facebook フェイスブック 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男
「facebook」 フェイスブック 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男
ベン・メズリック (著), 夏目 大 (翻訳) 2010/04 青志社 368p
Vol.3 No.0144 ☆★★★★
2010年3月、インターネット上で象徴的な出来事が起きた。
アメリカのインターネット調査会社ヒットワイズによると、3月第2週のアメリカ国内のウェブサイト訪問者数で、世界最大のSNSの「Facebook」が、ネット検索最大手のGoogleを抜き去り、初めて首位に立ったのだ。p2「まえがき」
昨日、世界最大のSNSとやらへの招待状が来た。いや、今回が初めてではない。もうこれ以上SNSは増やさないと決めてだいぶ経つので、今回もパスするつもりではあったが、紹介者が素敵な女性だったので、ついフラフラと登録してしまった(いや、別に、前回は、同年配の男性からの招待だったからパスした、というのは最大の理由ではなかったのだが。タジタジ・・・・)。
さっそく図書館にいくと、この本が目につく。この春に出版されたばかりで、まだ新刊に属する本なのに、一般の開架棚に寂しく並んでいた。せめて新刊本コーナーにでも並べてくれればいいのに。でも、やっぱりこの手の本は人気ないかも。
まず、日本においてはガラパゴス化した某大手SNSが一人勝ちの状態で、いくらアメリカ産の世界最大のSNSと言われても、一般的には、だからFacebookに行こう、という気にはなかなかなれない。日本産SNSのブームはすでに過ぎ去り、弱小SNSは次々と撤退している。淘汰の時代なのである。
さらには、「ビル・ゲイツに迫る」などという表現をされても、はてさて、ビル・ゲイツって誰だっけ、などという今どきの人たちだっているかも知れないぜ。富豪に収まったネット成金は、すでに伝説と化していて、ネットの端末にすがるひとりひとりにとっては、ゲイツはもう話題性としては薄いかもしれない。
さらにだ。アメリカにおける、ウェブサイトの訪問者数のカウントなど、一般ネットワーカーにとっては、あんまり意味がないのではないか。そこに広告をぶら下げるために、常にチェックして一喜一憂しているマーケッター達の他に、それほど話題になることでもないのではないか。
ましてやだ。ルーティンマシンを幾つか作って、訪問者数を稼ぐことなど、ちょっとしたハッカーならすぐプログラミングできたりしちゃうかもしれないぞ。だから、そんなこと、一般の、ましてや日本のネットワーカーにはあんまし、関係ないのじゃ。
この本、その主人公たるマーク・ザッカーバーグについての青春ドラマみたいな作りになっている。「まえがき」で注意書きがしてあるとは言え、何処までが信憑性のある話なのか、よく分からない。ドキュメンタリー風でもあり、歴史小説風でもあり、作り話風でもある。どれでもいいのだが、この「小説」から、今日的問題意識を拾おうとすると、なかなか難しい。
そもそも「世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男」というサブタイトルが示しているように、どこかピンとがずれているのではないかな。SNSにぶら下がるネットワークの、ひとりひとりの個人にとっては、せいぜい100~200人程度のつながりがベストなのであり、何億人と繋がることなど、ホントウは意味がない。むしろ、小さなクローズド・ネットワークのほうがいい場合だってあるのだ。
さらに、SNSを富豪になるためのビジネス・チャンスととらえてしまうこと自体、一般のネットワーカーの第一義から外れてはいまいか。ゲイツに迫ろうが、上場しようが、成功しようが、あるいは破産しようが、撤退しようが、どこか、一般のSNSユーザーからすれば、ちょっとピンとがずれている感じがする。
と、今日のところはメモしておく。
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コメント
☆setu
facebookに限らず欧米では実名と本人の写真で登録しているSNSやブログが多いけれど、日本じゃ、割とそれは少数派。
その傾向が逆転しているのが、某巨大掲示板だったりするかもしれない。
私はどちらかと言えば実名推進派なのだが、仕事上、どうしても実名は避けなければならない実体がある。
ただ、bhaveshという名前はどうやら日本人としては唯一の使用例みたいだし、ベタな実名より、こちらのほうが通っている(笑)。すでに30年以上使っているしね。
投稿: Bhavesh | 2010/09/23 20:51
複数の名刺っていうのはわかりますね。
僕の場合、Facebookでは特に発信していないので、単なる一般窓口になってます。っていうか、英語圏の実際の友人向けの窓口。
投稿: setu | 2010/09/23 16:39
この名刺、って奴だけど、これで結構悩んできたところがある。若い時にミニコミを作っていたのは、旅をする時の自己紹介代わりになるかな、という意図だった。
長じて、社会生活を送るには名刺は不可欠だったのだが、これがうっかりすると、すぐ何種類も出来てしまう。
強面のセールス用、仕事上で押しつけられた企業用、ボランティアの役職用、内輪の趣味用、などなど、出会う人に合わせて何種類もの名刺を使い分けるのに疲れてしまう。
つまり、表の表、表の裏、裏の表、裏の裏、の最低4種類くらいの名刺が必要になるのだ。自分は結構器用に生きているつもりで、アイディンティティを使い分けていたのだったが、これではいけない、と毎回反省したりした。
結局、現在は可能な限り名刺は一枚にしている。メインの名刺が、自分の一番の社会的顔だ、と決めつけてしまう。この方針ですでに10年以上は来ている。
だが・・・・・、これもまた破綻し始めている。そもそも、名刺を一枚だけに絞る、ってことが無理なんだなぁ。やっぱり、自分には裏も表もある。
この悩みはネット上にも持ち込まれていて、ひとつのIDでは、4つのチャネルからのアクセスに対応しきれなくなる。だから、どうしてもネット上では、完全にオープンになり切れない自分がいる。
SNSが好きになったり、嫌いになったりするのは、自分のこういう個人的な側面が災いしているようだ。
「私の職業は寺山修司です」と寺山修司は言ったという。かと思えば、政治家・二階堂進においては「私の趣味は田中角栄だ」と言ったという。まぁ、いろいろな表現があるもんだなぁ、と感心する。
投稿: Bhavesh | 2010/09/19 08:32
なんと言ってもSNSは元々の知り合いがいっぱいいるかどうかで、意味が違ってくると思う。特定のSNSに、何年も何十年も(w)会わなかった人たちがいたりすると、そこがメインの場所になる。
なによりもmixiがいいのは、しばらく会ってなかった知り合いがいっぱい集まりはじめたから。機能とか、そういう問題じゃない。サイト的に参加したい理由があるからそうなるんだけどね。
数年前、たしか2、3年程前から、急に英語で話す知り合いが集まりはじめた。要するに日本人じゃないサニヤシンってことだけど。
集まりはじめると、もっと集まるって感じで、どんどん集まってる。
だから、SNSのアカウントって、電話番号とか、メールアドレスとか、名刺とか、まあ、そんな感じじゃないのかな?
最近は、普通のメールをくれる人が少なくなって、個人的な会話は、mixiのメールや、ツイッターのDM、facebookのメールでやってくることが多くなってます。
結構、知り合いが日本のあちこちに散らばってたり、世界のあちこちに散らばってたりするので、同窓会みたいそんな感じ。顔見知りだけど話した事ない人とつながってみたり。
そういうわけで、ネットは仮想社会じゃない部分が大きいかも。で、ネットで知り合った人も、元々知っている人の友達だったりする事が多いです。
と、つい、長文を書いちゃいました。うちにも持ち帰ります(w
投稿: setu | 2010/09/19 03:54