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2010/08/04

イーシャ・ウパニシャッド 存在の鼓動<3>

<2>からつづく

イーシャ・ウパニシャッド
「イーシャ・ウパニシャッド」 存在の鼓動<2>
OSHO/スワミ・ボーディ・マニッシュ 1998/07 市民出版社 単行本 461p
☆☆☆☆

 例えばこの本は「シーポヨ・リスト」には載っていない。この本を手に取っただけでは、講話の時期や、原書が出た時期、もともと英語で語られたのか、ヒンディー語で語られたのかさえ、定かではない。これは邦訳を作る時の出版社の姿勢に問題があると、思う。読者がそれをチェックするかどうかはともかくとして、出版社としての姿勢には大きな問題がある。意図的にまぜこぜにしてしまうことも可能だが、それはもともとの違いが分かっていてできることだ。新しい読者は混乱するに違いない。

 当ブログでは、個人的な整理のために、上記シーポヨ・リストをベースとして、K'sリストを上書きしながら、今まで読んで来たOsho本をリンクする作業に着手したところだ。部分的に、脈絡なく紹介されてきたOsho本だが、翻訳や出版にかかわる人々の御苦労とはうらはらに、一読者でしかない当ブログは、わりと平然と勝手な意見を持ってしまう。

 今回も、この本は手元に一カ月あった。Osho本はほとんど手元にあるのだが、発売と同時に入手(あるいは発売前から送られてきた)した本の多かった前期と比べ、わがOsho本読書ライフの後半は、むしろ、ゆっくりとOsho本を入手することが多くなった。他の本と同じように、本当に自分に必要で、しかも数千円というこづかいを供出するに足るタイムリーな本なのかどうか、という判断がかなり働くようになったのである。

 この「イーシャ・ウパニシャッド」もいずれは我が書庫に収まるのだが、ゆっくりとその間合いを縮めようとしているところだ。最初の2週間が過ぎ、延長の2週間がすぎ、あっという間に一カ月が過ぎた。今日が返却日、今回もまた、良く読みこまないまま終わってしまった。

 「この本、面白くないな、と思ったら、どうする?」と、なんの説明もなく奥さんに質問してみた。「そんなのすぐやめる。面白くない本を読まなくてはならない、というほど苦痛なことはないじゃん」ときた。う~ん、実際にはそれが本当だろうな。だけど、別にマゾフィズムに陥ってしまったわけではないが、「面白くない」本を手にして、なんで面白くないんだろう、と考えてしまうのも、当ブログのいつもの習癖だった。

1)もともとつまらない本だから。

2)作り方が悪いから。

3)内容がないから。

4)自分の関心と重なっていないから。

5)すでに卒業している内容だから。

6)まだ、読むべき時期に来ていないから。

7)読む角度が違うから。

8)短すぎるから、あるいは、長すぎるから。

9)なにか、腹に一物あるから。

10)読解力がないから。

11)え~と、それから、それから・・・

 面白くない」理由は、数えあげればいくつもでてくるだろう。むしろ本当に面白いと思える本に出会うことのほうが数少なくて、面白い本にであうために、多くの面白くない本を手にしている、ということもできる。しかし、面白い本が、いつまでも自分にとって面白いと限らず、以前は面白くなかったのに、ある時から俄然として超「面白い」本に変貌してくることも、自分の体験としてよく知っている。

 この「イーシャ・ウパニシャッド」を読むには、まず、なにか一工夫が必要だ。「OSHO講話タイトル:年代順(工事中)」の中のいわゆる「初期講話」の中にも、「セックスから超意識へ」「未知への扉」「秘教の心理学」など、「面白く」読んだ本もある。だが、当ブログとしては最初に読んだ「究極の錬金術」などは、何年も経過しても、いまだに読み進めていない。

 最近登場した新説がある。それは、後期においてはリアルタイムにその講話を知っているが、ちょうど接点としてあった1975年の「存在の詩」あたりで、ようやくOshoと読者としての波動がようやく合致したのであり、それ以前は、探求者としての私の要求がそれだけ成熟していなかったのではないか、ということ。だから、例えば1968年の講話、と言われれば、1968年の中学生だった自分が思い出され、その時点での自分の探求心がどれほどのことだったかが思い出されてしまい、それが邪魔するのではないか、ということ。

 この本、私の他にはリクエストが入っていないので、またすぐ私のところにリターンしてくるのだが、はて、すぐ読めるかな。BIHL2-8「イーシャ・ウパニシャッド」が入っているかぎり、本家本元のこの本もキチンと読み進める必要がある。

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