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2010/08/05

超訳『資本論』

超訳『資本論』 (祥伝社新書 111)
「超訳『資本論』」  
的場 昭弘 (著) 2008/4 祥伝社 新書: 352p
Vol.3 No.0085☆☆☆★★

 BIHL12-3、カール・マルクス「資本論」。「私の愛した本」を読むにあたって、まず第一目に資本論のところを抜き出していたのだから、それ以前の私は、むしろこのマルキシズムに近いほうの本に関心を持っていた、ということになる。ただ、Osho自身は、わざわざ「それを読まないように」とコメントし、しかも、そこにアンダーラインを引け、とまで言っている。

 読めと言われば読みたくなくなり、読むなと言われれば、なんだか読みたくなってしまうのが、ひねくれ者の常だが、じゃぁ、読んでやろうじゃないか言って簡単に読める本ではない。的場昭弘の近著に「新訳『共産党宣言』」がある。あちらは、あんなに薄い「共産党宣言」をよくまぁ現代においてこんなに分厚い本にできるなぁ、と関心したが、こちらは、あれほどの大冊「資本論」をよくまぁ新書一冊にしたものだ、と感心至極。

 「歴史的大書が新書1冊に!」の腰巻コピーが躍っているが、今ググってみたら、なんとこの本には続編、続々編があるらしく、なんだ、「新書1冊」にまとまっていないじゃないか、と、ちょっとがっかり。近くの図書館には入庫していないので、そこまで追っかけて読むほどではないが、いずれBIHLトリップの中で「資本論」を読まなければならないとしたら、この的場の一連の書物は一読に値するのではないか、と推測しておく。

 ---スピノザのために弟子がしたことを、マルクスはヘーゲルのために行なった。しかしである。「マルクスのために」誰が進んで助けようとしているのか。だれもいないでいないではないか、だから私がやろう、と。p46的場

 なるほどね、その心意気やよし。

 認識論という次元で見れば、マルクスの理解はやはり19世紀のレベルにあるわけです。物理学的世界においても、眼に映るものが光という外の刺激によって刻印されているだけだという議論は、今ではなされないわけですね。脳科学の発展によって、どう認識するかという主体の側の問題も議論されている。ものが何かを表わそうとしているレベルと、それをどう人間が理解しようというレベルは違う。だから商品のレベルと同じことが言える。p81的場「第1章 商品」

 マルクスにはマルクスのアルファベットがある。そのアルゴリズムを学ぶところまで、当ブログに力はない。

 こうした分野として服飾産業をあげます。革命をもたらしたのはミシンだと---。
 ミシンの導入によって男性労働者が駆逐され、女工がそれに取って代わったのでした。最初は小ミシン所有者が仕事をしていましたが、ミシンの低廉化で大規模なミシン所有者がこれらを駆逐します。こうして小規模のマニュファクチャ、家内工業が主だった分野で工場経営が進んだのです。
p216的場「機械装置と大工業」

 日本語でミシンと言われるものは、ソーイング・マシンのこと。マシンがなまってミシンになった。当時の家庭における「機械」はソーイング・マシンしかなかったから、家庭用マシンと言えばすぐ「ミシン」のことを意味するようになった。現在、携帯電話が「ケータイ」と総称されるようになりつつある現象にやや似ている。

 グルジェフはミシンの修理でひと儲けした。ミシンの歴史を追っかけることはなかなか興味深い。さて、一般過程に入ってきた「機械」の一番最初がミシンだったとしたら、その一番最新のものは「パソコン」だろう。究極の「機械装置」だ。しかし、そのパソコンも、「クラウド・コンピューティング」の進行によって、またまた「大工業」のシステムの中に組み込まれつつある。19世紀の「資本論」を、21世紀的に読みなおしてみるのも、価値なしとしない。

 労働者もだまっていない
 だからこそ、その秘密を労働者が知るとどうなるか。それは労働組合が失業者を組織しはじめるときに怒ります。これは資本にとっては快適な衝撃をあたえるわけですから、何がなんでも止めなければならないことです。
p291的場「第23章 資本主義的蓄積の一般法則」

 なるほど、現在でも世界の労働組合は、派遣、フリーター、請負などの労働者、さらには失業者との連携を行おうとしています。資本家にとって、これは困る。しかし一般には、とりわけ多くの日本の労働者は、マルクスの言葉とは違って、労働者自体が困る、自らの賃金を下げるのではないかと恐れています。p292的場「第23章 資本主義気的蓄積の一般法則」

 さぁ、いよいよキナ臭くなってきたぞ。

 この本の一部は、短い間だが、ミクシィのサイトで公開されていたという。著者のミクシィ名はmarxだとか。

 マルクスは革命家であったわけです。革命家として資本主義社会の根幹をつかみ、未来社会を構想しようとしました。その際のキーワードは階級闘争です。プロレタリアートの中に未来の世界を見たというのは、もちろん彼らへの同情があったからですが、しかし、彼は同情なんかでプロレタリアートを支援していません。歴史を動かす大きな客観的な力をそこに読みこんでいるのです。p15的場「マルクスは現代を変える革命家です」

 当ブログとしては、この19世紀的プロレタリアートを21世紀的マルチチュードと読み変えているわけだ。そして、その際のキーワードを「コンシャスネス」にしようとしている。それらは「革命家」とは呼ばれないかもしれないが、革命的存在にはなりうるはずだ。

<第2巻>につづく

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