人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線
「人間らしさとはなにか?」人間のユニークさを明かす科学の最前線
マイケル・S.ガザニガ/柴田裕之 2010/03 インターシフト/合同出版 単行本 605p
Vol.3 No.0140 ☆☆☆☆☆
HUMAN:The Science Behined What Makes Us Unique・・・・・・・。英語原書のタイトルはほとんど日本語のタイトルに反映されているだろう。「人間らしさ」とはなにか、は、「人間」とは何か、と、どう違うのだろう。Humanと人間は同義でいいのだろうか。そもそもこの本を書いた「科学者」とは、脳科学者なのか、コンピュータ技術者なのか、最前線とは、どういうことか・・・・・。などなど、考え始めれば切りはない。
1939年生まれ、現在70歳のカリフォルニア大学サンタバーバラ校の心理学教授が書いた本、となれば、それなりにイメージが湧いてくる。この本、600ページを超える大冊で、確かに膨大な「科学の最前線」の成果が網羅されている。
しかし、かいつまんで考えれば、数十年を大学の最先端の知的空間で過ごした老教授の結論と、この数年、ブログ機能を持て余して、図書館から借りてきた本の読書記録をつけてきた当ブログのあてずっぽうなとりあえずの結論の間に、それほどの大きな乖離があるわけではない。
コンピュータが十分賢くなれば、つまり人間より賢くなれば、自分で自分の体を設計できるようになるだろうと彼(レイ・カーツワイル)は考えている。一方、人間のような知能とそれに寄与するもののいっさいは、人間の体なしには存在しえないと考える人たちもいる。p502「肉体など必要か?」
カーツワイルの名は当ブログにおいては久しぶりの登場だ。「スピリチュアル・マシーン コンピュータに魂が宿るとき」、 「ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき 」は3年ほど前にひと連なりのシンギュラリティ論議の中で読んだ。
箱入りの脳が、人間のような知能を持つことはけっしてないのだ。これまで見てきたように、情動やシュミレーションは私たちの思考に影響を与えるし、またそうした入力がなければ私たちはまったく別の動物になってしまうだろう。p502「肉体など必要か?」
この身体を一つの人間の基準とするなら、話は早い。よけいなところまで手を伸ばす必要はない。所詮人たるもの、成人すれば1~2メートルの身長があり、生命を維持したとしても、せいぜい100年を超えるのはまれだ(もっとも戸籍上は200歳を超えるひともいるらしいがw)。とすれば、この身体を基準として、「人間とはなにか」、「人間らしいとはなにか」を考えればいいのではないか。
億年とか、光年などという概念は、通常の肉体をもつ人間に、ホントウに必要だろうか。目に見えない超ミクロの世界とか、宇宙の全体図のような超マクロの世界の探究など、ホントウに有効なのだろうか。
じつのところ、人間は自分の能力を理解するための足がかりを、ようやく得ようとしているにすぎない。集まってくる情報をすべて取り込む能力が私たちにあるかどうかは疑わしい。人間は他の動物とあまり違わないと見る人たちのほうが正しいのかもしれない。
私たちはほかの動物とまったく同じように、自分の生物的限界を持っている。だから彼らの下す最低の評価を上回る能力などないのかもしれない。だが、それを上回れる自分を望み、想像する能力は注目に値する。今以上の自分を望む種などほかにない。ひょっとすると、人間はその望みをかなえられるかもしれない。p549「あとがき」
当ブログは「小説嫌い」を標榜しているわけだが、その習癖を支持してくれる意見を見つけることもできる。
この世界でうまく生きていくためには、正確な情報が必要だ。それに生存がかかっている。一般に、人はフィクションよりもノンフィクションを好んで読むべきだが、実際には、ドキュメンタリーよりもフィクションや映画を観たがる。歴史書よりも歴史小説を好む。しかし、本当に正確な情報がほしい場合には、ダニエル・スティールの小説ではなく百科事典をひもとく。p312「芸術の本能」
この本、「第8章 意識はどのように生まれるか?」を最初に読んでしまった。この本は、この章を抜きにしては語れないし、この章をどこを抜き書きするかとなると、なかなか難しい。全体が面白い。再読するチャンスがあるとすれば、まずはここからまたスタートすることになるだろう。
意識にまつわる謎の一つは、どのようにして知覚や情報が非意識の深みから意識へと入ってくるかだ。「門番」がいて、一部の情報だけを通すのだろうか。どんな情報が通るのを許されるのか。どんなプロセスが意識を支えているのか。その後何が起きるのか。新しい考えはどのようにして生まれるのか。どんなプロセスが意識を支えているのか。すべての動物には同等の意識があるのか、それとも意識には程度の差があるのか。私たちの意識はユニークなのか。意識の問題は、神経科学者たちの研究の研究目標、いわば伝説の聖杯のようなものだ。p395「意識はどのように生まれるのか?」
この本、全体的に網羅していはいるが、決して暫定的な仮説や極論に拘泥しているわけではない。全体的な科学の今日的な在り方のなかで、当ブログの「意識コンシャス」な嗜好性を真に満たしてくれる部分は多くはないが、その姿勢はきわめて信頼のおけるスタンスを保持している。
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