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2010/08/01

ニーチェ入門 悦ばしき哲学

ニーチェ入門
「ニーチェ入門」 悦ばしき哲学
Kawade道の手帖 2010/06 河出書房新社 単行本 207p
Vol.3 No.0081

 超訳ニーチェの言葉」で、超カンタンにニーチェの全貌を把握するのなら、やっぱり、こちらの「入門」で補完しておかないと、なんだか中途半端で落ち着かない。もちろん、解説本を一冊二冊読んだからと言って、この百数十年間にニーチェが地球上に放ってきた光の総量を受け取ることはできない。ただ、この「ニーチェ入門」は、ごくごく新刊なのがうれしい。そして、なんと、ほとんどの文章が「ですます」調で来ている。

 1900年(明治33年)ニーチェの死が報じられると欧米でも日本でもニーチェが大きく取りあげられ、彼の思想は広く知れわたりました。明治34年8月に樗牛が「美的生活を論ず」を発表すると、人々は一斉に樗牛のこの新規な主張に注目しました。

 本能の満足こそ美的生活で、人生の至樂は性欲の満足にある、一方知識道徳は相対的価値を持つだけだという極端な論旨は、つい最近まで日本主義を振りかざしていた樗牛の発言だけに世の人々を唖然とさせたのです。

 すぐさま多くの雑誌に美的生活論の是非を論ずる記事が続出しました。なかでも登張竹風が樗牛の思想はニーチェ主義に基づくと解説したことから、美的生活論即ニーチェ主義という通説が成り立ち、ニーチェ論議へと発展していったのです。p163杉田弘子「ニーチェと格闘した近代日本の知性たち」

 高山樗牛については、個人的に思い入れがある。高校を卒業してすぐ友人達とコミューン(ごっこ)を始め、そこを起点として、日本一周ヒッチハイクの旅を試みた。その時、自分たちのグループ名をつけようということになり、結局は近くの森林公園になじんだ名前になったのだが、反対側の丘の上には、樗牛ゆかりの景勝地があり、そこには樹齢600年の松の老大木があった。

 その松の元で、旧制二高で学んでいた時、かなわぬ恋を嘆き、樗牛は海岸線をみながら瞑想をしたという。それにちなんで「瞑想の松」と名づけられていた。必ずしもこの人物のことについて詳しく知っていたわけでもなかったが、この松にちなんで、私たちのグループ名のひとつは「瞑想の松ビューロー」と名付けられた。

 近くを迂回する公共バスの名前は「瞑想の松循環」というラインであった。すでに地名として馴染んでおり、誰ひとり不思議にも思わないネーミングだったが、今考えても、なかなか感慨深いバスの行く先ではないか。私に文才があれば、いつかこの松をテーマに小説を書こうと思ってきたのだが、果たせないでいる。無い袖は振れない。

 この当時72年、私は18歳。ここから始まった私の旅は、結局、75年にOsho「存在の詩」と出会う旅に連なり、77年にインドに向かい、翌年末に帰国して瞑想センターなるものを立ち上げることになった。「瞑想の松ビューロー」から「瞑想センター」へ。いわずもがなの破天荒な青春時代ではあったが、あれから40年近く経過してみると、結構ダイレクトに敷かれた軌道の上に、私たちの青春もあったのかも知れない。

 樗牛は、1871年に生まれて、結核によってわずか31歳で死んでしまいます。しかもその思想は極端から極端へと言っていいほど振幅が激しい。樗牛自身、大学やアカデミズムを攻撃するのですが、「博士」にこだわるなど、制度や体制に対して非常にアンビバレントな態度をとっていた。

 その中で超保守主義と言ってもいい樗牛の日本主義が出てくる。さにはその過激な思想を突き詰めた果てに、不安や懐疑をもって自己を見つめるようになる。ニーチェと出会い、日蓮に向かうのはちょうどその頃です。

 そしてニーチェの死に同時代人として立ち向かうことになる。ニーチェの死の直後に「文明批評家としての文学者」を提出します。この論考はニーチェを介して、人間が生きる上でもっとも重要なのは社会や歴史ではないと主張したものです。

 アンチ歴史主義を真正面から論じたものです。時代的な限界としてニーチェの「力への意志」をそのまま読み込んだものではありませんが、何よりもまずニーチェは社会や歴史にアンチを唱えた人だと高山樗牛はとらえるわけです。

 人間にとって「美」を求める個人的な欲望(欲動)こそが最も大切なものである。さらに、そもそも文学は社会の役にたたない、だけれどもそこに別個の価値はあるのではないかということで、樗牛は次なる論考「美的生活を論ず」に進んでいきます。

 ニーチェが「力」と呼んだものを樗牛は「美」と読み替えていくのです。(ただしこの論考にはニーチェは直接登場しません)。その樗牛をサポートしたのが、アカデミズムでドイツ文学を論じ、宗教学を論じた登張竹風と姉崎嘲風です。p180安藤礼二「ニーチェと日本人」

 安藤礼二の名前は、「村上春樹『1Q84』をどう読むか」などで当ブログにも登場した。あの本もそうだったが、こちらも結構「クラウドソーシング」な一冊と言える。ここで登場する登張竹風こそ「如是経 一名 光炎菩薩大獅子吼経 序品 つあらとうすとら」を大正10年(1921)に著した登張信一郎である。

 樗牛は日蓮をイエスのような存在として考えている。樗牛の「文明批評家としての文学者」や「美的生活を論ず」をニーチェの名のもとに擁護した、つまり樗牛=ニーチェという図式を仕上げた張本人である登張は親鸞の言葉をそのなかに溶かし込むような形で「ツァトウストラ」を訳す。その冒頭はこう始まります。「光炎菩薩、御歳三十にして、その故郷を去り、故郷の湖辺を去り、遠く山に入りたまへり」。

 ツァラトゥストラが光炎菩薩に変貌を遂げているのです。樗牛の日蓮と登張の親鸞。日蓮の法華経と親鸞の浄土真宗は鎌倉時代に仏教の革命的な論理となり、明治期でもまた新たな宗教改革の、そして社会改革の論理となろうとしていた。ニーチェの新時代の紹介者がそれぞれニーチェと日蓮、ニーチェと親鸞を重さね合わせていることは非常に象徴的だと思います。p182安藤礼二「ニーチェと日本人」

 この時代の思想界には、なんでもありの自由奔放な試行錯誤があった。

 高山樗牛が美的生活論を書いて国家主義から個人主義へ転向した明治34年は幸徳秋水が「二十世紀の怪物帝国主義」を書き、社会民主党が結成され即日解散された年でした。日進戦争後日本の資本主義は急速に発達しましたが、その結果生じたのは政財界の癒着による社会的腐敗や目を覆うばかりの貧富の格差です。時は日露戦争勃発前夜で非戦論は幸徳秋水や堺利彦などの社会主義者ばかりか無境界派のクリスチャン内村鑑三も非戦の論陣を張り、多くの若者が彼に心酔しました。p167杉田弘子「ニーチェと格闘した近代日本の知性たち」

 読みようによっては、このクラウドソーシングの一冊は、さまざまなリンクを創り出し、当ブログにおいて、画期的な地平を切り開くだろう。しかし、ことはそう簡単にいきそうにない。

 本家本元のない時代が到来する前に、本家本元をもたないことをニーチェは教えてくれたわけですから、その多様なあり方が重要になると思います。それはこれからヨーロッパの人も知らなくてはいけないし、日本のニーチェ受容だってやらなくてはならないでしょう。もういちど断っておきますが、それは「高山樗牛とニーチェ」とか、「魯迅とニーチェ」とかいうケース・スタディーやカントリー・レポートではだめです。p84三島憲一「世界はニーチェをどう読んできたのか」

 21世紀の今日、真に問われているのは、ニーチェでもなければ、それを受け止めたその時代の人々のことでもない。問われているのは、21世紀においてニーチェを読んでいる私たち自身だし、21世紀地球人たちのスピリチュアリティである。

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41)No Earth No Humanity」カテゴリの記事

コメント

例のロータススートラは、当時、編集者Mからリクエストがあり、必死の思いで書いたもので、数か月間の彼のサポートがあったからこそ書けたものでした。
あの時のような必然性や、具体的な強力なサポートがないと私には無理です。
また、小さなミニコミに書く、ということと、グローバルにオープンなブログに書く、ということでは、どう違うのか、確かめている最中です。
ラオツ氏にはほぼ毎日アクセスしていただいているし、ときおりの質問やら助言、感謝しています。

投稿: Bhavesh | 2010/08/02 13:59

小説を書こうと思ってきたが果たせないで
いるとあってクリックしたら<ロータススートラ>がでてきたので思いついたことを
書き込みましたが、けっして説得する気など、毛頭ないです あくまでブログの一部にですが応答したつもりでしたが。。。
バーチャルな存在からの書き込みがご不快なら、書き込みはご遠慮しておきます
ハワイにホ.オポノポノ?とかありましたよね Sorry, Forgive me,ALOHA,
Thank you

投稿: ラオツ | 2010/08/02 12:58

このブログは誰かのリクエストがあって書いているわけではないので、自分がそのような気分になったら、次も書けるかもわからないですね。
それに、ネット上のバーチャルな存在からのリクエストは私には、説得力があまりないんです。
何かをするのなら、まずは、隗より始めよで、いきましょう。

投稿: Bhavesh | 2010/08/02 12:14

どこかで、このブログは<湧き出ずるロータススートラ>の続編だと
続編じゃなくって、走り書きで
おわってしまっている本編を書いて下さい
<エスリン~アメリカの覚醒>は
貴重な記録だと~それにリンクしていると
一度書いたけど、とらえ方の問題と
片付けていたようだけど?~その日本編、
<ラジニーシ~日本の覚醒>として
<湧き出ロータススートラ>を(^^)
とくにアディタナ?アイコ、プラブッダ
初期の顔も知らないのも多いですが
どういう経緯でバグワンを見つけたのか
興味深いね 生き残っている人がいるうちに
誰かが貴重な記録として残してほしい
小説にするのならNHKの朝ドラで現在
「ゲゲゲの女房」がヒットしているけど
ああいう風になってもおもしろい

投稿: ラオツ | 2010/08/02 11:36

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