« プロフェット(預言者)<5> | トップページ | 預言者 佐久間彪・訳 »

2010/07/18

コンドームの歴史<6>

<5>よりつづく 

コンドームの歴史
「コンドームの歴史」 <6> 
アーニェ・コリア (著), 藤田 真利子 (翻訳) 2010/2 河出書房新社 単行本: 453p

 「もしも・・・・・」
 歴史に「もし」があったとしたら、もし20世紀の人びとが何世紀も前から受入れられていた方法を受け入れて実践していたとしたら、21世紀の世界はどれほど違っていただろうと考えてみたくなる。もしもある時点で、コンドームがいつもいつも性意識の変動に振り回される存在ではなく、ようやく実際的で道徳的な道具として受け入れられていたとしたら、おそらく史上最悪の疫病の広がりは起きなかっただろう。しかし残念なことに、次なる最も恐ろしい感染症が世界を襲うとは、誰にも予測できなかったのである。
p168

 お言葉ですが、「誰にも予測できなかった」わけではない。予測はあった。少なくとも第一の報告があった直後に、その病気の本質について直ちに指摘した人たちはいた。すくなくとも、私の見るかぎりその中のひとりはOshoだ。詳しい時系列は後に回すとして、少なくとも1980年代の初めから、その危険性を強く指摘し、そのコミューンにおいては、常にHIVチェックが行われ、公衆においては使い捨て食器が奨励され、コンドームの使用も奨励された。

 一部でセックス・グルと揶揄されたOshoであってみれば、自らのコミューン内をフリー・セックスにしようとしている、という風な的外れな批判が横行したが、この本の著者などからしてみれば、あの時「もしも」は起きていたのである。しかし、その「もしも」は積極的に否定されていたのだ。

 エイズ活動家は、レーガンの指導力のなさが研究と教育の努力を大きく阻害し、この病気がアメリカに足がかりを築き、その後世界へと広がることを許したと主張してきた。実際、エイズに関する連邦政府による研究や全国的な教育への資金が「出たり引っこめられたり」したのは、レーガンの古臭い同性愛恐怖のせいだと考える人は多い。p377

 1987年に家族4人でプーナのOshoコミューンを訪ねたことがある。その時、来訪者に求められたのは、自国においてHIVネガティブの証明書を取得して持参することであった。自己経費もかかったし、2歳と4歳の子どもたちにもそのテストを受けさせるのは、どれほどの妥当性があるかは確かに未知数だった。

 実際、検査機関の医療従事者たちは、そのテストをすすんで受けるという行為自体、ファナテッィクなものであるかのように横目でにらみ、子どもたちのテストを痛々しそうな目つきで行った。1987年という時代性から考えれば、一般的にはそういう風潮でしかなかった。

 しかし、この日本においても、あの当時、「もしも」、もっとこの病気に対する認識が深まっていれば、これほどの惨禍が蔓延することに歯止めが効いたはずなのである。積極的に歯止めをかけようとしなかった不作為の当事者たちが無数にいた。

 AIDSフリーのOshoコミューンを、さもHIV感染者を差別しているかのように喧伝する向きもあったが(たぶん今もある)、むしろ実際的な見地に立てば、実に科学的で実利的なシステムであったと評価されるべきである。「もしも」はありえた。しかし、その「もしも」を積極的に葬り去ろうとする勢力も大きかった。

 噴霧
 ドイツのコンドーム・コンサルタント研究所(!)の科学者たちは、噴霧するタイプのコンドームを開発している。広報担当者によると、「わたしたちはあらゆるサイズのペニスにぴったり合う完璧なコンドームを開発しようとしています・・・・・わたしたちは非常に真剣です」。それを使う男性はペニスをスプレー缶に挿入し、ボタンを押す。すると塗りつけられたコンドームができあがる。これにはいろんな色が取り揃えられている。

 それに負けまいと、ドイツのレーベンスラスト(生の喜び)社はあるコンピュータプログラムを開発した。男性のペニスの3D映像をつくり、それにぴったりのコンドームを設計するプログラムである。費用は? 1200ドルで、映像、設計、好きなだけの数のコンドームを手に入れることができる。客は、コンドームに名前を入れることもできるのである。p435 

 そういえば、西洋人とつきあっているある女性は、彼は日本用の奴ではサイズが合わず、個人的に輸入しているとか言っていたな、だいぶ前の話だけど。

 この領域にコンピュータの話がでてくると、こちらも旧聞に属する話しだが「セカンドライフ」を思い出した。あの世界ではヴァーチャル・セックスが話題になっていた。衣装をつけるようにパーツとしてのペニスを装着し、相手を選んで云々と、話を聞いてみりゃアホらしい話なのだが、これが結構受けていた時期があった。セカンドライフ自体が、一時ほど話題にならなくなったので、あれは末期的な現象であったか。やっぱり、ヴァーチャルじゃぁ意味ないことがある。

 あんなちっぽけで、つくりも単純そうな物なんだから、歴史っていったって簡単に終わっちゃんじゃないの? とお考えのあなた、本書の厚さを見てすでにおわかりのこととは思うが、事はそれほど単純ではない。製造の歴史も確かに書かれていて、ラテックスが発明される前の涙ぐましい歴史の数々には脱帽するしかないわけだが、眼目はやはり、コンドームがどのように社会に受け入れられてきたか(どのように受け入れられずにきたか)にある。p451「訳者あとがき」

 たしかにその通りだ。「この面白おかしいコンドームの歴史を読んで、楽しむだけではなく、歴史から教訓をしっかり読み取って」p453(訳者)行きたいとは思うが、この本から「教訓」を読み取るのはなかなか難しい。だけどなんだか実利的でかつアカデミックな一冊ではある。今年度後半の当ブログ新刊ベスト10に入賞する勢いのある一冊だ。

Dance

|

« プロフェット(預言者)<5> | トップページ | 預言者 佐久間彪・訳 »

41)No Earth No Humanity」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コンドームの歴史<6>:

« プロフェット(預言者)<5> | トップページ | 預言者 佐久間彪・訳 »