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2010/09/06

芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか  擬態するニッポンの小説 

芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか
「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」 擬態するニッポンの小説
市川真人 2010/07 幻冬舎 新書 310p
Vol.3 No.0136☆☆☆☆★

 村上春樹のファンでもなければ、小説読みでもない当ブログにも、やたらめったらと、村上春樹ワールド関連でのアクセスが多い。ほとんどはGoogleで検索してアクセスしてくる一見さんたちのなのだが、どうして、当グログがそこに引っ掛かってくるのか、わからない。

 そもそも、一度、村上春樹を読んでおかなくてはならないな、と今年のお正月に思い立って、関連の60冊を一気読みしたことが影響しているだろう、とは推測できる。だけど、それにしても、世の中にはたくさんの彼のファンがいることだろうし、私のブログなど、高位にランクされるはずはないのだが、どこからか検索して、アクセスしてやってくる。

 オープンに書いている限り、アクセスされるのは基本的に喜びなのだが、それでも、なんにも村上春樹について知らないのに、あれやこれや書いているのを見られるのが恥ずかしいと思う時がある。

 とくに、「1Q84」book3が発売になった直後は驚いた。検索ワード「牛川」で、どうやら検索リストの上位にランクされたらしい。2月に「新日本学術芸術振興会 専任理事 『牛河』」という記事を書いておいたら、4月にbook3が発売になったとたん、驚異的なアクセスが始まった(とは言っても、二桁の前半だが)。もともと閑散としている当ブログではあるが、関連記事へのアクセスを勘定にいれれば、まさに、まるで当ブログは村上春樹ファンクラブだったのか、と勘違いするほどの来訪者となった。最近はぐっと減ったとは言え、今でも、続いている。

 ノーベル賞との関連記事にもアクセスが来る。今回この本のタイトルをアップすれば、前回のようになるのだろうか、あるいは、すでに当ブログは忘れ去られてしまっているか、一つの実験ではある(笑)。

 芥川賞が村上春樹に与えられなかったのは、一義的には、村上春樹の携えるアメリカとの距離感が彼ら(審査員)にとって受けいれがたかったからであるけれど、つまるところそれは、彼らとアメリカ=父との関係の問題であり、村上春樹と「父」との距離の問題なのだ、と。

 もしも村上春樹が「父」を描くことができていたら、「父」になる姿になる姿を描けていたら、とっくにその賞は彼のものになっていたはずです。逆に言えば、それができなかった/しなかったところに、村上春樹の倫理があった、と言っていいでしょう。p97「芥川賞と『父の喪失』とニッポンの小説」

 村上作品は全作品、手にとっては見たとはいうものの、図書館にリクエストして届いたものから手短に読み続けただけだから、どれがその処女作であるか、候補作であったか、などということはあまり気にしないで読み進めてしまった。だから「風の詩を聴け」「1973年ピンボール」などの印象があまりない。やっぱり、「ノルウェイの森」とか「海辺のカフカ」、そして好き嫌いは別にして今回の「1Q84」シリーズなどはしっかり印象には残ったのだが。

 「Book3」でふたりは、第三者の存在によって結びつけられます。「牛河」という、「ねじまき鳥クロニクル」の第三部でも登場した中年男が今回は青豆を追う探偵役として、「Book1」「2」の天吾と青豆それぞれのパートで語られた、彼と彼女の過去と現在を追ってゆくのです。p248「『父親になる』ということ」

 村上春樹は自分の小説の理想のひとつとしてドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を挙げる。解説本の中には「村上春樹とドストエフスキー」なんて本もある。そのテーマは、父親殺しだ。もし「カラマーゾフの兄弟」の続編があったとするなら、そのテーマは「神殺し」に繋がっていくはずだった、と予想する向きもある。それは、ニーチェの「ツアラトゥストラかく語りき」にも繋がってくる大問題だ。

 「疎遠」で「うまくいっていな」かったはずの、そしてそのひとについて「絶対に人にしゃべらない」はずだった、父親の残した記憶を、「もっとも大切なことのひとつ」だと彼が口にしたのは、2009年のはじめです。それは彼が「風の歌を聴け」をポストに投函してから30年後のことであり、「1Q84」が刊行される数カ月まえのことでした。p252

 芥川賞はともかくとして、現在の村上春樹はノーベル文学賞について、決して無関心ではないと言われる。多くの期待をよそに、はて、村上春樹はノーベル平和賞に値するかどうか、と疑問視する声もある。もし村上本人が、何らかの賞が欲しくて自らの芸術の方向を大きく曲げる、ということはない、とは思われるが、大きなテーマと、一作家の方向性が一致するとすれば、読者や多くの地球人の意識を巻き込む作品になっていく可能性はある。

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