« ギータ・ゴーヴィンダ<3> | トップページ | 菩提達磨の弟子たちの記録 <5> »

2010/07/21

グーグルに異議あり!

グーグルに異議あり!
「グーグルに異議あり!」 
明石昇二郎 2010/04 集英社 新書 197p
Vol.3 No.0075☆☆☆☆★

 これまでもかなりの数のGoogle本に目を通してきた。礼賛本あり、ジャーナリステッィクなレポートあり、技術本あり、いずれにしても楽観論が大きなウェイトを占めているが、中には「Googleとの闘い」のような悲観論や、時には否定論もある。しかし、いずれにせよ、外部からのレポートとか一般論が多い。

 その中にあって、この本は、いわゆる「当事者」による一冊である。著者には10冊ほどの著書があり、それらがグーグルのブック検索の対象になっていることを知ってからの、グーグルとの「闘い」のレポートである。

 私は、短期大学で教鞭を執り、学生の研究レポートの指導もしている。その際、著作や論文の引用については、著作権の素材を学生に説明し、その引用にちては激しい基準(著者、タイトル、出版元、出版年は言うに及ばず、引用頁の明記まで)を設けている。学生には、その著作や論文の著者が執筆にあたってかける労苦を説き、それを引用するにあたっては、その行為に敬意を表すべきであろうことを繰り返し説いてきた。77p「刑事告訴」伊藤宏

 上記は練馬署に「告訴」するための協力者である伊藤宏の「陳述書」の中にある。当ブログとしてもなかなか耳が痛い。上記の項目の明記については、かろうじて当ブログはクリアしているとは思うが、なぜにこのような明記をするようになったかというと、それぞれの著者に敬意を示しているのは当然としても、もっと別な目的による。

1)公立図書館から本を借り出して、ランダムにメモしている以上、自分でどこに何を書いたか忘れてしまうことも多くなる。あとで読んでも、すぐに次の読書に継続できるように、頁を明記しておくのは必要である。

2)すでに当ブログは2100冊ほどの本を読んできた。最近は再読が多くなっているので、冊数はあまり増えないが、それでも、自分で自分がメモした記事がどこにあるのかわからなくなっている。最初は、自分なりの人名リスト署名リストを作ってみたが、機能したのは、最初の100冊程度。あとは、自分の記事を探すのにGoogleの検索を使っている始末である。

3)ブログ機能ありきの当ブログのスタート地点において、結局は「読書ブログ」になることが決定したあと、文字ばかりではブログの画面の見栄えがしなかった。なにか画像を借りてこようかとすると、ヤッパリ著作権が気になる。本の表紙なら、紹介にもなるし、アフェリエイトで共有化されてもいるので、多用することも無茶なことではなさそうだ、という結論に達した。

4)「計算困難問題に対するアルゴリズム理論」というタイトルの本は、当ブログとしてはとても手がでない本である。ところがブック検索をすると、この本の中にカリール・ジブランが引用されている、ということがわかる。

5)この新書本、テーマとしては大好きな分野なのだが、感想を書こうとすると、どうもうまくまとまらない。なぜだろう、と考えた。つまり、この本は当ブログなりの3C論でいえば、コンテンツとコンテナのせめぎあい、ということに終始しているので、コンシャスネスへの繋がりがないことが原因しているようだ。

6)そもそも社会派ライターの著者の「週刊プレイボーイ」のバックアップを受けたGoogleとの「闘い」のレポートであり、勝ったようでもあり、まだ勝ったとは確定していないようでもある。なかなか微妙な判定ではあるが、今後もまだこのドサクサは続く気配。ここから、どのようにコンシャスネスへとつないでいくのかどうか、が当ブログとしては本当に読みたいところである。

7)当ブログが読み込みつつある「BIHL」には、ジャイナ経典の「サマヤサーラ」がリストアップされている。インド語でも希少本であるだろうし、英語に翻訳もされていなさそうだ。日本人としてはギブアップか、と思いきや、実はネットに全文がアップされているという。

8)Googleがどうであろうと、ブック検索がどうであろうと、ネット社会が維持されるかぎり、表現物がグローバルに共有される流れを阻止することは困難だ。いずれはなんらかの形でインテグラルされていくことは当然の流れである。

9)であればこそ、著作権やら図書館の維持やらという問題も大きなテーマではあるが、当ブログでは、そこで最も重要な意味を持つ、コンシャスネスこそ、ターゲットとすべきものであると直感する。

 グーグルという具体的な企業そのものが危険な存在であると主張しているわけではない。ここで強調しておきたいのは、情報の寡占・独占と表裏一体であるデジタルアーカイブというシステム自体が、表現の自由、言論の自由の確保という問題と切り離されて構築されていくことへの危惧である。
 情報の独占や流通の寡占を防ぐためには、情報アクセスの多様性を確保することが最重要である。
p181植村八潮「解説」

 もっともなことだと思う。情報の独占や流通の寡占を防ぎ、表現の自由、言論の自由を確保しながら、そこで「意識の可能性」の追求が最大限に行われることを期待する。人間とは何か、意識とはなにか。人間の可能性を追求するとはどういうことであろうか。

 コンテナにけるマイクロソフト社、コンテンツにおけるGoogle社に次ぐ、コンシャスネス分野における未来の覇者は、今、どこにいるだろう。個人的には、リナックスやセカンドライフにその萌芽を期待してきたが、どうも、はっきりと見えているものはまだない。

|

« ギータ・ゴーヴィンダ<3> | トップページ | 菩提達磨の弟子たちの記録 <5> »

41)No Earth No Humanity」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: グーグルに異議あり!:

« ギータ・ゴーヴィンダ<3> | トップページ | 菩提達磨の弟子たちの記録 <5> »