携帯& iPhoneツイッターを使いこなす! <1>140文字の「つぶやき」は最強の情報ツール!
「携帯& iPhoneツイッターを使いこなす!」 <1>140文字の「つぶやき」は最強の情報ツール!
武井一巳 2010/03 日本文芸社 新書 222p
Vol.3 No.0109☆☆☆☆★
「iPhoneでツイッター」と言ったら、とりあえず当ブログの現在のひとつの極となるテーマではある。今頃そんなこと言っていたら、それこそサルにも笑われてしまうかもしれない。しかし、それでもそれが当ブログの「なう」なのだから、まぁ、いいじゃないですか。
この本を読んでいて、ひとつのイメージが湧いてきた。決していいイメージではない。つまり、マルチ販売のこと。マルチが好きな人は好きなようだ。ある一つのサービスが始まり、上にならないといけない、ということで、早目に会員になる。会員になった人は、どんどん下を作っていく。ある程度のところに来ると、ヘッドの何人かが捕まる。そして、そのサービスは一応の終局を迎える。
ところが、花が咲いて、ちいさな種がばらまかれるように、指導層ではあったが、捕まらなかった有力メンバーが何人かでコアグループをつくり、またあたらしい商品を媒介としたマルチを始める。新しい人脈も混入してくるが、以前のネットワークが行き場を失っていたところだったので、渡りに船と、新しいサービスに入ってくる。入ってくるばかりでなく、大きな骨格となり支えるようになる。
そして、いつの間にか、また何人かが捕まり、そのサービスも終局を迎える。そして、また新たなるリーダーが生れ、新しい商品が作られ、新しいネットワークが生れる。そして、その連鎖が繰り返される。毎回、違ったグループの名前で、違ったサービスのように思えるのだが、実態は、同じような仲間達が、同じ様な仕組みで、結局その世界に蠢きあっている。
これは単なるイメージだ。実際にそのような動きがあったら、すでに誰かがうまいこと小説にでもしているだろう。これは実業だとか、金融業だとか、あるいは思想運動や、政治活動などでもあることだろう。とにかく、そのような連鎖が、この本を読んでいて、イメージとして湧いてきた。
ツイッターは、本当に新しいのだろうか。パソコン通信、メーリングリスト、ホームページ、巨大掲示板、ブログ、SNS、などのサービスの変遷を見ていると、結局、その後ろで蠢いているのは、いつも同じような人々だったのではないか。同じ様な面々が、今回はツイッターという新しい装いのもと、お色直しをして登場してきた、というイメージがどうしてもつきまとう。
初期的なパソコン通信あたりでは内輪だけであったし、某巨大啓示版などでは、まったくの実名性に隠れた所業が多かったのに、SNSでは比較的、相互理解の人間関係を重視し始めた。ブログなどでは、ひとり個人で立つ人も増えてきた。そして、ツイッターでは面白いことに、、実名でネット上に登場し、活動する人が増えてきたように思う。
つまり、ネット社会は、さまざまな変遷をたどりながら、個人個人は結構鍛え上げられてきた、と言えるかもしれない。成熟してきたと言えばそう言えないこともない。あるいは、ちいさな動きがすこしづつまとめられてきて、全体的になってきたとも言える。すくなくとも、私はこの20年間、ネット上では、結局、どこに行っても、コアとなる友人グループと出会うことになる。そして、その人々の「成長」過程をみていると、性懲りもせずに、まだネット上で「活躍」しておられますなぁ、と思う。もちろん、私もだらだらしていて、凝り性がないようだ。
面白いサービスが始まったと聞き、ツイッターのアカウントを作ったのは、2007年の春だった。ブログサービスが落ち着き、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に急速に人気が移行しようしようとしている時期だった。p003
そのSNSが一定程度の爛熟期にさしかからんとする時、新たなるサービスが台頭してきたというわけだ。それは「新し」ければ新しいほどいい。なにかまったく別の違ったものが始まったような気がするからだ。だけど、それを支えているのは、結構もの好きな同じメンバーだったりするのではないだろうか。
「ツイッターをビジネス」に、なんていう台詞を聴いていると、ほんのちょっと前まで、次期ウェッブのセカンドライフに乗り遅れるな、なんて騒いでいた人たちはどこに行ったのだろうか、と思う。きっと、多くの人々は、時代の流れに身を任せて、右往左往しながら、セカンドライフの横を素通りし、今度は、ツイッターまで運ばれてきているのだ。
遅かれ速かれ、ツイッターも頭打ちとなる時期が来る。そしてその頃には、また新たなるサービスが始まろうとするのだ。そして、それなりに「成長」した人々が、その蠢きを支えながら、そちらに流れていく。この人々を、クラウドソーシングと呼んだらいいのだろうか。あるいはマルチチュードと呼んでみたらどうだろうか。どんなサービスが栄枯盛衰しようとも、そこに生きていくのは人間だ。
積極的にツイートを発し、より多くのユーザーをフォローすることで、まずフォロワー100人を目指そう。p199
なんだか、どっかのマルチなビギナーコースのマニュアルを読んでいるようだ。そんなことめざすなよ。10人でも十分な人もいるのだし、黙っても100万人がすぐ集まってしまう人もいる。そもそも積極的に「つぶやかなくてはならない」というのも苦痛だと思うがなぁ。つぶやきたい人はつぶやけばいいが、なにも他人をプッシュするまでもないのではないか。
セカンドライフとツイッターでは、もちろん、対極に位置するサービスだ。片や間口が狭く、奥行が広いので、どこに行っても「誰もいない」。寂しい大陸が永遠と続く。それに比すと、ツイッターは、間口が広い分だけ、混雑している。どこに行っても「人々でいっぱい」だ。
「ブログよりも親近感の強いつぶやきのほうが、フォロワーの目に止まりやすいようです。その意味でも、サイトとブログ、それにツイッターとを使い分ける必要があるでしょう」p294
ほえ~、なんだかなぁ~。ロールスロイスと、ミニと、モーターバイクを使い分ける必要があるでしょう、なんてレクチャされているようで、なんだか窮屈。そんなに意図的になって、ウェブに参加しなければならないのかな。
このサービスで、何人かのスターが生れ、何人かの落ちこぼれが生れる。そして、もうすこしすると、別なサービスが生れ、攻守ところを変えて、また別な形で、みんなで楽しむ、なんてことが繰り返されることだろう。
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