プロフェット(預言者)<5>
「プロフェット(予言者)」<5>
ジブラーン (著)小林薫(翻訳) 1972/06 ごま書房 単行本 228p
☆☆☆☆☆
「コンドームの歴史」を読み進めるていると、とにかくどこかに出口か救いを求めたくなる。さしあたって、ジブランはなんと言っているだろうか。直接にこの話題に触れることがないのは当然だとしても、どこかにリンクしておきたい。さしあたっては、本能としての食欲や、罪悪、あるいは罪悪感あたりか。
人はみな、大地の芳香を吸って生き、草木のように光によって命を保つことが望ましい。
しかし、食べるためには、他の生命を奪い、渇きを癒すためには、生まれたばかりの仔から、その母の乳を盗りさらざるをえない。
だから、それを敬虔の念をもって行わなければならない。
そして、食卓を祭壇となし、森と野にある清らかなもの、無垢なるものにて飾り、人間の内なる、より清き、より汚れなきものの犠牲としなければならない。
野獣を殺すときは、心のなかでこう説えよ。
<おまえを殺めた同じ力によって、私もまた殺され、捧げられる。
おまえを私の手に渡した同じ法が、私をより力強きものの手に渡すだろう。
おまえの血も、天の木を養う樹液にほかならない。>と。p56「飲み食いについて」
あまりに悲惨な話が続くと、どうしてもバランスを取りたくなる。人間、暑さも、寒さも必要だ。ジブランが20世紀から21世紀にかけて、一貫して人々に支持されてきたのは、一方に、悲惨な事実が存在しているからなのだ、と言うこともできるだろう。
いま、私が語っているのは、あなたのなかの人間についてである。
なぜなら、罪と罰とを知っているのは、あなたの神なる身でも、霧のなかの小人でもなく、人間なのだから。
あなたがたが、悪行を犯した者について語るとき、あたかも彼があなたがたの一人ではなく、見知らぬ人として、あなたがたの世界への侵入者であるかのように語るのを、私はよく耳にしてきた。
しかし、聖なる者や正しき者でさえ、あなたがたひとりひとりのうちにあるもっとも高いところを超えることはできない。
また、邪悪な者や弱い者でさえ、あなたのうちにあるもっとも低いところより下へ落ち込むことはありえない。
木全体が黙ってはいるものの、その目をかすめて、ただ一枚の葉といえど黄ばむことはないように、悪行をする者は、あなたがた、すべての中に隠されている意思の働きがなくては、かかる行いをすることはできない。p96「罪と罰について」
この項目についての記述は長い。的確にズバリと言うのは難しそうだ。ブログに貼りつけるために、抜き書きすべきなのは、この部分ではないかも知れない。しかし、罪と罰は、私たち、あるいは私から離れたところに存在している何かではない。
続いて、「法」の項目もある。
あなたは、法律をつくることが大好きだが、
それ以上に、法律を破ることに喜びを感じる。
それはちょうど、海辺で遊ぶ子どもたちが、砂の塔を一心不乱に立てながら、笑ってそれを破壊するのに似ている。
しかし、砂の塔を建てるあいだに、海はさらに砂を運んでくる。
そして、塔をこわせば、海は、あなたといっしょに、声をたてて笑う。
ほんとうに、海はつねに、無邪気なものたちに唱和して笑うのだ。p98「法(おきて)について」
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