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2010/07/06

神智学大要<5> 太陽系

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「神智学大要」 第5巻  太陽系 (単行本) <5>
A・E・パウエル (編集), 仲里 誠桔 (翻訳) 1983/01 たま出版単行本: 405p
Vol.3 No.0070☆☆☆☆★

 7つの身体論あたりまでならまだしも、こちらの宇宙観となると、はっきり言ってまともに「読める」人間はほとんどいないだろう。もう、the rubbish の世界に突入ということである。ここまでくると、ほとんど「秘経(シークレット・ドクトリン)からの引用が多くなり、あとは、読者ひとりひとりがここから何を得るのか、それぞれが、それをそれぞれに考えなくてはならない。

 「秘経(シークレット・ドクトリン)」が未完のままに分冊で発表されたのが1888年。後にアニーベサントが第三巻を出したという。この壮大なthe rubbish ぶりに、グルジェフの「ベルゼバブの孫への話」を連想する。あちらは1931年に完成、発行されたのは1950年代になってから、ということだったが、あちこちのメモをつないだだけだから、正確ではない。

 グルジェフの著書は、それなりに冷やかしやユーモアも感じられないわけでもなく、物語やSFとしてなら、それはそれなりに楽しむことができるのだが、一連の「神智学」のほうは、結構マジだから、ちょっと手に負えないところがある。

 浦島太郎が竜宮城にいったからと言って、それは嘘でしょう、という人はだれもいない。浦島太郎の話を楽しむ。かぐや姫が月に行ったからと言って、そんなthe rubbish な話、と避難する人はいない。熊と相撲して投げ飛ばした金太郎のことを「超人」と褒めたたえる人もいない。せいぜい「元気」な子供だなぁ、とみんなでそのお話を楽しむだけだ。桃太郎が行った鬼が島がどこに実在するか、などと「探検」にでるのは、それぞれのお好みだが、ほとんどの人は、桃太郎の活躍話を楽しむだけに留まるだろう。

 現代神智学の、とくにこの「太陽系」あたりまでなってくると、どこか「お話」で留めてくれればいいのだが、とかくマジだから、困っちゃう。何万年前にこういうことがあったとか、こういう惑星がどうしたとか、それは、そういうインスピレーションがあった、という「事実」はあるんだろうが、何万年前にこういうことがあったという「事実」は、それを言っている本人にも確証しようがない。ましてや、第三者や他人は、その「お話」を、「なるほど!」と、聞いてあげるにとどまるだろう。

 なんであれ、これで一応パウエルの「神智学大要」全5巻を手にしてみたことがある、という事実は残った。あとは、いやいやながらも「秘経」とやらの頁をめくり始める以外にないだろう。ふ~~~~~。

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41)No Earth No Humanity」カテゴリの記事

コメント

>私の場合は、実体験が起こることが多いので、本当の体験なのか、刷り込みによる思い込みなのか、判別がつかなくなります。

これは霊的体験についてよく起こる微妙な問題ですね。
証明のしようがありませんし・・・
見えたものが本物なのか自分の想像の産物か、これについてもOshoは下のKrishna The Man and His Philosophyの中で語っています。
見えた過去生についての真偽の判断の仕方などはThe Transmission of The Lampの中で語っています。
神智学は心霊主義~スピリチュアリズム~を否定しています。
そのあたりを総合的に知っていけば、霊体験についての冷静かつ客観的な判断力が、サニワ(審神者)的な知識が身に付いてきますね。

投稿: Devayana | 2014/03/13 10:23

実はこのシリーズはまじめに読んでないんです。とりあえず本の存在の確認程度です。

テーマ軸でみるとキチンと読んでいるように、見えないこともないけど、時間軸では「コンドームの歴史」なんて本と、混ぜこぜに読んでます。

私の場合は、実体験が起こることが多いので、本当の体験なのか、刷り込みによる思い込みなのか、判別がつかなくなります。

後から、ほかの人の文献などで、確認することが多いのです。

投稿: bhavesh | 2014/03/12 09:54

>ほとんど「秘経(シークレット・ドクトリン)からの引用が多くなり・・・と書かれてありますが、

私もこの5冊を読みまして、それぞれの巻の引用原書をまとめましたが、「シークレット・ドクトリン」からの引用がある巻は1巻のエーテル体と2巻のアストラル体だけです。
後は全てアニー・ベサントとリードビーターからの引用です。
「シークレット・ドクトリン」の占める範囲は、この神智学大要の中ではあまり大きくないようです。

アニー・ベサントとリードビーターの本は、現在でもほとんど訳されていない状態ですね。リードビーターの邦訳が数冊ある程度で、それもページ数は少ないものだし、少し読み応えがあるもので「大師とその道」がありますが、

この中で、チベットの奥地で毎年5月に催されるウエサク祭について語られていて、このウエサク祭についてはOshoもKrishna The Man and His Philosophyの中で語っているのがおもしろいです。
ウエサク祭とは5月の満月の夜に数百人のラマ僧たちが集まって仏陀のヴィジョンと対峙するという儀式らしいです。
その章だけ訳しましたが、その抜粋はこちらです。
http://mahorobanomori.web.fc2.com/Osho-discource-Bhudda-vision-Tibet.html

神智学の本の翻訳が全般的にあまり進んでいない現状で、この「神智学大要」はよく訳出して出版されたと思います。
あと、厳密には神智学ではないですが、よく似たものとして、アリス・ベイリーの「トランス・ヒマラヤ密教入門」全3巻、というのもあります。

投稿: Devayana | 2014/03/10 21:53

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