詩情でごまかすことではなく、実に実際的で具体的な事実と対峙している。

 当ブログのテーマは、どちらかと言えばジブランにある。当然のことだ。しかしながら、ジブランに「コンドームの歴史」という剣を突きつけると、漠然と、いいなぁ、と思っていた物語の全体がガタガタと崩れ始まる。アル=ムスタファもまた、十字架にかけられる必要があるようだ。そして、強靭な精神に鍛え直される必要がありそうだ。

<5>につづく

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