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2010/08/27

貧者の領域  誰が排除されているのか

貧者の領域
「貧者の領域」 誰が排除されているのか
西沢晃彦 2010/02 河出書房新社 全集・双書 220p
Vol.3 No.0125☆☆☆☆★

 かつて私の子供時代、親戚に「コウベのおじさん」という人がいた。この人、どうやら神戸でそれなりの立場のある愛されるべき人物だったらしいが、私は一度もあったことがなかった。親戚に誰彼の話に登場するエピソードで、子供心に、その人物の存在感を楽しんでいたのである。

 コウベのおじさんは、なにか都合の悪いことがあったのか、神戸の都会を離れて地方に落ち伸び、当時、橋の下で暮らしていたのである。地方の農家や町家の一日仕事を請け負っては日々をすごしていたらしい。昭和30年代のことである。ボロをきたまま家々をまわる乞つ食きの人々もそれなりに受け入れられていたし、町並みのはずれの家は、掘立小屋のようなところもあった。

 いつの間にか、コウベの叔父さんの話しはでなくなった。亡くなったのか、あるいは、戦後の高度成長の波が彼を救ったのか、橋の下で暮らしている、という身分ではなくなったようだった。

 高校をでてヒッチハイクで日本一周した時、バックパッキングの身軽さからどこでも寝た。駅や屋根付きバス停はもちろん、工事現場のヒューム管の中(まるで、おそ松の漫画にでてくるような風景)や、小学校の校庭の片隅とか、海岸の網干し小屋とか、お寺のお堂とか、まぁ、毎日毎日がそれこそ風のふくままであった。

 ある時、ヒッチハイクで乗せてくれる車がなくて、何キロも何十キロもトボトボと歩いていたことがある。雨の降った日や、大都市近郊、日曜祭日などは、なかなかヒッチハイクがうまくいかない。

 ふと見ると、前のほうを、私と似たように歩いている人があった。彼はバックパッキンングではなかったが、手荷物を下げ、一人無言で歩いていた。その身なりからして決して裕福ではなかったのはすぐわかった。こちらも何日も風呂にも入らないヒッピースタイルだったが、彼はむしろ、その道のプロ、つまり乞つ食きの人であった。

 私は、ああ、ここに先輩がいる、とさえ思った。知らない町の知らない道をトボトボ歩いている私にとって、知っている人がいるわけではない。誰にも助けられずに歩いている自分にとって、すくなくとも、おなじ道の前をあるいている、ちょっと猫背の彼は、人生の先輩に見えた。

 しかし、何キロか歩いてついていくと、彼は、急に左に折れ、畑の中に入っていった。何をするんだろうと、その歩いていく先を見ると、そこには、小屋があった。段ボールやブルーシートのない時代である。それは、竹や杭、むしろや笹竹で覆われていた。そこが彼の住まいであることはすぐにわかった。

 ああ、あそこはあの人の家なんだなぁ。と、ふと気付くとともに、その時、自分には、自分の「家」というものさえないことに気づいた。あの人は決して豊かだとは言えない。いや、それこそ、貧者として排除され、ここの村はずれの畑の中で暮らしているのだ。しかし、私にはその、暮らしさえない。

 私はあれから、いろいろな境遇になったが、いわゆるホームレスになったことはない。それから何度もヒッチハイクしたし、インドやあちことを旅した。寮暮らしや、病室暮らしもしたが、やっぱり私には「家」が必要だった。「貧困」についての個人的体験は、書き始めるととめどなくでてくるので、今日はここまでにしておく。あとは、後日。

 90年代以降の「ホームレス問題」は、60年代の寄せ場暴動以来の隠蔽の失敗であるといえる。p125「崩壊する暗黙の連携」

 70年代、80年代には確かに表面化しなくなった「貧困」の問題は、90年代、そして21世紀の今日になって、やおら現実性を増して、日本社会の前面に噴出してきているようだ。

 G・ドゥルーズは1990年に発表されたT・ネグリによるインタビューにおいて、現代が、学校、工場、兵舎、病院などが施設への監禁(とそこでの治療)を主たる統治の技法とする規律社会から、「開放環境における休みなき管理」と「瞬時に成り立つコミュニケーション」によって人々を律する管理社会への移行期であることを指摘しているが、そのような管理様式は、東京の野宿者においてはグロテスクなかたちですでに実現しつつあるといえる。p127

 労働者、ルンペンプロレタリアート、未組織労働者に向けて、いまただちに「万国の労働者、団結せよ」マルクスが激を飛ばしたとしても、解決するものごとではない。そして、本当の豊かさや貧しさは、どこからくるのかを、真剣に考えなくてはいけない。

 診察に来る人の中には、有名人や経営者でお金もたくさん持っている人もいるけど、でも自分では独りだとか、友達がいない、集まってくる人はみんな金目当てと嘆いている人もいて・・・香山リカ勝間さん、努力で幸せになれますか」p54

 精神科医としての香山は、感性的に、社会のひずみを、物質的な部分だけではなく、構造的な精神性について指摘しているかのようである(それが成功しているかどうかはともかく)。

 それはネットの中だけ、ある程度の知的な階層のあいだだけ、情報弱者じゃない人たちだけ、にとどまっているような印象を受けますが。そういう限られた人たちの利他的な行動が、現実に食べるにも困っているような人たちにまで浸透していくための突破口はあるのでしょうか。香山リカ勝間さん、努力で幸せになれますか」p153

 貧困やホームレスの問題は、決してその場的ではなく、物事の全体、人間性の全体の中で、考えられていかなくてはならない。

 人もまた、「正義」だとか、「愛」だとか「夢」だとかそうした余計な口上にあ耳を塞ぐことにして、よくよく見れば生きているということ自体が実に味わい深いではないか。p186西澤「あとがき」

 路上に生まれ、親からホウキ一本を手渡され、裸同然で店頭の掃除をしながら日々の暮らしを立てて一生を終るインドの低カーストの人々。そこに怒りや社会の矛盾を感じない人の方が少ないであろうが、また、マヌ法典で裏打ちされるヒンドゥー社会の「智慧」を高く評価する声も多い。

 社会学者西澤晃彦に見えている「街角」もまた、当ブログに見えている「街角」とも、生活に供される路地でつながる地続きゾーンである。 

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