「ツイッター」でビジネスが変わる! グーグルを越える情報革命
「ツイッター」でビジネスが変わる! グーグルを越える情報革命
ジョエル・コム/小林啓倫 2010/01 ディスカヴァー・トゥエンティワン 単行本
Vol.3 No.0101☆☆☆☆★
気がついて見れば図書館にも、今を盛りに「ツイッター本」は何冊も入っている。すこしづつテーマをずらしてはいるが、概して似たような傾向になるのは仕方ない。これはアメリカ人による評論だから、すこし視点は違うかな、と期待した。
でも、もともと「Twitter Power」である原題がなんで「『ツィッター』でビジネスが変わる!」になってしまうのか、いつもこの手の本を読むときに感じることだ。このようなタイトルにしないと日本では売れないのだろうか。できれば、「『ツィッター』で意識が変わる!」程度にしていただくと、当ブログとしては取り上げやすい。
とはいうものの、結局、読み終わってみれば、この邦訳タイトルがふさわしいような一冊だった。このようなモチベーションがないと、さまざまな起業がすすまないのだろうが、どうも、ビジネス、という単語に逆反応する自分がいる。自分だってリアルな世界ではまさにビジネスパーソンなのであるし、日々のビジネスからは逃れることはできない。
ヴァーチャルな世界としてのネット社会に、もろにビジネスを持ち込むことを躊躇する自分がいる。趣味とか、逃避先としてのネット社会が、私の場合、意味を持っているのだろう。
産婦人科医と掛けて、遊園地の従業員、と解く。その答えは、他人の遊び場が、私の職場です。という謎かけがあったが、ネット社会こそビジネスだ、とばかりに、息せき切って飛び込んでくる人々に対しては、私はいつも冷やかだ。
ケン・ブランチャードはかつて、人生をゲームのモノポリーにたとえた。いくら多くの土地を購入し、多くの家を建てたとしても、ゲームが終われば「すべては箱の中に還る」。私たちが最終的に手にできるのは、他人との間に育んだ関係、自分が影響を与えた人々、そして自分に影響を与えてくれた人々だけである。私たちに残されるのは、他人と共有した体験だけなのだ。p2
これって、本当なのかなぁ。先日読んだ「修証儀」にはこうある。
無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身巳に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに隋い行くは只是れ善悪業等のみなり。「お経 禅宗」p99
最終的には、土地も家も持っていけないは当然のこととして、他人との関係や、自分が影響を与えた人や与えてくれた人々も連れてはいけないのだ。「他人と共有した体験」だけなんてことはあり得ない。修証儀では「無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し」とある。
「唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに隋い行くは只是れ善悪業等のみなり。」という言葉は当ブログのセンスではないが、すくなくとも「私」さえ行かない可能性があるのだ。ただ意識だけがあるのだ。
あの「お経 禅宗」の表紙を書いているのは横尾忠則。ごくごく最近私も始めてみたツイッター だが、いままでのところ、自分がつぶやくのも、他人のつぶやきをフォローするのもまだ十分できていない。すこしづつフォローしている人の一人に横尾忠則氏 がいる。今日の氏のつぶやきはこうだ。
ぼくは毎日同じぼくを感じることはできない。明日のぼくは今日のぼくが感じたぼくはもういない。だから明日のぼくは新しいぼくだ。
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コメント
店頭で小さなキーボードで入力中。慣れればできないこともない。
投稿: Bhavesh | 2010/08/19 17:46
>普通の携帯でツイッターをやっていた人たちが、僕の回りではどんどんとアイフォンやアンドロイドに乗り換えて行ってます。
なるほど、その意味はわかります。
投稿: Bhavesh | 2010/08/18 22:47
「『ツイッター』で<意識>が変わる!グーグルを越える<意識>革命」
これは起き始めてると思うよ。ジャーナリズムやメディアが変わると思います。
フリーのジャーナリストの方達が、ツイッターで双方向のジャーナリズムを開拓していってます。あと、政治家がマスコミに頼らない直接の報道とかね。
僕がツイッターを読むのは、アンドロイドがメインになってます。机を離れてるときに読む。ベッドや、お茶を飲んでたり、散歩先とか。
で、結構良いリンクももらえるんで、ブラウザーがそれなりにしっかりしている必要があります。
ユーチューブのリンクも来るんで、ユーチューブが見れる必要があるとかね。
ツイッターを多用するようになってから、RSSリーダを読む時間がなくなりました。で、読んだ人からのお勧めのURLを読む方が、RSSリーダで全部に目を通すよりも、有用かも?って思ってみたり。
フォローも50人から100人くらいになって、ツイッターを読むのが楽しくなって来ます。そうなると、ツイッターのリスト機能を使ったり、複数アカウントでの使用をしたりと、いろいろとこなす必要が出てくるんですけどね。
ツイッターを読みやすいアプリを選んでみたりとか・・・
普通の携帯でツイッターをやっていた人たちが、僕の回りではどんどんとアイフォンやアンドロイドに乗り換えて行ってます。
140文字制限の良さは、たくさんの人の書き込みに目を通せるってことですよね。で、半分の70文字くらいのツイートだと、一目で意味が取れて、読む読まないの判断が出来たりする。
投稿: setu | 2010/08/18 20:13
140文字の意味は確かに違ってきますね。これ、中国語だったら、もっといっぱい意味を込めることができるかもね。
もともと、掲示板やメールでも、みんなの短い文章を読んで感心していたのだけど。
私などは毎回だらだら長文になってしまうので、物足りない気もするが、逆にそれに慣れることによって、もっとすっきりした思考体系ができあがるかも。
投稿: Bhavesh | 2010/08/18 05:18
日本と米国の基本的に違う状況があるんです。
アルファベットでも140文字なら、漢字でも140文字。
日本語だと英語の倍位の情報を書くことが出来ちゃう。
英語のツイートってほんとうに「つぶやき」程度だけど、
日本語だと、結構内容があるんですよね。
たまに英語のツイートを日本語にしたり、
日本語のツイートを英語にしたりしてますが、
本当に、日本語は倍の情報量です。
日本語で1つのツイートを翻訳すると、
英語では二つのツイートになります。
たまに三つ必要。
自然と、使われ方が違ってくるんじゃないかと思います。
投稿: setu | 2010/08/17 20:38